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争人  作者: 直弥
第二話「茉莉花」
15/17

その5

 真人達が蜂集花家の前に着いた時、玄関扉のガラスから明りが洩れていた。

「おじさん達、もう帰ってるみたいっすね」

「そうみたいだね。折角だから、真人君もランプちゃんも、挨拶していってくれる?」

「もちろん」

「わたしも、もちろん! 茉莉花さんのお父さんとお母さんがどんな人か気になるし」

 緊張した面持ちの真人と、ただ期待に胸を膨らませているだけのランプ。二人を招待した茉莉花は、改めて自分の意志で二人を家に上げた。

「ただいま」

「お邪魔します」

「こんばんわぁ」

 家の中には、誰かが炒め物をする音が響いていた。そこへ三人の声が重なる。

「おかえり」

 茉莉花そっくりの澄んだ声が、居間の方から真人達の耳に届く。三人は靴を脱いでダイニングキッチンへと向かう。キッチンでは、スレンダーな女性が、フライパンの上で、とき卵と片栗粉に塗れた角切りの豚肉と、ピーマン、パプリカ、タマネギを踊らせていた。どこか茉莉花の面影がある女性。いや、茉莉花に彼女の面影があるというべきか。当然である。彼女こそが茉莉花の母なのだから。名は花梨花(かりんか)

「お母さん、ただいま」

「おかえり、茉莉。それと……久しぶり、真人君。元気だった? ご飯はしっかり食べていた?」

「一応、それなりには。お久しぶりです、花梨さん」

 田舎を離れて生活する息子に対する母親のような態度で接する花梨花に、真人は会釈を交えて返答した。花梨花はにっこりと彼に微笑んで、次に視線をランプに移す。

「ええっと、そっちの子は」

「わたしはランプです。よろしくお願いします、カリンさん」

「茉莉から、電話で話しは聞いていたわ。女の子を一人預かっている、って。よろしくね、ランプちゃん」慈愛に満ちた眼差しでランプをひとしきり見つめてから、茉莉花は再び真人に視線を戻した。「さてと。真人君、帰って来たばっかりのところ悪いんだけれど、茉莉と真人君は、今から向かいの武道場に行ってくれる? うちの人が呼んでるから」

「おじさんが武道場に?」真人は怪訝な顔で言い返す。「一体どうして」

 わざわざ言葉を口に出して呟きながらも。真人は、蜂一郎の意図に気付いている。武道家が武道家を武道場に呼び出す理由など、一つしかない。


 蜂集花家と真打家が共有する武道場は、武家屋敷の倉をどでかくした風な外観の建物に江戸間三十畳の畳部屋が二つ入っているもので、それぞれ『壱の間』、『弐の間』と名付けられている。ともあれまずは玄関。

「お前は呼ばれてないんだから、別に付いて来なくってもよかったのに」

玄関口で靴を脱ぎながら、同じく靴を脱いでいるランプを振り返り、真人はそう漏らす。対してランプは、

「だって、何をするか気になるんだもん。大丈夫。邪魔だったらすぐ出て行くよ」

 と返す。それならいいけど、と素っ気なく答えながらも、真人はどこか嬉しそうな顔をしていた。そんな彼の顔を見て、茉莉花もまた笑顔になっている。


「うわあ、ひっろーい!」

『壱の間』へ入って開口一番、ランプは驚嘆の声を上げた。

「そんなに広いか? 昔はもっと広く感じたもんだけど」

 この場合。真人が〝昔〟と言えば、具体的には彼が六歳以前の話にまで遡る。誇大した記憶も合わさって、体感的な広大さが異なるのは当然と言える。だが彼にとっての関心事は、この場所そのものではなく、この場所で彼を待っている男にある。

すなわち、蜂集花蜂一郎。

茉莉花の父であり、花梨花の夫であり、真虎の親友であり――花梨花の再従兄(はとこ)。幼少時の寝間着を捨てずに残しているほど娘を溺愛している、少し危ない親馬鹿野郎。

 彼は今、部屋のど真ん中に座していた。胡坐で。

「ご無沙汰してます、おじさん」

 蜂一郎の姿を認めた真人は、先んじて彼に声を掛けた。年に二、三度だけ会う親戚への挨拶のように、恭しくも親しげに。そんな真人に対する蜂一郎の第一声は、

「ようやく来たな、この泥棒猫め!」

 恐ろしく古めかしいフレーズであった。

「えええ!?」「ちょっと、お父さん! 何を!」「ねこ? どこ? ねこどこ?」

 正しく三者三様の反応であったが、特に一人は、他方二人と比べてかなりずれていた。


「まあ、泥棒猫という冗談は横に置いといて」身振り手振りの後者を交えながら、蜂一郎は続ける。「久しぶりだな、真人君。ずいぶん大きくなったが、一目ですぐにわかったよ。昔の真虎にそっくりだ」

「そう、ですか?」

 蜂一郎の言葉に、真人は眉を顰めた。父親に似ていると他人から言われて喜ぶような少年はあまりいない。それは父を好いているかどうかとは別次元の問題。

「で。ふむふむ、君が例の女の子だな? 今何歳(いくつ)かな? あと、名前は?」

「名前はランプ、歳は、もうすぐ二〇〇〇歳になります!」

「……植物かなんかか?」

「植物じゃありません! 魔人です!」

「そうそう、そうだったっけな。ま、どうでもいいが」

 信じる信じない以前に、興味がないといった風に蜂一郎は言う。実際、ランプが本物の魔人かどうかなど、彼にとっては些細な問題であった。茉莉花は二人のやり取りを見てくすくすと小さく笑っている。真人はぽんとランプの肩を叩く。

「こう言う時の歳はな、いつ生まれたかじゃなくて、何年生きてるかで言うんだよ」

「あ、そうか。そうだよね」真人に耳打ちで指摘され、ランプは舌を出して自分の頭を小突いた。「訂正します。六歳です。もうすぐ七歳になる六歳です」

「六歳か。ま、そんなとこだろうな。ところで。真人君は十八だったか?」

「いえ、まだ十七です。十月で十八になります」

「ふむ。どっちにせよ、早いもんだな。ついこの間まで子どもだと思ってた茉莉花が、もうじき大学も卒業だもんなあ」蜂一郎は目を閉じ、しみじみと一人頷いてから、「さてと」と言いながら立ち上がった。背丈は真人より十センチほど低く、彼ほどがっちりとした体格でもないが、筋肉質なことに変わりはない。敢えて言うなら、細身の筋肉質。「国際武道段位も獲得して、名実ともに武道家になったらしいじゃないか。どれ、それなりには強くなったか?」

「そりゃあ、六歳の時よりは強くなったはずですよ。もちろん」それを聞いて。蜂一郎は声に出し、大いに笑う。そりゃそうだな、と。そして。「では、早速始めようか」

「はい」

 二人に、それ以上の言葉は不要。場の空気が変わる。

「茉莉花は、ランプちゃんと一緒に端の方で見ていなさい」

「わかった。行こう、ランプちゃん」

「う、うん」

 ランプと茉莉花は蜂一郎の言葉に従い、壁際へ向かう。それを見遣りながら、真人は口を開いた。

「なんでわざわざ茉莉花さんも呼んだんすか?」

「娘にいいところを見せるため……というのは嘘で、お前にやる気を立たせるため、というのは冗談で。この闘いは、あいつが見ていることに意味がある闘いだからだ」

「?」

 要領を得ない蜂一郎の言に、真人は首を傾げる。彼の想像していた理由は二つとも、先回りするかのようにして蜂一郎に否定された。しかし。それ以外において、茉莉花を観客として招待する意味が彼にはまったく思い付かなかった。ただ客が欲しいだけならば、いっそのこと花梨花も呼べばいい。

「実は今日半日、お前らを尾行していたんだが」

「ええ!」「うっそー!」

 茉莉花とランプ。言葉を発したのはほぼ同時。二人とも目をまん丸くして驚いている。

「どういうことっすか?」

 女性二人ほどには取り乱していない真人が、蜂一郎に説明を求める。一昨日、昨日といい、今日といい、やけに人に尾けられる日が連続するな、と、心の中でぼやきながら。もっとも。一昨日、昨日の尾行と今日のそれとでは、事情も具合もまるで違うことは彼も分かっていた。故に、蜂一郎の尾行に気付けなかったのは仕方ないと思っていた。『蛇の魔法使いや盗賊の尾行に気付けなかったのは、魔法によって察知能力を妨害せられていたからだ』とは、管理者(マネージャー)の言であったが、真人は充分それに納得していた。何故なら、よほどその道に精通した達人でもない限り、真人に一切気付かれず尾行するなど不可能だからである。自信や慢心からではなく、ごく単純な事実として真人はそれを知っていた。件の魔法使い自身はともかくとして、あの盗賊達が真人に気付かれず尾行に成功するなど、よくよく考えればあり得ぬことなのだ。

 では、蜂一郎はどうか。彼は、その道に精通した達人であった。

「まさか、職業病でつい、とか?」

「職業病って。忍者を探偵かストーカーみたいに言うなよ」

 豪胆に笑いながら、抗議とも冗句とも取れる言葉を口にする蜂一郎であったが、真人としては、『それを言うなら、探偵とストーカーを同列にするのはどうなんすか?』と言い返してやりたい気分であった。とにかく。以上のやり取りからも分かる通り、蜂集花蜂一郎は忍者である。忍者であり、武道家である。と言っても。無論、職業として本当に忍者をやっているというわけでもない。

戦国時代末期のこと。主君を失いながらも生き延びてしまった(・・・・)各々各地の忍者が寄り添い、主君も雇い主も持たない、同胞がための忍びの一族を形成したのが『蜂集花』の起こりと言われている。そんなこと、歴史の表には一度も出たことがないし、蜂集花(彼ら)が忍者の末裔であるなどということを知っているのは、今や蜂集花(身内)の中でもごく一部に過ぎず、まして現代もなお忍者を続けているなどといった変わり者は、蜂一郎を含めても四人だけ。

蜂一郎はその中でも更に変わり者だが。

「家に着いたら書き置きで『真人君達とローイラック・タウンに出掛けます。夕飯までには帰ります』とあるじゃないか。なら追いかけるしかないだろ」

「その理屈は結局、ストーカーの理屈じゃ……」

「全然違う。娘を溺愛する親馬鹿の理屈だ」蜂一郎は、はっきりと言った。「俺は、お前が昔、うちの娘を好いていたことを知っていた」

蜂一郎の宣言に『知ってるも何も、俺が自分で触れ回っていたんだから当然だ』と、真人は昔を思い出して赤面する。あの頃の自分は、色んな意味で今よりも素直過ぎた、と。ついでに茉莉花も赤面している。彼女の場合、単なる照れであるが。

そんな彼らの状況を知ってか知らずか、蜂一郎は言葉を続ける。

「で、そのお前が十年振りに帰国して――こぶつきとは言え――茉莉花と一緒に遊園地に出掛けたというのだから、気になるのは当然じゃないか。急いで追いかけたよ。焦るあまり、実の娘と赤の他人を見間違うという失態もやらかしたが」

 その他人が誰のことなのか。真人も茉莉花もランプも容易に当てがついた。

「どこからどこまで見てたんですか?」

「お前達が昼飯を食ってるところから、帰りの電車に乗るまでだな。観覧車にも乗り込んでやりたかったが、流石に遠慮したよ」

 真人は心底ホッとした。観覧車の中でのやり取りまで完全に見聞きされていたというなら、恥ずかしさで蒸発する自信すらあったから。それは茉莉花も同じようであった。しかし、同時に一つ、他の気になる疑問が生じたため、彼はそれを質問としてぶつける。

「電車に乗るまで、ってことは。同じ電車には乗らなかったってことですよね? どうやって俺達より先に帰って来てたんですか?」

「走ってに決まってるだろ」

「自分の脚で、ですか? 他の電車とか、自分の車とかじゃなくて?」

「そんなものにちんたらと乗ってる暇はなかったよ。さっさと帰って策を練らんとならんかったからな。親に貰ったこの脚で走って帰ったさ。お前だって、連れもいない時に電車を使ったりはしないだろうが」

「いや、時と場合によりますよ」確かに。フルスロットルのF1カーであっても、後ろから追い抜ける真人。だが。かと言って、単なる移動時に、街中をダッシュしようとは思わない。「話を戻しましょう。昼間の俺達を尾けた結果、どうして茉莉花さんに俺達の闘いを見せなきゃならないことになるんすか?」

「だってお前、プロポーズしたろ? 茉莉花に」

「……しましたね」

 真人は俯いて答えた。観覧車の中での直接的なやり取りは見られていなくとも、その後の会話から、プロポーズの件はばれていたということに気付き、またも赤面する。

「茉莉花を呼んだ理由というのはそれだ。今からやる闘いは、単なる試合じゃない。茉莉花を任せられるかどうかの試験、いや、試練か。勝てとは言わん。ただ、確かめさせてくれ。君が茉莉花に見合う男かどうか。或いは、茉莉花が君に見合う娘かどうか。そういう意味合いでの闘いなら、茉莉花にも見届ける必要がある」

「あるんすかね?」

「ある! そんなことも理解出来ない奴に娘はやれんぞ!」

「……それ言いたかっただけじゃないっすよね?」

「否定はせん」

「してよ!」

 とうとう我慢できなくなった茉莉花が叫んだ。

「前置きや冗談が長くなったが」蜂一郎の声から。顔から。おどけた調子が消える。「つまり、今のお前では、俺を認めさせられていないということだ。お前、この何年も修行を口実に逃げ回っていただろ? 茉莉花から」

「……………………」

 真人は何も言わない。

「武道修行を口実に茉莉花から逃げ回るなど……武道に対しても、茉莉花に対しても不誠実極まりない。今からする試合は、言ってみれば敗者復活戦を兼ねた決勝戦だ。但し勝ち負けの判定は絶対的に俺が握る」

「そんな! 勝手だよ! お父さん!」茉莉花が叫び、

「そうですよ! それに、マサトは不誠実なんかじゃありません!」ランプが呼応する。

「勝手なのは分かっとる。だから、もし真人が俺を認めさせられない時には、茉莉花、お前が俺を認めさせればいい。拳でなく言葉で。……何故わざわざこんなことを言うか、今のお前に分かるか? 真人君」

「ええ」ランプをちらりと見遣り、真人は言う。「今はもう分かります」

「そうか、ならいい」

真人は、一見、娘にも説得の機会を与えようという宣言にしか聞こえない蜂一郎の言葉に秘められた裏を読んだ。だから決意する。

――俺が認めさせなきゃ駄目なんだ。

蜂一郎は嘘吐きではない。仮に、真人が彼に、茉莉花との結婚を認めさせることが出来なかった時は、本当に茉莉花に説得の機会を与えるだろう。しかし。それでも――。

「始める前に一応確認しておくが、その腕はどうしたんだ?」

 真人の右腕を覆っている――途中、風呂にも入っているにも関わらず、純白を保っている――包帯を指差し、蜂一郎は訊ねる。

「ああ、これは火傷です。大したことはありません」真人は言うが、蜂一郎がその腕に手を伸ばし、包帯の上から握りしめると、「っっつ!」

苦痛に顔を歪ませて、蜂一郎の腕を振り払おうと、ほとんど無意識で左手を伸ばそうとする。実際に蜂一郎の腕に触れる前に制止したが。

「処置はしているが、まだかなり酷いみたいだな。よし。この試合、俺も右腕は封印することにしよう」

「っ! いや、それは! まったく使えないほど酷いってわけじゃないですし!」

「この大事な試合において、どちらか一方にでもハンデがあるんじゃ、俺の気が済まん。お前は両腕を使っていいが、片方は火傷をしていてまともに使えない。俺は片腕しか使ってはならんが、火傷したお前の腕を狙ってもいい。これでどうだ?」

「分かりました。それで納得しました」

本当のところ、真人は納得などしていない。

蜂一郎が、忍者としてもまだ変わり者だ、と言われる所以はその性格にある。彼が対戦相手の怪我箇所をわざと狙うことなど考えられない。蜂一郎自身、それを承知で今回の条件を呑めと言っている。ならば、これ以上の問答は彼への侮辱。

「じゃ、そろそろ始めましょうか」

「おう、望むところだ。いつでもこい!」

無形格闘『争人流』、真打真人。

忍者格闘『蜂集花流』、蜂集花蜂一郎。

手を伸ばせばすぐにでも相手の身体に届く近さで向かい合った二人。

かくて、挨拶(闘い)が始まる。


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