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争人  作者: 直弥
第二話「茉莉花」
12/17

その2

 一夜明けて。

「カメラ持っとけばよかった!」

これは、実家(隣)の道場で黙祷と朝の鍛練を終えて蜂集花家に戻ってきた真人を、白いエプロン姿の茉莉花が朝食を用意して迎えた時の、真人の叫びである。寝間着姿で茉莉花を手伝っていたランプは眼中にも入っていなかった。


「遊園地へ行かない?」

 三人が朝食を囲った席で、コーヒーの入ったカップをテーブルの上に置きながら、茉莉花が真人に言った。

「遊園地ですか。俺は構いませんけど、茉莉花さん、学校は?」

「今日はお休みだから大丈夫。他に予定もないし」

「まあ、それなら。ランプ、留守番よろしくな。変な奴が来ても中に入れるなよ?」

「うん、任せて。行ってらっしゃい……って、違うちがう! わたしも行くの! そもそも、わたしが提案したんだから!」

「冗談に決まってんだろ。本気にするなよ。ちっ」

「今の舌打ちは!?」

「そこまで含めて冗談じゃないか。だいたい。お前を一人で留守番させるなんて、危なっかしくて出来っこないだろうが。あむっ」

 喋りながら。真人は、ブルーベリージャムを塗りたくりグロテスクになった食パンを口に運ぶ。上唇に付いた青紫を舌で舐め取り、牛乳で流し込んだ。


 朝食後。主の実年齢を考慮すると、やや幼い感じがする、少女趣味な部屋の中。

「んー。これは、なんっか違うかなあ」

「そうだね。とっても可愛らしいとは思うけど、ちょっと似合わないかな?」

 髪をサイドテールにしたランプが鏡台の前に座り、彼女の後ろには、ブラシと髪留めを手にした茉莉花が腰を下ろしている。ランプは、本日の自分の髪型をなかなか決められないでいた

(服装は茉莉花のお古を借りる形になっていたが、その中からのコーディネートを選ぶのにも二十分ほどを要した。その挙句が、デニム生地のジャンパースカートとニーハイソックス)。

「ランプ、まだ決まらないのか?」

「も、もうちょっと待ってよ」

 茉莉花の部屋の前、扉を挟んで会話する真人とランプ。扉に背を預けて立つ真人。

「もうちょっともうちょっとでもう二時間近く経ってんだぞ?」

「だって、折角色んな髪型が出来るようになったんだもん! 迷いに迷い抜かないと面目が立たないよ」

「(誰に対する面目だよ)まあ、待てって言うんなら、俺は何時までも待つけどさ。茉莉花さんにまであんまり手間かけさせるなよ?」

「大丈夫だよ、私は。なんだか妹が出来たみたいで楽しいもの」

「茉莉花さんがいいって言うんなら、俺はまったく構わないですけど……。でも。ランプ、遅れたら遅れた分だけ、遊ぶ時間が削られるのはお前だからな」

「うー……」

 実質上急かしの言葉を掛けられたランプは閉口する。うーうーと唸り、ほんの数秒考え込む素振りを見せた後、茉莉花に何かを耳打ちした。外にいる真人には聞えないように。

 そして。

「うん! いいね、いいよ! ありがとう! 茉莉花さん」

「どういたしまして。さあ、真人君に見せに行こうか」

「うん!」


「お待たせ」満を持して登場したランプは、腰より下まで伸びた三つ編みのお下げを二本垂らしていた。「どうかな?」

その質問には、髪型だけでなく服装の感想を求める意図も含まれている。

「(パジャマじゃ分かりにくかったけど、髪と服装だけで随分違うもんだな)いいんじゃないか? 子どもらしくて健康的だし」

 真人は素直な感想を述べた。

「むふうっ」

 屈託のない笑顔を見せるランプ。今、真人の目の前にいるのは、見た目には完全に普通の女の子であった。砂場で同世代の子どもたちと遊んでいても何ら違和感のない、ごく普通の。

「ごめんなさい。三つ編みって、思っていたより大変で、待たせちゃったね。じゃあ、出掛けましょうか。お母さん達当てに書き置きもしておいたし」

 ランプに遅れて現れた茉莉花は、相変わらず櫛とブラシで少し整えただけのストレートロングであった。服装は、止め具が垂れ耳のうさぎ型になっているベルトを腰につけた薄桃色のワンピース。左腕には、やや子どもっぽい腕時計も嵌めている。清楚だが、故に色気はない。だがよく見れば、顔には薄らと化粧を施していた。

 僅かな化粧の有無など、真人に分かるはずもなかったが。


「わあ、すごいすっごい! おとぎ話の街みたい! あ、お城もある!」

電車を乗り継ぎ、三人がやって来たのは、国内有数の大型遊園地(テーマパーク)。西欧の城下町を思わせる園内は、平日ながら、多くの客でごった返していた。そんな中を。ランプは落ち着きなく、きょろきょろしながらはしゃぎ、走り回っていた。

「(あいつ、段々子どもっぽくなってるな)おい、走る時はせめて前向けよ。危ないぞ」

「はあい。わっ、大っきなうさぎだ!」

ランプが見つけたのは、コーヒーシュガーのように煌めく茶色い毛色と、顔をすべて覆い隠せるほどの垂れ耳が特徴的な、ホーランドロップを擬人化させたキャラクター。

テーマパークの代表的キャラクターでもある『ローイラック・コネイン』(通称、ローイ君)は、今日も今日とて子どもたちに囲まれ、盛んに握手をせがまれていた。

「いいなあ。わたしも握手してもらって来ていい?」

「おう。でも、蹴ったり殴ったりすんなよ」

「そんなことしないもん! まったく! 真人じゃあるまいし!」

「なっ!」「え?」

 言うだけ言って。ランプはローイ君の元へ駆け寄って行った。

「真人君、そんな不良中学生みたいなこと……」

「しないしない! するわけないじゃないっすか! あいつの勝手なイメージだって!」

 不良を大の苦手とする茉莉花が本気で引き気味になっているのを見て、焦燥感たっぷりで必死に否定する真人の姿は滑稽だった。茉莉花もほっと胸を撫で下ろす。

「そ、そうだよね。ごめんごめん」

「そ、そうですよ。はあっ」茉莉花以上に大きく胸を撫で下ろした真人は、額から伝い落ちる嫌な汗を拭う。そんな彼を見て、茉莉花はくすりと笑った。「な、なんすか?」

「あ、ゴメンね、変な意味で笑ったんじゃないの」新たな不穏に駆られて狼狽する空也を、茉莉花は慌ててフォローする。「さっきの慌て方、よかったな、と思って。久し振りに会ったからって、真人君、距離を測り過ぎなんだもん。私には、あれぐらい砕けた話し方でいいのに」

「それは……まあ、おいおいに努力します」

「へえ、ふうん。おいおい、か。それにしても。嬉しそうだね、ランプちゃん」

「そうですね。自由に遊び回ることなんて、滅多になかったでしょうから」

 自由に遊ぶことはおろか、自分のために生きることすら許されなかったランプ。そんな彼女の自由獲得に大役を買った真人の感慨も一入(ひとしお)であった。元気にローイ君と戯れるランプを微笑ましそうに見つめる真人を、茉莉花は複雑な表情で窺う。

「今更だけど、本当なの? ランプちゃんが、その、魔人とか何とか」

「言葉だけで信じろって方が難しいかもしれませんけど、本当ですよ。魔法が実在することも、あいつが魔人だっていうのも、あいつを狙った魔法使いがいたのも」

「世の中には、不思議なことがまだまだたくさんあるのね」

「そうみたいですね。そんな発見もあるから、旅もいいもんですよ」

「旅……。また、旅に行っちゃうの?」

「それはないです」即答。「昨日、寝る前に散々考えたんです。で、決めました。俺はこのまま日本に残りますよ。ランプだけ残してくのも心配だし、っていうのを建前にして」

「言っちゃったら建前にならないんじゃない?」

「言わなかったら嘘吐きになりますからね」

「じゃあ、本音は?」

「疲れたんで」

 それこそが嘘であることぐらい、茉莉花が見抜けないわけがなかったが、彼女はそれ以上を追及しなかった。追及の代わりに話題を変える。

「……このテーマパークが出来たのって、真人君が旅立ってからだよね」

「はい。だから、俺も来るのは初めてですよ」

「ふふ。私もだよ」

「え? あ、ああ、そうなんですか」(近場のデート場所としちゃあ最適なはずだろうに、意外だな。ま、人それぞれか)「しっかしまあ、とても日本とは思えませんね。この景観」

「街のモデルはアニメの世界なんだけれど、そのアニメがそもそもオランダとベルギーの一地方を舞台にしているからね。当然と言えば当然だよ」

「随分と詳しいんですね。初めて来る割には」

「え。ええっと、とも、友達に聞いたんだよ! ローイ君シリーズが好きな友達がいて!」

「へえ、そうだったんですか」

――楽しみにしてたのはランプだけじゃないってことか。

 茉莉花のベルトと腕時計(文字盤の真ん中に、立ち上がったローイ君のシルエットがあしらわれている)とを交互に見てから、真人が言った。と、そこへ。

「真人ー、茉莉花さーん!」

 元気に手を振りながら、ランプが帰ってくる。

「おう、ランプ。握手はしてもらえたのか?」

「うん! ふっかふっかのごっほごっほだったよ」

「そうか、よかったな」

「よかったね、ランプちゃん」

 朗らかに笑うランプ。そんな彼女を、細めた目で見つめる茉莉花。そんな茉莉花を横目に見遣る真人。

「茉莉花さんも握手してきてもらったらどうですか?」

「え! でもでも! わたし、もう二十歳超えてるのに……」

 予想だにしていなかった真人からの提案に驚き、紅潮させた顔の正面で両手を振る茉莉花。無理していることは誰の目にも明らかであった。その様子がおかしくも微笑ましく、更には愛らしく、真人はつい頬を緩ませ、笑いそうになる。

「遊園地で年齢なんて気にしちゃ駄目ですよ。折角来たんですから、記念ですよ、記念」

「そうか。記念、なんだよね。なら、真人君も握手してもらおうよ、ね?」

「お、俺もっすか?」

 その返しは想定外だったらしい。


 結局。子どもたちに紛れて、いい歳をした男女が大うさぎとの握手の列に並んだ。

「まあ、その、頑張ってください」

 と。恐ろしくぎこちない握手を真人が終えた次に、いよいよ茉莉花の番が回ってくる。

「ええとその、は、初めまして」

 ローイ君が差し出した右手を、茉莉花は、両手で包みこむようにして握った。

 ローイ君は言葉を発さず、カートゥーンキャラクター特有のオーバーリアクションで、空いた手を茉莉花の肩に宛がい、ぱんぱんと叩いた。

「茉莉花さん、なんだか嬉しそうだね。ねえ、マサ」

『ト』までは言葉にならなかった。何故なら。

「なんで肩まで抱いてやがんだ、あの耳長。ちょっと馴れ馴れし過ぎるだろうが」

「ええー……」 

 歯を喰いしばって呪いの言葉を呟く、大人げない真人の姿を見てしまったからである。


「さてと。折角の遊園地なんだから、キャラクターばっかりと触れ合ってないで、乗り物とかにも乗らないと。ランプ、何か乗りたいやつあるか?」

「あるよ。あれあれ! ずっと気になってたの」

 そう言ってランプが指差した先を目線で辿った茉莉花が、嫌な汗を流す。

「あれって、お化け屋敷……だよね?」

「そうっすね。紛れもなくお化け屋敷ですね」ランプが指差したのは、この遊園地にある建物としては明らかなオーパーツ感が漂う、ボロボロの廃病院。夏季限定で展示されるお化け屋敷。

「遊園地に来て最初があれでいいのかよ。乗り物ですらないじゃないか」

「いいの! 面白そうだもん!」

「あ、そう。じゃあ行きましょうか、茉莉花……さん?」真人が茉莉花の方を振り向くと、明らかに及び腰となっている、顔面蒼白な彼女の姿が目に映った。「どうしたんです? 大丈夫ですか?」

「え、ひえ、大丈夫よ。行きませうか」

 喉に小さな穴でも開いたのかというような甲走った声。

「(まさか)茉莉花さん、まだ苦手なんですか? うらめしや的な奴」

 真人の訊ねに、茉莉花は恥ずかしそうにこくっと頷く。そんなやり取りを見て、ランプはキョトンとしている。

「うらめしや、裏飯屋? 茉莉花さん、どうしてご飯屋さんが苦手なの? もしかして、ダイエット中? 十分痩せてるのに」

「また古典的なネタを……って、お前は本気で知らないだけか」

 相変わらずランプの知識幅が分からず、真人は顔面を片手で覆い、溜息を吐く。彼に変わって、茉莉花が諭すような口調でランプに説明する。

「ランプちゃん。うらめしやっていうのは、幽霊の口癖(?)みたいなものだよ。お化け屋敷は幽霊のお家なんだよ? 怖くないの?」

「どうして? 幽霊って怖いものだっけ?」

 と。そこでランプは真人に振る。

「いや、まあ、人によるだろうけど。基本的には怖いものなんじゃないか?」

「ふうん。真人は怖いの?」

「俺は別に。特別苦手ってわけじゃないけど」

 茉莉花の手前、慎重に言葉を選ぶ真人。どこまでも彼女に甘い。

「ね、同じお化け屋敷ならあっちにしない? ほら、あっちの方が楽しそうだよ?」

「あっち?」「あっち?」

 真人とランプは、茉莉花があっちと示した方を同時に見遣る。そこには、おどろおどろしくも可愛らしい洋城があった。ローイ君シリーズのキャラクターである幽霊犬『クワード・ホンツ』の住まいを模した、幼児向けのライド型お化け屋敷。怖くはない。

「…………」「…………」

「な、なあに?」

 じとっとした目で視線を返す二人に、冷や汗を流しながらの茉莉花が訊ねた。真人とランプは互いに顔を見合せ、何かを得心して頷く。そして。

「俺とランプだけで行ってきますから、茉莉花さんはここで待っててください。列は短いし、すぐ済むと思いますから」

「はい、わかりました」

 うな垂れる茉莉花を置いて、二人は怖い方のお化け屋敷へと向かった。


「真っ暗だね。足踏んじゃっても許してね」

「既に何回も踏みつけてから言うなよ」

 暗がりのお化け屋敷へと足を踏み入れた真人とランプは、何故お化け屋敷に入ったんだと問い掛けたくなるほど余裕の貫録で、駄弁りながら歩んでいる。

「それにしても。怖がりなんだね、茉莉花さん。弱点のなさそうな人だと思ってたのに」

「誰にだって弱点の一つや二つはあるもんだろ。幽霊が苦手なんて、むしろ可愛いじゃないか。長所と言っていいぐらいだ」

「真人、茉莉花さんに甘過ぎない? わたしに対してよりもずっと」

「しゃあないだろ。それが俺の弱点なんだから」


   ◇


 真人とランプが、ちょうどお化け屋敷に入った頃。手持無沙汰な茉莉花は辺りを見渡していた。なかなか来ることの出来なかった憧れの場所だけに、目に映るすべてが、彼女にとっては輝いて見えた(件のお化け屋敷除く)。そこへ。

「あ! やっと見つけた。おーい! ここだ、ここだ! まったく。やっぱり中で待ち合わせするなんて無茶だったな。ずいぶん探したぞ、加奈」

「え?」

 突然掛けられた声に驚き、茉莉花が振り返ると、彼女にはまったく見覚えのない男が一人、息を切らせながら駆け寄って来ていた。歳は茉莉花と同じぐらいか。

「ほら、先にレストラン行こう。走り回ってお腹空いてるんだよ」

「いや、その私は……ちょ、ちょっと」人違いじゃないですか? と、茉莉花が言うよりも早く、男は彼女の手を取って歩き出した。「あ、あの、私は」

「なんだ? まだあんまりお腹も空いてないってか? なら喫茶店にしとくか?」

「いえ、だからその」

 どうしても先に言葉を挟まれてしまい、人違いであるということを青年に伝えられない茉莉花に、青年は訊ねる。

「あれ? お前、そんな服持ってたっけ?」


   ◇

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