父子が巡る前日譚
ギアナ高地を形成するテーブルトップマウンテンの一つ『アウヤンテプイ』とその周辺。エラを持つカマドウマ、オタマジャクシの姿を持たぬカエルなど、特異な固有種が数多く生息するこの現代の魔境に、一人の中年男と一人の男の子が立っていた。いずれも日本人。中年は手ぶらで、男の子は、自身の身体と同じぐらいある大きなリュックサックを背負っている。大の大人でも登るのが困難な唯一の登山道すら無視し、断崖絶壁を正面突破で昇り切ることでのみ辿り着ける頂上台地の一角に彼らは立っていた。
「岩は岩でも簡単に砕け散ってしまう岩ってなあんだ?」
「そのノリはきもちわるいよ、おとうさん」男の子は引きつった顔で中年男を見上げてそう言った。言いつつも考え込む。「かんたんにくだけちる〝いわ〟か。いわ......いわ............。あれ? これとそっくりのなぞなぞ、このまえどっかで......そうだ、おもいだした! マツリおねえちゃんがもってたほんにのってたんだ! こたえは〝へいわ〟だ!」
自分の力で得たわけでもない答えを自信満々に言い切った男の子。だが、彼の渾身の答えに対して、中年の男は呆れ返っている様子でこう言った。
「そんな答えのなぞなぞを六歳の子に出すか阿呆。一体どんな本を持ってるんだ、茉莉ちゃんは。残念ながらハズレだ。本当の答えは」
言って。一見して壁としか思えない巨大な一枚岩の前に立った中年の男は、弓引くようにして右の拳を後方に振り上げ、十分に勢いづけてからそれを岩にぶつける、と見せかけて、直前で動きを止めた。そしてそのまま、デコピンの要領で中指を弾いて岩に当てた。一瞬の静けさの後、巨岩は砕け散った。まさしく、砕けて散った。威厳さえ覚えさせる存在感を示していた岩はもうどこにもなく、ただ幾つものちゃちな石ころが、地面に転がっていた。対して。中年男の指は傷など皆無で、どころか腫れてすらいなかった。
一連の動作と光景が終わるまで、男の子は唖然として立ち尽くしていた――瞬きすら忘れて見開かれっぱなしの目、だらしなく開け放された口のまま。
「と言うわけで答えは〝父さんの前に立ち塞がった岩〟でした」
「へえぇ......って、そんなのずるいよ!」
男の子の抗議はもっともで真っ当過ぎた。
「ずるいだとう? 何を言ってんだ、この息子は。力ずくでの突破こそが、武道家(俺たち)のお家芸じゃないか――まあ、それだけを唯一の問題解決の手段にするのはいかんが。それでも、頭使うようなことはエライ人たちに任せておけ。どうせ俺らは馬鹿なんだから」
「ムチャクチャじゃんか!」
「そうだ。俺らはムチャクチャにならなきゃダメなんだ。そのための修行として、お前は自力で家に帰って来い。これは昔、俺もお前の祖父ちゃんにやられたことだからな。お前が生まれた時から決まっていたことだ。じゃあな、真人。お前の無事と武運を祈る」
そう言い残し、中年男は本当に一人足早にその場を去って行った。真人と呼ばれた男の子が「あっ」という間もなく、彼の姿は見えなくなった。
かくして。海外渡航自体が人生初体験であった六歳児は、飛行機やヘリでも到達出来ない魔境に、たった一人で取り残されたが、
「あたまもつかわず、うちまでかえれるのかなあ」
わりと余裕はあるようだった。




