シルヴェルクの想い 1
買い出しから戻ると、宿にアカネ様の姿はなかった。
ジオル君もいない。
「あの子を連れ、外出なさったのでしょうか……」
誰もいない部屋を見て、アレクセイが溜め息を吐きながら呟いた。
その横で、ユフィル君がどこか不満そうに佇んでいる。
ご主人様の外出に連れて行かれず、拗ねたんだろうか。
俺は苦笑を浮かべ、口を開いた。
「そうだろうな。宿から出ないようにと言っておいたのに。これは、ジオル君におねだりでもされたかな」
「おねだり? あの子に?」
「ああ。アカネ様が自分の欲求の為に言いつけを破って外出するとは考えられないだろう?」
「いえ……お言葉ですがシルヴェルク様、アカネ様は既に一度、騎士団長様を撒いてお一人で」
「それは、団長が一緒では都合の悪い用事があったからだろう? 普段の様子からして、今のアカネ様にはもう、そんなものはないと思うが、違うか? アレクセイ?」
「それは……そうですが」
「だろう? まあ、そう思ってお一人にしたのは失敗だったようだが。街で愚か者に標的にされないうちに、お迎えに行くとしよう」
そう言うと、俺はくるりと体を反転させた。
それを見たアレクセイは、ぴくりと反応した。
「お、お待ち下さいシルヴェルク様。それならば、私が参ります」
「いや、いい。俺が行くよ、アレクセイ」
「いえ、ですが、わざわざシルヴェルク様が出向く事は……!」
「アレクセイ。"勇者様"の迎えだぞ? 些事ではない。俺が動いても問題ない」
「……は……。では、よろしくお願い致します」
「ああ」
慌てて声をかけるアレクセイにそう告げ、納得させると、俺は宿の玄関へ向かって歩き出した。
全く、余計な気を使わなくてもいいんだが。
もし仮にこれが"騎士団副団長"が動く程の事ではない些事だったとしても、俺はやはりアカネ様を迎えに行くのだから。
"勇者様の迎えだから"というのは、便利な口実に過ぎない。
「さて……俺の大切な人は、ジオル君にどこへ連れられて行ったかな」
★ ☆ ★ ☆ ★
アカネ様の第一印象は、"普通の女の子"だった。
黒髪は珍しいが、それ以外は平凡な容姿。
俺を見て僅かに頬を赤らめ見惚れるその様子はどこにでもいる女の子のもの。
アカネ様の能力値について団長から聞いた直後だった事もあって、こんな女の子が本当に勇者なのかと、古くから伝わるという勇者召喚の魔法の選別力を、少し疑った。
けれどそんな事は全く表情には出さず、街に行くというアカネ様と団長を送り出すべく『行ってらっしゃいませ』と言って頭を下げる。
そして再び頭を上げれば、そこには振り返ったアカネ様の姿。
その表情はとても残念そうに見えた。
……これは、珍しい反応だ。
今まで出会ったどの女性も、団長が一緒なら、俺の事など気に止めやしないというのに。
身分も容姿も実力も、俺は団長に敵わない。
俺に擦り寄る女性は皆、団長が現れた途端するりとそちらへ流れて行く。
まあだからといって、俺に団長への悪感情はないが。
むしろ面倒な女性の相手を引き受けてくれて感謝している。
だが、そんな団長が一緒なのに、どこか名残惜しげに俺を見て去っていく彼女。
異世界の女性だからだろうか……変わっているな。
それからしばらく経って、陛下から招集を受け、奴隷を買ったアカネ様の必死の弁解を聞き、俺のアカネ様への印象は"普通の女の子"から"少し変わった面白い子"になり、興味を覚えて、翌日、姿を見掛け声をかけた。
すると、アカネ様は何故か複雑そうな表情を浮かべ項垂れた。
この反応は、何だろうか。
その意味するものを探るべく、俺はアカネ様を誘った。
女の子を連れて行くには情緒に欠けた旅用品専門の店で、俺に相談しながら真面目に自分に合う装備を探すアカネ様に感心すると共にかなりの好感を持つ事になるとも知らずに。
アカネ様を気に入った事を自覚したのは、その翌日、見回りから戻り、再びアカネ様を誘った時だった。
"騎士団には団長が必要"という考えから、アカネ様に旅には自分を連れて行くよう申し出て、アカネ様が俺から視線を反らした時。
"貴女も俺と団長を秤にかけるのか"と、一瞬怒りが沸いた。
そんな自分に驚き、慌てていつもの笑顔の仮面を着けた。
アカネ様に逃げるように立ち去られた後、沸き起こった感情の意味を考え、ああ、俺は彼女を気に入ったのかと答えが出ると、アカネ様には絶対に自分を選んで貰う決意を固めた。
無事に旅のメンバーに入り、出発した。
まだ数日だが、日々、俺の中でアカネ様の好感度は上がっていく。
アカネ様は、とにかく健気で可愛い。
"戦闘で何もできなくても、自分だけ安全な場所にいるのは嫌だ、せめて皆と一緒にいる"と俺を睨みつけた顔も。
初めて魔物を倒した時、見事だと褒めた俺に返した物凄く微妙な顔も。
泣いた事がわかる赤い目で、それでも変わらず笑って見せた強さも。
ぼんやりと寝ぼけた顔も、それを謝る真っ赤な顔も。
偶然見つけた貴重な食材を手に、"やっと役に立てた"と言って嬉しそうに笑った顔も。
それを使って作った料理を褒められ、照れくさそうにはにかんだ微笑みも。
家族と離れ怖がる子供を憐れみ、"姉に見える自分が一緒にいてあげたい"と村に送り届ける事を深々と頭を下げて俺達に頼み込む姿も。
見るたび、知るたびにアカネ様への好意は俺の中に積もっていった。
★ ☆ ★ ☆ ★
宿の主人に、アカネ様が噴水広場にある店の事を聞いて行った事を聞き、そちらに向かう。
まもなく到着、というところで、突如、頭の中にアレクセイの声が響いた。
念話だ。
「シルヴェルク様! 大通りからアカネ様の声が聞こえました! 貴方に助けを求める声でした、急ぎ向かいます!!」
「……わかった、俺もすぐに行く!」
そう返事を返すと、念話は途切れた。
俺は即座に踵を返し、全速力で走り出した。




