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勘違いと落ちた雫

「勇者様、勇者様。起きて下さい。勇者様」

「んぅ……?」


微かに聞こえる声と、優しく揺さぶられる感覚に次第に意識が浮上し、私はうっすらと目を開ける。

すると即座に視界に飛び込んでくる、金茶の髪のイケメンの微笑み。

ヴェルである。


「ああ、お目覚めになりましたね。おはようございます」

「うん……おはよう、ヴェル」

「え?」


起きて一番にヴェルの微笑みとか……朝から目の保養だなぁ。

ぼんやりそんな事を思いながら、薄く微笑みを返し、起き上がる。

起きたばかりで寝ぼけているせいで、うっかり敬語も忘れ、愛称で呼んでしまっている事にも気づかずに。

そのまま欠伸を噛み殺しながらベッドから降り、箪笥を開けると服を取り出し、ベッドへ置く。

そしてパジャマがわりにしている服のボタンに手をかけ、ひとつふたつ外したところで、その手を掴まれた。


「ん?」


顔を上げると、ヴェルの困ったような微笑みが目に入る。


「勇者様、お待ち下さい。お着替えになられるなら、私は退出致します。食堂でお待ちしておりますので、お着替えが済みましたらお越し下さい」


そう言うとヴェルは手を離し、そそくさと部屋を出て行った。

私は顔だけを動かしてそれを見つめ、見送った。

扉がバタンと音を立てて閉まる。


「………………。……あ、あれ? 今の……生ヴェル……? 私ヴェルに起こされた?」


その音を聞いて、ようやく頭が覚醒してきた私は一人、呆然と呟く。

次いで、外したボタンを見る。


「……はは……さすがヴェル。どんな事も微笑みでスルーする男……。…………う。うぁぁぁん! やっちゃったぁぁ~~!!」


瞬時に熱くなった顔を両手で覆い、私はその場に座り込んだ。


★  ☆  ★  ☆  ★


「ごめんなさい!!」


食堂に着くなり、私はヴェルが座る席の隣に立ち、勢いよく頭を下げた。


「私、朝はちょっと弱くて!! 起きてすぐとかは本当ダメで!! だからっ…………本当に、すみませんでした!! シルヴェルクさん!!」

「いえ、構いません。……着替えを始められた事には、さすがに少し驚きましたが。けれど私は何も見てはおりませんので、ご安心下さい、勇者様」

「う…………はい」

「さあ、どうぞお座り下さい。朝食に致しましょう」


ヴェルは変わらず微笑みを浮かべ、視線で向かいの席へと私を促した。


「……はい。お待たせして、ごめんなさい。シルヴェルクさん、アレクセイさん、ユフィル」

「いえ。気になさらないで下さい、アカネ様」

「では、食すとしましょう」

「そうだな。いただきます」

「「 いただきます 」」

「い、いただきます」


私が席に着くと、それが合図だったかのように皆が食べ始める。

一呼吸遅れて、私も皆に倣う。


「ところで、勇者様」

「っ、は、はい!? 何でしょう、シルヴェルクさん!?」


優雅な所作でスープを口にしていたヴェルが突然話しかけてきて、さっきの事もあって動揺した私は裏返った声を出した。

けれどヴェルはそんな私の様子には構わずにこやかな微笑みを讃えたまま口を開いた。


「よろしければ、これから私の事はヴェルとお呼び下さいませんか? 先ほどのように」

「えっ!?」


こ、これ、呼び名の変更イベント発生!?

え、でもそれってこの国を出るまで発生しないイベントじゃなかったっけ??

な、何で今、発生したんだろう?

……いや、待てよ……これは別に、イベントじゃなかったとしたらどうなる?

例えば、やっぱりさっきの事、怒ってる……とか。

もしかして、遠回しに責められてる?

寝ぼけてたとはいえ、まだそんなに親しくもないのに、愛称で呼んだあげくタメ語で話しちゃったしなぁ……。

これでイベントだと勘違いして頷いたら、大変な事になるのかも……!?

選択肢を間違えると突発的に発生する、失望されて王都に帰られるあのイベントがここで発生するとか……!!


「……あ、あの、本当にさっきは、すみませんでした。反省、してます」


私は持っていたフォークを置くと再び深々と頭を下げた。


「……はい?」


そんな私を見てヴェルは不思議そうに目を瞬いたが、頭を下げている私は気づかない。


「そんなに親しくもないのに、あんな馴れ馴れしくされたら、怒るのも当然だと思います。本当にすみません」

「……怒る?」


私が口にした単語を繰り返し、ヴェルは首を傾げた。

しかし頭を下げたままの私はこれにも気づかない。


「以後気をつけ……ても、また寝ぼけちゃう可能性は大だし、こればっかりは……うぅん……あ、そうだ! ねぇユフィル、もしまた私が起きなかったなら、その時はユフィルが起こしに」

「勇者様」

「え? ……っ!?」


ようやく顔を上げ、隣に座るユフィルに話を向けた私は、自分を呼ぶはっきりとしたヴェルの声に言葉を途切れさせ、視線を向けると、息を飲んだ。

ヴェルの微笑みからはにこやかさが消え、目には鋭い光が宿っていた。

な、何で……?

私、ちゃんと謝ってる……よね?

訳がわからず固まる私の背中を、嫌な汗が一筋流れた。

ヴェルはそんな私を見つめ、ゆっくりと口を開く。


「……勇者様は、一体何のお話をされているのですか?」

「え? な、何のって……ですから、さっきはすみませんでしたと……」

「その事ならば、構いませんと申したはずですが。今は、私の呼び名についての話をしていたのではありませんか?」

「え? ……えっと……ですから、あんな呼び方してすみませ」

「勇者様。私はそう呼んで欲しいと申し上げているのです。ああ、私も今後は、勇者様ではなく、アカネ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「……え……っ!?」


な、何これ?

ヴェル、怒ってるわけじゃないの?

ほ、本当に、イベント発生なの?

何で?


「……勇者様? 駄目でしょうか?」

「え、えっと……」


ど、どっち?

怒ってる?

それともイベント?


「勇者様?」

「え、う、あ…………っ、わ、わかりました! じゃあそう呼んで下さい!! 私も、ヴェルって呼ばせて貰います!!」


私は拳を握り締め、少し俯き目をきつく瞑ると、了承の返事を返した。

さあ、どうだ!!

もし怒ってるほうなら、更に怒って冷たく罵ればいいさ!!

そして見限って王都へ帰るなら帰ればいいよ!!

どうせ私が目指すのはヴェルエンドじゃないんだから!!

半分やけっぱちに、そんな事を思う。

泣きたくなっているのは、きっと気のせいだ。


「……はい、わかりました。ではこれからは、アカネ様と呼ばせて戴きます」


けれど次の瞬間、私の耳に入ってきたのは、そんな穏やかなヴェルの声だった。


「……え……」


恐る恐る顔を上げると、正面には穏やかに微笑むヴェルの顔があった。

その表情はどこか嬉しそうにも見えて、私は驚き目を見開いた。

お、怒ってたわけじゃ、なかった……?

ヴェルの表情を見つめホッと胸を撫で下ろすと、何故か段々視界が滲んでいく。


「ア、アカネ様!?」

「え……!」

「なっ! どうなさいました、勇者様!?」


慌てたようなヴェル達の声が聞こえたのと同時に、冷たい雫が私の頬を伝ったのを感じた。


「あ、あれ……? 何これ……?」


私は落ちてきたその雫を拭ったが、それは次から次へと流れ落ち、その後しばらく止まる事はなかった。

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