勇者が秘めたもの
今回は、ヴェルことシルヴェルク視点です。
実戦訓練を終え村に戻り、勇者様と別れた俺は、村をぐるりと見回る事にした。
これは、俺の習慣のようなもの。
遠征などで街や村に立ち寄った場合、必ず一回行うようにしている。
こうする事でそこの住人の様子をある程度知る事ができるのだ。
悲しい事だが、王都から離れた地方では、領主が領民を虐げている事があったりする。
彼らはそれを巧妙に隠すが、こうして見回り、人々の表情や田畑の状態から、気づける事がある。
もちろん、それでも気づけない場合もあるのだが。
見回った結果、ここは大丈夫らしいと判断し、宿へと戻る。
何気なく辺りを見回しながら玄関に近づいて行くと、ふと、勇者様の部屋の窓が開かれ、窓枠に勇者様がもたれているのが目に入った。
のんびり村の景色でも眺めているんだろうか。
もしお暇なのなら、話し相手になるのもいいかもしれない。
そう思い、俺は宿へは入らず、外から窓へと近づいて行った。
けれど、窓との距離が縮まると、聞こえてきたのは小さな嗚咽だった。
近づく事ではっきり見えるようになった勇者様は、窓枠に乗せた腕に顔を伏せていた。
泣いている。
それも、声を押し殺して。
どうして…………悲しそうな様子など、召喚した初日に見せただけだったのに。
あの日は確かに、"泣いていたようだとメイドから報告があった"と陛下が仰っていた。
けれどそれ以降そんな事はなく、早々に吹っ切って下さったのだと、陛下も皆も判断していた。
勇者様は強い方だと、良かったと、皆そう安堵していたのに。
……心の奥底に、隠していただけだったのか。
やはりそう簡単に、吹っ切れるはずはない、か。
俺は気づかれないように宿の壁に寄りかかり、溜め息を吐いた。
人の隠した本音を察する事にはそれなりに長けていると自負していたのに、全く気づけなかったとは、情けない。
勇者様が隠すのが上手いのか、俺がまだまだなのか……。
とにかく今後は、勇者様の心のケアもしていかねばならないな。
一人で泣かれている勇者様の押し殺した嗚咽を聞きながら、気づけなかった自分が今更声をかける事もできず、俺はその声が聞こえなくなるまで、その場にじっと佇んでいた。
★ ☆ ★ ☆ ★
夜になって、勇者様はユフィルを誘って散歩に出かけた。
俺達の同行を頑なに断って。
「……どうしますか? シルヴェルク様?」
「決まっているよ、アレクセイ。気づかれないように跡をつける。いくら村の中を歩くだけだといっても、夜に二人だけで外出させるわけにはいかないだろう? 勇者様の"話"というのも気になるし、俺が行くよ」
「は、かしこまりました。では、行ってらっしゃいませ」
アレクセイに見送られ、俺は少し距離をおいて勇者様とユフィルの跡をつけた。
二人はしばらく歩くと草むらに腰を下ろし、夜空を見上げながら話を始めた。
声が聞こえる場所まで距離を詰めて、聞き耳を立てる。
途切れ途切れに、勇者様の声が聞こえる。
どうやら、ユフィルの事について話をしているらしい。
これは、謎のままだったユフィルを買った理由について聞けるかもしれない。
俺はもう少し距離を詰めた。
「ごめんねユフィル。嫌な事思い出させちゃったね」
よし、ここならはっきり聞き取れる。
それを確認し、耳を澄ませた。
「あ、あのね、私がユフィルを買ったのは、一緒にいて貰いたかったからなんだ。ずっと一緒に。あ、"ずっと一緒"って言っても、毎日一日中って意味じゃないよ? 四六時中側にいなくていいし、たまには数日別行動したっていい。ただね、ただ……いつか、この旅が終わっても……私が、魔王を退治できなくても。それでも、私と同じ場所で、生活して欲しいんだ。私がユフィルに望むのは、それだけだよ」
…………は?
耳を澄ませてすぐに聞こえた勇者様の声に、俺は目を瞬いた。
ユフィルを買ったのは、一緒にいて貰いたかったから?
いつか旅が終わっても……魔王を退治できなくても?
それでも、同じ場所で、生活して、欲しい……。
俺は勇者様の言葉を胸の内で繰り返した。
すると、その言葉に秘められた意味に気づく。
「……ユフィルを買った理由について予想した見解の一部は、当たっていたわけか」
異世界で、一人は不安。
それだけは、当たっていたらしい。
ただ、勇者様が不安に思っているのは、どうやらそれだけではないらしい。
"勇者だと思われている自分が魔王を退治できなかったら、その後の生活はどうなるのか"。
「元の世界には帰れない事は、陛下が告げたらしいからね。勇者様にしてみたら、それは確かに不安だろうね」
何しろ、勇者様の能力は低い。
魔法もろくに使えないから、戦闘では役に立たない。
けれどそれは今のうちだけで、旅をしながら訓練を積めば、そのうち立派に成長するだろう、何しろ、勇者なのだから。
というのが、陛下や皆の考え。
しかし勇者様は、召喚された時、"自分は勇者じゃない、人違いだ"と言ったらしい。
恐らく今でも半信半疑だろうと思う。
そんな、能力の低い、"他称勇者"な自分が魔王を退治できるなんて、想像し難いだろう。
だからこその不安。
「陛下も皆も、魔王を退治する事前提でしか、その後について話をしなかっただろうしねぇ」
こちらと勇者様とで、見事に考えがすれ違ってる。
やれやれだな。
俺は苦笑を浮かべ、再び歩き出す。
勇者様とユフィルは既に宿に続く道へと歩を進めている。
俺は行きと同様、帰りも距離を取ってついて行った。
★ ☆ ★ ☆ ★
宿へと戻った俺は、ユフィルに先に寝るよう伝えると、アレクセイを誘い、酒場へとやって来た。
もちろん、盗み聞いた事について、アレクセイに話す為だ。
「それで、勇者様のユフィルへの話とは何だったのですか? シルヴェルク様?」
席について注文を終えると、アレクセイは即座に尋ねてくる。
「そうだな……一言で言えば、ユフィルを買った理由について、だったかな」
「ユフィルを買った理由? 判明したのですか?」
「ああ。結構、困った理由だったな」
「困った? それは、どのような……?」
「お待たせしました~! ご注文のビールと"適当に見繕った"おつまみ、お二つずつです!」
「ああ、ありがとう」
ウェイトレスの女の子が注文した物を運んできて、テーブルに置き、去って行く。
「……あの子、"つまみを適当に"という注文の仕方は、どうやらお気に召さなかったようだよ、アレクセイ。今の言い方、棘があった」
「は……申し訳ございません。私はいつも、そう注文をするもので……」
「王都の行きつけかい? 獣士団員は、いつもどこで飲むんだい?」
「は、二番街の……いえ、そんな事よりもシルヴェルク様、困った理由とは、一体?」
ウェイトレスの子の態度から脱線しかけた話を、アレクセイはすぐに元に戻した。
「……勇者様がユフィルを買ったのは、"一緒にいて貰いたいから"らしい。"魔王を倒せず旅が終わっても同じ場所で生活して欲しい"と、そう言っていたよ」
「"魔王を倒せず旅が終わっても"? それはどういう……魔王を倒さなければ、旅は終わりますまい?」
「ああ。けど、これはそういう意味じゃないだろうね」
「は?」
「アレクセイ。勇者様のお名前を覚えてるかい?」
「は? はい。アカネ・カジ様です」
「そう。彼女はアカネ・カジ様だよ。"勇者様"じゃなくね」
「は? シルヴェルク様、何を? 彼女は、勇者様です」
「おや……言っている意味がわからないかい?」
「……? ……申し訳ございません」
話を戻してからのアレクセイは怪訝な顔でしきりに首を捻っている。
この男は真面目だし腕は立つが、頭脳戦はイマイチ弱い。
噂通りだ。
「ああ、謝る必要はないよ。要するに、"勇者様"っていうのはこちらが一方的に定めた彼女の肩書きで、彼女自身はそれを受け入れきれてないって事だよ」
「なっ!? そんな、何故!?」
「何故って、当然だと思うけど? アレクセイ、君も勇者様の能力値については聞いているだろう? もしそんな状態の自分が勇者だなんて言われたとしたら、君はそれをすんなり信じられるかい?」
「……そ、それは……」
「否、だろう? "勇者だなんて信じきれない。魔王を倒せるなんて思えない。倒せなかった場合のその後の生活がどうなるのかわからない。"だから不安で、勇者とは関係なしに自分の側にいてくれるユフィルを買った、って事さ」
「勇者とは関係なしに……。な、なるほど。得心しました」
アレクセイはようやく合点がいったように頷いた。
それを確認すると、俺は一口酒を飲み、再び口を開く。
「というわけで、アレクセイ。これからやるべき事は二つだ。今まで通り、勇者様とユフィルの訓練と、勇者様の不安を取り除きながらその信頼を得ること。たとえ勇者様、アカネ様が魔王を倒せなかったとしても、その後の生活に何の心配も、ない、と……」
…………おや?
ちょっと待て、何かおかしい。
俺は何を言ってるんだ?
アレクセイの言う通り、魔王を倒さなければ旅は終わらない。
"その後の生活"なんて…………いや、これはただの比喩だ。
深く気にする必要はない。
必要ない……はずだ。
「シルヴェルク様?」
「あ……」
突然黙り込んだ俺を、アレクセイが不思議そうに見つめていた。
「……いや、すまない。何でもない。とにかく、アカネ様に安心して戴けるよう、心のケアもしていく。いいな?」
「は。かしこまりました」
アレクセイが頷くのを見ながら、俺は再び酒を煽った。




