06 山楽
サキは警察に連絡をする前に山内へ連絡した。
前回の事もあるし事前に報告しておいた方がよいだろう。説明は顧問へ行ったのと同じ内容だ。
山内家は代々林業を行っていた地主だが、父の代から椎茸栽培、そして大型ショッピングセンターの経営で成功を収めた地元の名士だ。
サキは前回の遭難騒ぎから山内と面識を持ったのだが、気が合ったらしく、土地利用の依頼や調査結果の報告などはサキが行うようになっていた。
「サキ君、所在が確認できているのは君を含めた3名なんだね?じゃあ5名の所在が不明と考えた方が良いだろう」
「警察は後でいい。前回の事もあるし、こんな場所で遭難なんて誰も考えないだろう。初動が遅れるに違いない。それよりこちらから5名ほど回すから、捜索を優先させよう。警察は明日でいい」
サキは驚きながらも従った。驚きとは山内がサキと危機感を共有した事だ。
「君達は一旦戻りなさい。山楽で待ち合わせよう」
山内は待ち合わせ場所に道の駅にある山小屋風喫茶店の名前を口にした。
「捜索要員もそこへ向かわせる。私も前後して到着するから」
「あと、山越えの林道は使わない方がいい。遠回りになるがバイパスを経由してくるんだ。分かったね?」
サキは驚きを超えて疑問を感じつつも「はい。1時間後には到着できます」とだけ答えた。
山内はサキのこういう点が気に入っているのだ。
◇*◇*◇*◇*◇
「20分経ったわ。出発しましょう」
案の定というか、タカシとトモミは納得していなかった。
「あなた達はこの後どうするつもり?反対するなら代案を示しなさい」
タカシとトモミはまたもや押し黙った。
やはりまだまだ若いというか経験が足りない。危機的な場面に直面した事が無いのだ。
そういう人間は解決に全力を注げない。一つの問題がクリアできないとそこで立ち止まってしまい、他の問題点を認識しつつも手を出せないのだ。
そして別なアプローチが出来ないまま未解決の問題だけが山積される。
「では質問。いつまで待つつもり?」
『・・・』2人は答えられなかった。
「この時点であなた達にリーダーの資格はないわ。私に従いなさい」
『・・・』それでも2人は態度を保留している。
サキは軽い苛立ちを覚えながらも、空を指差して言った。
「いま何時だと思っているの?」
そこで初めて事態に気付いた。
太陽が西に傾きつつある。夏の陽はまだ真昼の明るさを保っているが、陽の傾きは正午をだいぶ過ぎている事を示している。
「そんなばかな!ベースを出たのは10:30だったじゃないか・・・」
トモミは言葉もなく両手で口許を覆い、視線は左右に泳いでいた。
「すぐに出発します、車に乗りなさい。」
◇*◇*◇*◇*◇
男女4人が南北に走る山道を南に向かっていた。
誰も言葉を発しない。
不安と焦りと疲労が彼らの口を閉ざすのだ。
「ごめんなさい、もう少しゆっくり・・・」
由紀は完全に参ってしまったようだ。
かれこれ30分は歩いている。疲労も大きくなってきた。ペットボトルの中は空だ。
口にするものはベースか車にしかない。
切り株を離れてから、携帯は再び通じなくなっている。
「なぁ、ちょっと相談なんだけど」
ユウキは思い詰めたような表情で言った。
「よくは判らないが、異常な事態なのは間違いない。連絡が取れないし、ベースにも車にも到着しない。でも、その前に水が無けりゃもう動けなくなってしまう。まだ俺とコースケは体力があるから、このまま先行して車まで行ってみようと思う。ハルナと由紀はここで休んで居てくれ」
確かに由紀は体力的に疲労が激しいようだ。ハルナはまだ元気だが、無理はさせない方がいいだろう。
「いやよ!まだ誰かが居なくなる!」
由紀の声が響く。その声は他の3人をも恐怖に浸した。
ここでハルナから違う提案が出る。
「こんな小さな森だし、すぐそばまで車で来てるし、まさかと思っていた。だから躊躇してたけど、もう助けを呼ぶべきだと思う」
「携帯通じないじゃないか」
「待ち合わせの場所なら通じたでしょ、ベースに向かって歩いた時も通じなかったし、今も通じない。でもあの場所は通じたのよ」
「また戻るのか?車に向かってる途中なのに」「それに車の場所まで行けばサキさん達が待ってる。車で山を下りられるんだ」「俺に少し時間をくれないか?皆はここで少し休んでいてくれ。この先、10分だけ進んでみる。どうであろうと10分で引き返すから。頼むよ」
ユウキの気持ちは良く分かった。一本道の山道で俺たちはベースという北の方角を諦めた。後は南しかないのだ。ここを諦めたら進むべき道を失う事になる。
俺はハルナの意見が一番現実的だと思った。
遭難した時の基本だ。あまり動かずに助けを待つ。
しかし、今回だけは賛成はできない。普通の遭難じゃないから。
助けは来るのか?いや“これるのか?”
この場所は、“見覚えがある”“通った気がする”という事以外は何も分からないのだ。
誰もが決断できずに居た。ハルナの意見に反対の俺も代案を持たない。
案を持たぬ者は案を示した者を選択して従うしかないのだ。
ここでハルナが再び口を開く。
「それにあの場所は山道が沢と一番接近している場所でもあるわ」
ハルナは俺たちに新しい道を示した。
山道からの逸脱。しかし水の確保、そして沢という新しいルート。
山で遭難した場合、沢には下りない。絶対にだ。
しかし、俺たちに危険という認識は無かった。事実、ここの沢は非常に小さく、切り立った地形ではないし、どちらに進んでも林道にぶつかる。
それに水を得る為にベースと車の他は沢しか無いという焦りも大きかったのだと思う。
新しいルートを選ぶという事は車を停めた場所からの帰路とサキさん達との合流を放棄する事になる。
だから連絡を取る行為とセットで提示された案なのだ。
つまり、このまま進んでも林道に到達できないし、サキさん達と合流もできないと判断したという事だ。
誰もが不安に心臓を掴まれている。だから、誰もがハルナの意見が素晴らしいと思った。
固執からの脱却。しかし、それは柔軟という名の妥協であり逃避でもあった。
悩み苦慮する状態からの脱出はこの上なく甘美なものだ。もはや新しい案の内容などどうでもよいのだ。“この苦痛から逃げられるのなら”
よくある、どこにでもある話だ。
明るい展望を得たと思った俺たちはユウキの提案をも認めた。
“単独行動”最悪の選択だ。
僅か10分と思った。しかしこれまでその10分がどれだけ状況を変えたか。
危険を感じている時は“最悪の状況”にはならない。“最悪の状況”とは危険を感じていない時に発生するものだ。
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サキが車のシフトバーに手を添えて2人に声を掛けた。
「あなた達の時計は何時?」
「あれぇ?・・・12:45?」タカシが驚きの声を上げた。
時間の感覚がずれていたのではなく、時間自体がずれている。
トモミの腕に巻かれたSuuntoLumiも同じく12:45。
「私のは13:50。約1時間の違いね・・・これを見て」
車載時計は14:55を表示していた。おそらくこの車載時計が正しいのだろう。3人がそう思った。
ランクルは3人を乗せて動き出した。
コンクリート舗装の道路からジャリジャリという音が響いた。
林道を左に行けばバイパスに出る。バイパスから高速に乗るというのがいつもの帰り道だし、一番早く山を下りられる。右に進むと沢の手前で左へ大きく曲がっており、その先の小さな橋を渡れば旧市街地までの山越え林道だ。
山内との待ち合わせ場所の“山楽”は旧市街地にあり、山越え林道を通れば20分ほどだが、バイパスを経由すると40分程度掛かる。しかし、山内はバイパスを経由しろと言った。
サキは林道に出ると左にハンドルを切った。