16 小屋
俺とユウキはカニ獲りに集中した。意識して集中した。
沢を上りながらカニを獲っていく。
100は獲っただろうか。
ユウキが額の汗をぬぐいつつ俺に声を掛けた。
「一旦戻ろう。カニを持って行かないとハルナ達のやる事が無くなるよ」
「おぅ、判った」
「コースケ、あのさ・・・」
「何だよ」
「沢の西にいつもきのこが生える倒木があったのを覚えてるか?。あとはミズブキも」
「あぁ、カニの他に野菜がありゃありがたいけどな。動かない方がいい」
「でも、どちらにせよ明日は東西ラインで動くんだろ?だったら少しは様子見をしてもいいんじゃないか?」
「東西ラインって言っても、動くのは東だぜ、西の様子を見てどうするんだよ」
「だから、南北ラインは南も北もダメだったろ?東西ラインに西がOKなら東もOKの確立が高まるじゃないか」
「なに言ってるんだよ、お前おかしいぞ。たとえ西がOKだとしてもダメだとしても、俺たちは東へ向かうんだ。危険を冒してまで西を見に行く必然性は無いだろ」
「・・・」
「それに、様子を見に行くなら東だろ」
「わかったよ」
「気持ちはわかるよ、何かしなきゃいられないし、沢と山道の往復じゃ押さえられないよな」
「・・・」
「じゃ、一旦カニを置いてこよう。少しだけ様子を見てみよう」
「ほんとか?」
「ほんとか?って、お前が俺達のリーダーなんだぜ」
俺はなぜか自分からユウキの提案に乗った。
しかし、ハルナ達は何と言うだろう。反対するに決まってる。
◇*◇*◇*◇*◇
切り株の場所に戻るユウキの足取りは軽かった。
カニを大量に預けられたハルナと由紀は目を丸くしていた。
「うわぁ、これはちょっと捌ききれないなぁ」
「ま、時間はあるし、頼むよ」
「そうだ、ユウキ君、これ食べてみて」
ハルナが差し出したカニは見るからにカラカラになっている。
「ハサミと足の先は食べられないから、とってあるの」
ユウキは足を一本つまんで口に入れる。
「あ、これは殻も食べられるよ。何ていうか香ばしいね」
「だいぶ焼かなきゃならないけど、これなら何とか食べられるでしょ」
「さすが女子だな。じゃ、俺たちはもう一度沢に行って来るよ」
「これ以上カニはいらないよ~」
ユウキはできるだけさりげなく言った。
「沢の向こうに浅い池というか湿地があるだろ?あそこはミズブキが自生してるし、キノコが出てるかもしれない。ちょっと見てこようと思ってるんだ」
ハルナはユウキではなく俺を見た。
その目は『どうしてコースケが止めなかったのよ!』と言っていた。
「大丈夫だ。ロープを持っていく。2人でロープの端を持って、交互に軸になって進むんだ。ロープは10mしかないし、何か異変があればすぐに気づくよ」
『・・・』
「それに俺たちは東西ラインに賭けたんだし、時間は今しかないんだ。大丈夫、山道を走って恐ろしい目にあったのは俺だよ?絶対無理はしない」
「いいよ」
由紀の声だった。
ハルナが堪らず声を上げた。
「由紀、なんでよ?っていうかコースケも賛成なワケ?」
「大丈夫だ。俺も行く」
俺は不安を感じながらも流された。ユウキを止める最後の機会を失った。
「信じられない!どうしちゃったのよ、みんな!」
「ハルナも沢に行ってみれば判るよ。この前とは違うんだ」
「冗談!ユウキ君は大丈夫そうだから先を見てみたいだけでしょ!あわよくばって考えてるんでしょ!私達は遭難してるのよ!ううん、普通の遭難より何倍も酷い状況なのよ!」「サキさんと約束して予定通りに進んでるじゃないの!何の問題も発生してないのに計画を変更するのは失敗の元よ!」
正論だ。
ハルナは正しい。しかし正しいが故にユウキの気持ちも代弁していた。
いつもの俺なら自分の意見を翻してでもハルナに賛同したに違いない。しかしこの時は何故かユウキの案に固執した。固執したが故に嘘をついた。
「やっぱり俺も反対だ。4人がどうなるかがかかっているんだ、慎重にやらないとな」
俺はハルナに背を向けてユウキを見た。
「やめておこう」と言ってウィンクをした。
「分ったよ」とユウキは下を向いた。
ハルナは苛々したままだ。
その後、俺とユウキは薪を集めた。カニの調理と夜に使う分として十分な量を集める。
「また夜になって取りに行くのは真っ平だからな」
長い枝は折っておく、折れないくらい太い枝はそのまま火にくべて置く。
焚き火は燃やし続けたので、結構熾火が溜まった。
ユウキは熱い灰の中にカニを放り込んだ。香ばしい匂いが広がる。しばらく待って掘り出すと灰にまみれたカニを俺に差し出した。
食べてみると、殻は噛み砕けるし、ほんの少しだが塩味を感じだ。時間が短いからか、胴体の殻は一部吐き出したが、美味いと感じた。
「何だこれ、塩味があるようなないような」
「木灰だよ。たくさん食べても大丈夫かは知らないけど、基本的に害があるものはないよ」
「カニの全体に火が通るし、たくさん作れるし、灰が嫌なら払えばいいし」
「じゃ、ハルナと由紀にこれを頼むよ、俺たちはザックとシャツを洗ってくる。今晩の水もついでに汲んでくるよ」
「カニはどうする?」
「小さい方が食べやすいんだけどなぁ」
「じゃ、小さいのを優先して取ってこよう。ザックは明日洗えばいいだろう」
ユウキはさらっと言って俺と出発した。
ユウキがロープをザックに入れたのを由紀は見ていたが何も言わなかった。
◇*◇*◇*◇*◇
俺とユウキは沢に着くとそのまま沢を横切った。視界の中で何かが微かに動いている。
カニが石の隙間に隠れようとしているのだ。
沢の西、やや深い森の斜面を下った先に湿地が見える。
俺たちはロープの端を握って交互に10mづつ進んだ。
「あ、ミズブキはやっぱりなさそうだな、やっぱりこの時期じゃ遅すぎたか」
「あれって6月ぐらいで終わりなんじゃないのか?」
「そうだけど、スジが堅いぐらいなら我慢して食べられるかと思ったんだ」
「それはそうと急ごうぜ、あまり時間はかけてられないよ」
「そうだな、とりあえずあの倒れた大木のところまで行こう」
「マイタケのサワリでもあれば御の字ってところか。キクラゲならほぼ取れるだろうけど」
そう言うユウキの目はもっと先を見ていた。
そして、この時俺は気づいたのだ。ユウキがどうして沢の西側を見たかったのかを。
「そういえば湿地の先に小さな小屋があったよな」
少しびくっとしたユウキは何も答えなかった。
「そんなもの見てどうしようってんだよ?」
ユウキは振り向きもしない。
相変わらず視線を前に向けたまま低い声で言った。
「時間が無いんだ、早く進んでくれ」
湿地に着いた。湿地といっても10m四方の大きさで昔は用水池だったようだ。誰も手入れをしなくなって泥がたまってしまったのだ。湿地の横は急斜面になっていて、落ちてきたらしい大きな倒木にはキクラゲが生えている。
採って帰ったらハルナは何て言うだろう。
でも、そんな事はどうでもいい。そう、どうでも良くなった。
湿地の先は薮になっていてその向こうに道具を入れる小屋があるはずだ。
ユウキはロープも放って走り出した。
「おい、待てよ!」
小屋は無かった。
ユウキはふらふらと小屋があった場所に近づくと膝をついて両手に落ち葉を握り締めた。
呆然としたユウキの顔が振り返った。
その目から力が抜けていくのが分る。
と、その目が何かを捕らえた。ユウキの目は見開かれ、ものすごい勢いで立ち上がった。
「ヒロだ!!」
「なに!?」
俺もユウキの後を追う。
俺たちが降りてきた斜面を登りきろうとしているのは確かにヒロだった。
距離はあるが、あの服装とザックは間違いない。
「ヒロ!ヒロ!!おーーい!ヒロー!!」
俺たちは声の限り叫んだが、ヒロはそのまま斜面の上に消えた。
聞こえないはずは無い。
俺たちは駆け上がった。斜面を。犬のように手足を使って駆け上がった。軟らかい土と落ち葉でうまく登れない。それでも構わず手と足を動かし続けた。
登りきって左右を見渡したがヒロの姿はなかった。
俺とユウキの荒い呼吸音だけが響く。
「くそ、どうなってるんだ」
「聞こえなかったのか?俺たちの声が」
「見間違いなのか?」
「じゃ、誰だよ。あのシャツとザックはヒロだったろ」
「どこに行ったんだアイツ・・・」
突然、悪い予感が俺たちの体を駆け抜けた。
今までどこに居たんだ?
俺たちの声に気づかなかったのか?
ここからどこへ行ったんだ?
本当にヒロなのか?
俺たちは走った。
ハルナと由紀が居る場所へ。