第5話
12月12日。
奇妙なことが起き始めた。
朝、彼女が俺を見上げたとき、何かを感じた。彼女の視線が、ただカレンダーを見ているだけじゃない。まるで——まさか。
「...おはよう」
彼女が俺に話しかけた。
おい、マジか。
「変だよね。カレンダーに挨拶するなんて」
彼女は自嘲気味に笑った。
いや、変じゃない。人は孤独になると、物に話しかける。ぬいぐるみ、植物、ペット。そしてカレンダー。
俺も昔、締め切り前にカレンダーに話しかけたことがある。「頼む、時間を止めてくれ」と。
「でも、なんか...見られてる気がするんだよね」
俺の意識が伝わっているのか?
いや、そんなバカな。彼女の孤独が、そんな幻想を生み出しているだけだ。
でも——伝わっていなくても構わない。
俺は彼女を見守っている。ただのカレンダーだが、見守っている。
その日から、彼女は俺によく話しかけるようになった。
「今日も残業だよ。嫌になるね」
「同じチームの先輩がまた無茶言ってきてさ」
「でも、頑張らないと。他に誰もいないからさ」
独り言のような、でも確かに俺に向けられた言葉。
俺は聞いていた。全部聞いていた。返事はできないが。
夜、彼女は俺の前で化粧を落とす。すっぴんの顔。疲れた目元。でも、悪くない顔だ。若い。まだまだ若い。
「ねえ、」
彼女が俺に話しかける。
「私、どうすればいいと思う? 彼と、会うべきかな。許すべきかな」
俺が答えられるなら——
会え。
詳しい事情は知らない。でも、曖昧に終わらせるな。
「もしかしたら」を残すな。
会って、自分の目で見て、自分の心で確かめろ。
それでダメだと思ったら、そこで終わりにすればいい。
やっぱり好きだと思ったら、そう伝えればいい。
どちらでもいい。大事なのは、自分で決めることだ。
逃げたら「もしかしたら」が一生ついてまわる。
俺みたいになるな。
俺の人生なんか、もう手遅れで、後悔しかない。
逃げた後悔は一生引きずる。
でも、俺の声は届かない。
彼女は溜息をつき、ベッドに入った。
「おやすみ」
おやすみ。
俺は心の中で返事をした。




