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傾国  作者: くまたろー
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『祭文』


 夏銀朱は苛々と部屋の中を歩き回っていた。

 昨夜、監獄が破られ投獄されていた凌国の留学生で江宰相の息子・江青雲が姿を消したという。もともと青雲は間諜の疑いを掛けられていたのを助ける取引をして、銀朱が瑠璃を救うために監獄に送り込んだ男だ。おそらく、逃亡を助けたのは瑠璃自身なのだろう。監獄へ持ち込むものは、あえて調べを緩くするよう命じてあったのだから、脱獄のための道具くらい簡単に持ち込めたはずだ。

 だが、瑠璃は脱獄しなかった。彼女の助けになるよう差し向けた江青雲(救いの手)は、自ら逃してしまった。頭の痛いことだ。これで先日、兄の死によって圭王を継ぐ予定の銀朱は、瑠璃を祭文に掛けなくてはならない。

 ――瑠璃の馬鹿っ。逃がしてあげるつもりだったのに、何をしているの。

 幼馴染で、遊び相手で、最愛の女。だからこそ、銀朱はどうしても瑠璃を救いたかった。

 父王の生前、銀朱は瑠璃を愛しているからと、北の大国・響の王との縁談を断ったことがある。そのことを知っているから、朝廷の大臣たちは瑠璃の父のみならず、彼女にも謀反の疑いを掛けて投獄した。そうして、瑠璃が無実を主張しているのを逆手に取って、神明裁判である祭文を要求してきたのだ。王家の守護神とされる蛇神と戦い、生き残ることができればその者を潔白とする――祭文はそういう儀式だ。だが、もちろん蛇神を相手にして生き残った者はいまだ一人もいない。圭の建国以来、祭文に掛けられた者は、どれほど優れた武人であっても、皆、蛇神に喰われる結末に終わった。

 ましてや。

 ――瑠璃は将軍も認めた優れた軍師だけれど……正直言って……剣術は人並みなのよね……。あの馬鹿、死ぬ気かしら? いえ、ぜったい死ぬ気だわ。

 瑠璃は想い人である前に幼馴染なので、その思考は手に取るように分かる。彼女は銀朱が救いの手として江青雲を差し向け、婚姻して国を去れと言ったことで、拗ねてしまったのだろう。たとえ蛇神に喰われようが、魂ごと滅ぼされて輪廻の輪を外れようが、梃子でも動かないつもりだ。何なら蛇神に打ち勝って圭国を呪ってやる、くらいのことは考えているかもしれない。そういう女だ。

「ああっ、もう、どうしたらいいの!? 今生で結ばれないなら、せめて生きてほしいという私の気持ちをどうして分かってくれないのっ!?」

 銀朱は癇癪を起して卓を叩いた。卓の上に広げられた箱の中、美しい玉の簪や腕輪、耳飾りなどがガチャガチャ音を立てる。いずれも玉を産する山を多く持つ響国の王からの贈り物だ。響王は海に接するこの圭の港と貿易行路を求めており、銀朱に求婚している。婚姻に応じれば、響国の法では女性の王が認められないため、おのずと圭国は響に吸収されてしまう。だが、数年前のように婚姻を断れば――響王は銀朱の兄と将軍が亡くなったばかりでの体制の不安定なこの国を攻めるだろう。そうなれば、圭は一たまりもない。

 すでに響王は侵攻の準備があることをほのめかしており、銀朱に婚姻を断る余地はない。朝廷の重臣たちもそうする他はないと言っている。もっとも、それは圭が滅びるのと同じことで――。

 ――どうすればいいのか分からない……。私では何も決められない。それなのに、こんなときに瑠璃が傍にいないなんて。

 癇癪を起したところで、時間は過ぎていくばかりだ。部屋の外から控えめな声で侍女が銀朱に支度を促す。

「公主様、じきに祭文の時間になります。今夜は響王様もご同席なさるそうで、ぜひお贈りした装身具を身に着けていただきたいとのことです」

 この辺り一帯の風習として、求婚の申し出とともに贈られた玉の腕輪を身に着けることは、婚姻の承諾を意味する。銀朱は眉をひそめた。ずっと父に護られる天真爛漫な娘でいられたら、どんなによかっただろう。瑠璃と二人、圭国の双花と呼ばれて宴で澄ましていた頃は気楽だった。けれど、いつまでもそうは言っていられない。庇護してくれる父も兄も亡く、頼れる片割れは監獄の中。そうして自分は圭の民を護る立場になった。

「着替えをするわ。手伝ってちょうだい」

 銀朱は侍女たちに衣装を持ってくるよう命じた。空色を基調とした衣に袖を通し、美しく化粧を施す。髪は流行の形に結い上げたが、侍女が玉の簪を挿そうとするのは止めた。

「簪よりも花がいいわ。百合の花が咲いているから、それを」

 生花の髪飾りは、瑠璃の好みだった。銀朱はむしろ銀細工の簪をよく使ったものだ。生花はどうしても萎れることがあるし、衣にふさわしい花が咲いているとも限らない。髪飾りにするには扱いが難しいところもあるのだが、瑠璃が言うには『それがいい』らしい。

『軍略も化粧も、いつも同じであってはいけません。いつも同じでは、敵にこちらの手を見抜かれる。あるいは何らかの要素が嚙み合わず失敗する。年を取って牡丹の花が似合わなくなったり、ね。軍略も化粧も時流を読むことが肝要であり、面白みなのです』

 ――時流を読むならば、今はどんな局面かしら。

 そう思いながらも、答えは定まりつつある。支度を済ませて、銀朱は侍女を連れて廊下へ出た。腕には響王から贈られた玉の腕輪。自分は戦を避けて民を護るために、圭を売ることになる。圭国の最後の王として、圭を売った愚かな女として名を刻むことになるだろう。それでも、せめて慈悲深さのために王としてこの国に引導を渡すのだ。

 辺りは日が暮れて夜になっていた。海から吹く初夏の風に、濃い草木の匂いが混じる。

 祭文が行われるのは、王宮の裏にある王室の聖地たる森だった。その中に、蛇神を封印している廟が建っている。

 廟は高い壁に囲まれていて、その壁の上に設えられた席に重臣たちが座っていた。中心部にいるのは響王だ。齢は二十五、戦場で指揮を執ることもあるという彼は長身で、体格がいい。金属の甲冑に身を包んだ姿は、いかにも将軍といった風だ。

 それに比べて、と銀朱は壁の上から聖地を見下ろした。廟の前の広場に、瑠璃が立っている。動きやすい衣に彼女の剣――戦に随行するときの瑠璃のいつもの格好だ。響王と違って、彼女は甲冑すら身に着けていない。蛇神と戦って勝てば無実とはいうものの、実のところ瑠璃の立場は生贄でしかないからだろう。

 と、そのとき瑠璃が視線を感じたのか、顔を上げてこちらを振り返った。その眼差しが真っ直ぐに銀朱に向けられる。瑠璃は――悠然と微笑んでみせた。もともと瑠璃はさほど武芸に長けていない。銀朱と模擬戦を行っても、銀朱があっさり勝つほどだ。蛇神の封印が解かれれば、間違いなく瑠璃は喰われる。しかし、絶体絶命の窮地にあるにもかかわらず、彼女はいまだ策を仕掛ける軍師の目をしている。

 ――瑠璃は、まだ諦めていない……!

 そう気づいて、銀朱は息を呑んだ。ざわざわとした喧騒が急速に遠のいて、その場に自分と瑠璃だけになったかのような感覚。いったいどんな策があるのと尋ねたいけれど、この場からでは自分の声が瑠璃に届くことはない。銀朱が唇を噛んだときだ。瑠璃がすっと右手を銀朱に向かって差し伸べた。まるで舞のように優雅で、確信に満ちた仕草だった。

「どういうことだ? あの謀反人は何のつもりなんだ?」

「謝瑠璃は何をしている?」

「公主様を誑かそうとしているのか」

「騙されてはなりません、公主様」

 重臣たちが口々に言う。銀朱は彼らを真っ直ぐに見て、次いで響王に視線を移した。彼もまた、余裕の笑みを浮かべている。銀朱が求婚に応じることを確信している様子だ。銀朱は迷いのない足取りで彼の元へ歩いていった。

「響王様にご挨拶申し上げます」

「銀朱殿、今夜はまた一段とお美しい。花の髪飾りがよくお似合いです。私の贈った玉の腕輪を身に着けてくださっているのですね。よく見せてください」

 言われるがままに銀朱は手を差し出し――響王の腰に佩いてある剣の柄を握った。そのまま踊るように距離を取りながら、剣を抜く。

「どういうつもりだ、夏銀朱。私に危害を加えれば、わが軍がこの圭国を攻める手筈は整っているのだぞ」

「危害を加えるなど、とんでもないことです」銀朱は嫣然と微笑んだ。腕を振って、玉の腕輪を振り落とす。カツンと音を立てて、腕輪は石畳の上に転がった。「あなたに危害を加えるのではなく、私が自ら危険に飛び込む。ただそれだけ」

 銀朱は身を翻し、壁の上から飛び降りた。




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