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傾国  作者: くまたろー
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虜囚

 謝瑠璃は暗く冷たい監獄の中にいた。

 つい三日前までは大陸の東南に位置するこの小国・圭の将軍の娘として、立派な邸で何不自由なく暮らしていたのがまるで遠い夢のようだ。それでも、この房は他の場所より環境がいいということを、瑠璃はよく知っていた。幾度となく、他国の間諜やこの圭国を裏切ろうとする逆臣の尋問をする父とともに、この監獄へ降りてきたことがあるからだ。本当に口の堅い者を自白させようとするならば、法で定められた回数の尋問だけでは足りない。だから、環境の悪い房に置いて、心身から害していかなければ人は存外、しぶといものだ。

 そうした扱いに比べれば、今の瑠璃などほんの囚人ごっこに過ぎない。この牢獄には瑠璃の名誉を守るため、牢番すらいないのだ。監守は時折、巡回にやってくるのみ。

 瑠璃は顔を上げて、傍らの衣装箱を見遣った。邸の自室から持ち込まれたそれには、数日分の着替えと化粧道具、それに数冊の書物が入っている。書物は貧しい娘が王に見初められて輿入れするまでの波乱万丈の恋愛譚に、恋の詩。瑠璃がそうしたものを好むと知ったとき、幼馴染は苦笑してみせたものだった。

 ――将軍の娘は、兵法書を読むのかと思っていたわ。

 確かに兵法書も読みはする。だが、瑠璃自身は若い娘らしい恋愛譚が好きだし、撫子色や空色、藤黄のような鮮やかな色合いの衣、華やかな化粧を好む。髪だって、玉の簪を挿すより色とりどりの花で飾りたい。圭国の公主・夏銀朱の遊び相手として選ばれたときから、瑠璃の役目は彼女が公主らしい公主――政略結婚のための見栄えのいい器としての――にふさわしい存在になるため、共に娘らしく過ごす役目を負っていた。着飾り、化粧をし、恋の話にうつつをぬかすよう。

 ただ、将軍である父の娘として生まれたからには、『それだけ』では済まなかった。圭国で絶大な人気と人望を誇った謝将軍の娘として、瑠璃は父から兵法書の手ほどきを受け、ともに戦場へ赴き、尋問の牢獄へ降りた。銀朱には兄である公子がいたけれど、瑠璃は一人娘であったから、息子の役割も果たさねばならなかったのだ。

 父は、身を粉にして圭のために働いていた。実直で公正な性格で、正々堂々とした一騎打ちを好むような武人で、政治を苦手としていた。そんな父を好ましく思わない者は多かったのだろう。銀朱の父たる先王が病死して半年。銀朱の兄である公子と瑠璃の父が戦死するや否や、謝家には謀反の疑いが掛けられ、あっという間に瑠璃は捕らえられた。その速さには、腹が立つよりもいっそ感心したほどだ。幸いなことに母はすでに儚くなっていたから、謝家で投獄されたのは瑠璃一人だった。

 そうして、沙汰を待つことすでに三日間。本来、謀反人とされた人間はもっと迅速に尋問を行われねばならない。三日間も監獄で放置するのは、あり得ないことだ。ところが、今、こうなっているのは、朝廷と王室が混乱しているということだろう。

 王も公子もいない今、圭王を継ぐのは銀朱しかいない。圭国に跡継ぎが女子しかいない場合の法の定めはない。だが、彼女は王になるための教育を受けていなかった。ただただ、圭のために有利な婚姻の駒として育てられてきたのだ。朝廷で起きている議論が、瑠璃には手に取るように分かった。書物を手に取り、恋の詩を吟じながら朝廷での議論に思いを馳せる。

 おそらく銀朱は、王を継ぐならば瑠璃を傍に置きたがるだろう。彼女はそういう性分だ。けれど、重臣たちがそんなことを許しはしない。彼らは謝家を危険視していて、人望と影響力を削ぎたがっているのだから。

 ――きっと、もうじき、答えが分かる。

 そんなことを考えながら、瑠璃は手元の書物から恋の詩を吟じる。娘らしい、鈴がなるような美しい声音で吟じる詩は、宴の席でたいそう喜ばれたものだ。朝廷の重臣の家から父へ、瑠璃との婚姻の申し入れもいくつかあった。瑠璃はそれをことごとく、丁重に断ってきたために重臣たちの中には瑠璃自身を憎む者もいる。

「……上手なものだな。まるで迦陵頻伽(かりょうびんが)の歌だ」

 近くの房から不意に声を掛けられる。昨夜、房に連れてこられた男だ。瑠璃は詩を吟じるのをやめて、そちらへ顔を向けた。もちろん、格子があるために相手の姿は見えない。

「ご冗談を。わたくしの歌など極楽浄土に舞う鳥には敵うわけもありません」

「圭国の双花の片割れと名高い謝家の姫が、謙遜するものではないさ」

 相手は、声と口調から察するに、それなりに身分の高い若い男のようだった。それに、口ぶりからして彼は圭国の人間ではないようだった。圭国の者ならば、公主である銀朱と将軍の娘に過ぎない瑠璃を並び称するのは、銀朱に対する不敬になると承知している。男はおそらく異郷の出身で、しかし、圭国からさほど離れていない土地に暮らしているのだろう。

 瑠璃は頭の中で、今、監獄にいる中で該当しそうな相手を思い起こそうとした。銀朱の父である圭王が亡くなって半年――いまだ政情の安定しないこの国を探ろうとする間諜は少なくない、けれど。

「……失礼ですが、あなたはどなたでしょう? わたくしが先ほど吟じた詩を解するとは、詩を学ばれたことがおありですね? そのような方がこの監獄に入れられているとは」

「私に興味を持ったか、謝瑠璃殿。それならば話が早い」男は牢の格子に近づき、灯を自分に近づけて瑠璃に顔を見せた。声の印象通りの若者だった。「私は隣国・凌の貴族で、江青雲という。圭国の内情を探った疑いで、昨日、捕らえられてな。濡れ衣で困っていたところ、銀朱公主様に取引を持ち掛けられたのだ」

「……何と?」

「明後日、あなたは祭文(さいもん)に掛けられる可能性が高いそうだ」

「祭文……」

 その言葉に瑠璃は目を見開いた。祭文とは、神の前で潔白を証明する神明裁判のことだ。審判を受ける者は剣を一振り与えられ、王室が祀る神の廟の前へ引き出される。王室の守護神は今は王宮となっている聖地の森を護っていた蛇神だ。かつて、初代圭王がこの地にやって来たとき、民に頼まれて危険な蛇神を討伐することになった。多くの被害を出しながらも、王の三人の子のうち末の娘が蛇神に、今後は一族で蛇神に仕えて廟に祀ると約束して封印を成功させたのだ。その蛇神は普段、封じられているために力の源となる人の魂を求めている。時折、祭文で解放された大蛇は、哀れな被告に食らいつき、魂ごと丸呑みにして腹に収めてしまう。つまり、大蛇に喰らわれれば、来世すら望めない。

 そんな過酷な神事を自分に科そうとしているとは。

 ――わたくしも、重臣たちにずいぶん嫌われたものね。

 今世が望みどおりにならないとしても、来世すら夢見ることができぬとは、あまりに残酷な。瑠璃は親指を唇に持っていき、爪を噛んだ。祭文と聞いて恐怖が腹の底から上がってきているが、父の娘として、謝家の生き残りとして、みっともなく取り乱す様は表に出せない。爪を噛むのが精いっぱいだ。

 そんな瑠璃の様子を、どう思ったのだろうか。青雲が静かな声で言葉を続けた。

「だが、私は公主から取引を持ち掛けられた。祭文の前に、あなたが私と婚姻して圭国を離れれば、あなたへのすべての疑惑を不問に付す、と。私がこの国で為していた間諜行為も、見なかったことにしてくれるらしい。……お互い、悪い取引ではないと思わないか?」

「――そうですわねぇ……」瑠璃は爪を噛むのを止めて、顔を上げた。牢ごしに青雲を真っ直ぐに見つめる。「しかし、もっとよい取引がございます。凌国の江宰相様のご子息、青雲様。あなた様が上手く立ち回ってくださるのなら、生きて国元へ戻り、最愛の許婚と婚姻することも可能でしょう」

「私を知っているのか。美しいばかりの花かと思っていたが、私はそなたを誤解していたようだ」

「わたくしは謝家の一人子ゆえに、父はわたくしを娘であり、息子でもあるように育てるしかなかったのです。ですから、軍略くらいはわたくしもできますの」瑠璃は結い上げていた髪を解き、中から簪を取り出した。それを青雲に投げた。「さぁ、お行きなさい。ここを逃れて、あなたの国へ」

「しかし、それではそなたは非力な女の身で蛇神に挑むことになるが」

「……構いません。わたくしは、謝家の跡取り息子にはなれなかったし、公主様の夫にもなれななかった。家門を廃され、名誉を奪われ、この上、来世をも許さぬと言われるのならば、わたくしにも考えがあります。この身一つでこの圭の国をひっくり返してみせましょう」

 わたくしの望みのためにあなたは行ってください、と瑠璃はきっぱり言った。




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