6.
妣之島水族館から車に乗せられて二十分ほど移動すると、行く手に白壁の建物が見えてきた。一階に広々としたウッドデッキが併設された洋風の建物で、一見した限りでは、大きくて立派な二階建ての民家に見える。家の前には車が五台ほど停められそうな駐車場。
その駐車場に面した二車線道路の向こうは松林になっており、林を抜けると妣之島海水浴場へ出られるようだった。
『福浦荘』
瞬間、駐車のために方向転換した車のヘッドライトが、道路からよく見える位置に設置されたアーチ型の吊り看板をちらりと照らす。
そこに記された文字が、目下、隣で車を運転している女の苗字と同じであることに気がついて、ここが彼女の言っていた「実家の民宿」かと、璃久は泣き疲れた頭の片隅で思った。
「よし、お待たせー。降りて降りて」
ほどなく駐車場の一番端に車をバック駐車した妣之島水族館の飼育員、福浦夏帆に促された璃久は、言われるがままするりとシートベルトをはずした。そうして助手席のドアから車外へ降り立てば、磯のにおいを孕んだ潮風がふっと全身を包み込む。けれどもその風の中に、食欲をそそる味噌汁の香りが微か混じっているのを感じて、璃久はまたショルダーバッグのストラップをぎゅうと握った。
そうしないと朝から何も食べていない腹の虫が、無遠慮に空腹を訴え出してしまいそうな予感がしたからだ。
「ごめんねー、すっかり遅くなっちゃって。おなか空いたでしょ?」
「いえ……大丈夫、です」
「あははっ、遠慮しなくていいよ、私もおなかペコペコだもん。この時間ならお客さんの食事の配膳もあらかた終わって落ち着いてると思うし、お父さんたちにサクッと挨拶したらすぐにごはんにしよ。あ、表はお客さん用の玄関だから、私たちの出入りはこっちね」
水族館で最初に見かけた作業着姿から、大人っぽいノースリーブにワイドパンツという軽装に着替えた夏帆は、何のためらいもなく璃久を『福浦荘』の裏手へと案内した。
何でもここは彼女の両親が経営する民宿で、表側が客を泊めるための施設、裏側が福浦一家の住居兼従業員の下宿となっているらしい。
しかし下宿と言っても、従業員が入るのは一年の内で最も忙しい七月から八月の間のみで、常に家族以外の誰かを雇っているわけではないようだ。いわゆる季節従業員とかリゾートバイトとかいう、繁忙期にだけ手伝いに来る従業員がほとんどで、それ以外の季節は基本的に夏帆の両親がふたりで業務を回しているという。
「ただーいまー」
やがて夏帆に連れられて向かった民宿の裏手は、表から見たときの瀟洒な洋風の外観から一転、なんと真逆の純和風な佇まいとなっていた。外壁が白で統一されているのは変わらないものの、裏庭に向かって迫り出した玄関の上には黒い日本瓦の下屋が乗っている。
一階の茶の間と通じているらしい掃き出し窓の外には縁側まであるし、軒下には古式ゆかしい硝子製の風鈴が吊られていて、チリリリリン、と澄んだ音色を奏でていた。その音色がどことなく水族館で耳にしたリィンの歌声を思わせて、璃久はつい軒先で足を止めてしまう。
「あーっ、夏帆姉、おかえり! 噂のバイトくんは!?」
「ん、連れてきた。お父さんたちは?」
「まだ食堂でお客さんの相手してるよ。あたしは、今日は手伝いに出なくていいって言われたから、夏帆姉たちの分のごはん用意して待ってた!」
「おー、さすが気が利くじゃん。あおいが料理してくれたの?」
「いや、まさか。お客さんに出した料理の余りを綺麗によそっただけですが何か?」
「それ、自信満々に胸張って言うこと? まあいいや……えっと、あれ、璃久くん、そんなとこで立ってないで入っていいよ」
と、そのとき不意に玄関を上がった夏帆から声をかけられて、風鈴に気を取られていた璃久ははっと我に返った。
そうして、直前まで意識の外で聞こえていた賑やかな会話に気後れしつつ、おずおずと玄関の引き戸をくぐる。
「お……お邪魔しま──」
「──あーっ!? えっ、うそっ、君、今朝、水族館で会った……!」
ところが璃久が意を決し、どうにか喉の奥から絞り出した挨拶は、甲高い少女の叫びに掻き消された。キーンと軽い耳鳴りがするほどの大声に圧倒されつつ、ぎょっとして見やった先には見覚えのある顔がある。活発そうな黒のショートヘアに、半袖のシャツとデニムのホットパンツ。くりくりとしていてよく動く、人懐っこそうな瞳。
ああ、そうだ。間違いない。
今、夏帆の隣で絶句している裸足の少女は、今朝、妣之島水族館のチケット売り場の列で声をかけてきたあの少女だ。これには璃久も面食らい、驚きのあまりものも言わずに固まった。するとそんなふたりを交互に見やった夏帆が、意外そうな顔をして口を開く。
「え、何、あなたたち、知り合い?」
「い、いや、知り合いっていうか、ちょうど今朝水族館に行ったときに、チケット売り場で偶然隣同士で並んでて……で、そんときちょっとだけ喋ったの! 順番待ってるあいだ暇だったから、あたしから声かけてさ」
「へえ、そうだったんだ? すごい偶然じゃない。璃久くん、この子は私の従妹の白浜あおい。毎年夏休みにうちの手伝いに来てもらってるの。あおい、彼が急遽来てもらうことになったバイトくんで、香山璃久くん。あおいと同い年で、仙台から来たんだって」
「知ってるよ、あたしも今朝聞いたもん! だけどびっくりしたー、まさか君が噂のバイトくんだったなんて! あ、でも、島には観光で来たって言ってなかったっけ?」
「その、つもり……だったんだけど。俺、今、無職で……次の仕事、ちょうど探してたから……って話したら、福浦さんが……」
「うん。ほら、一緒に来てくれるはずだったあおいの友達が来れなくなって、バイトがひとり欠けちゃったでしょ。お父さんはあおいだけでも何とかなるって言ってたけど、やっぱ人手は多いに越したことないし」
「うわー! さすが夏帆姉、超助かるー! 確かにあたしひとりでも何とかなるかもしんないけど、それじゃ遊びに行く時間作れないじゃんって思ってたの! マジで来てくれてありがとー! えっと、名前、あたしも璃久くん……いや、りっくんって呼んでもいい!?」
「え……あ、うん……べ、別に好きに呼んでもらっていいけど……」
「じゃあ、りっくんね! 明日からよろしくねー、りっくん!」
と、相変わらず屈託も気後れもない弾んだ声で、満面の笑みと共にあおいは言った。その笑顔があまりにも太陽じみているものだから、まぶしさに怯んだ璃久はうつむきながらこくりと頷く。
……「りっくん」。
そんな風にあだ名で誰かに呼ばれたのなんて、いつぶりだろうと思わず考え込んでしまった。ひょっとしたら十六年間の人生で初めてかもしれない。だから、こんなに面映ゆいのか。
おかげでどんな反応を示せばよいのか分からず、璃久がじっと足もとの土間に貼られたタイルの目地を睨んでいると、突然死角からぴょんっと、サンダルを突っかけた足が視界に飛び込んできた。
驚いた璃久がびくっと震えて顔を上げれば、眼前ににんまりと笑ったあおいの顔がある。いくら今朝、少しばかり言葉を交わしたとはいえ、お互い初対面であることには変わりないのに、やはり彼女は微塵も臆さず、知らない森に連れてこられた小動物のごとく振る舞うしかない璃久の腕をぐいと掴んだ。
「んじゃ、上がって上がって! りっくんもごはん、まだだよね? もうひとりバイトくんが来るって聞いて準備しといたんだ! 一緒に食べよっ!」
「え……あ……うん、でも、その前に、挨拶……」
「ああ、そうだね。ちょっとお父さんたちの様子見てくるから、あおいは璃久くんを茶の間に案内しといて。あ、あと私の鞄、邪魔だから適当に置いといてくれる?」
「はーい! 中身は覗かないので安心して下さい!」
「いや、別に覗かれて困るようなもの入ってないから。璃久くんも気にせずくつろいでてね」
そう言って肩から提げていた水色のトートバッグをあおいに預けると、夏帆はすたすたと家の奥に向かって歩いていった。鞄を預けられたあおいはそれを左手に提げながら、躊躇なく璃久の手を引いて玄関を上がる。璃久もつられて靴を脱ぎ、上がり框に足をかけた。
あおいはそのまま玄関を上がってすぐの廊下を右へ曲がる。
すると歩幅にして四歩ほどの距離に開け放たれた格子戸があり、戸の先は畳敷きの和室になっていた。先程璃久が気を取られた風鈴は、この部屋の掃き出し窓の先にある縁側に吊られていたようだ。
築年数はさほど経っていないように見受けられるのに、どことなく昭和の香りがする茶の間。正方形に敷かれた八畳の畳の真ん中には大きな円形のちゃぶ台が置かれ、隅にはテレビ、奥には茶の間との間に仕切りのない、ダイニングキッチンのような造りの台所があった。
「じゃーん! 裏の家はめっちゃ和風でびっくりしたでしょ? うちの伯父さんと伯母さん、変わり者だからさ。家建てるときに洋風の家にするか和風の家にするかで夫婦で揉めて、じゃあ洋風の家と和風の家をくっつけて民宿でもやるか! ってなったんだって」
「……発想がすごいな」
「でしょー!? そんでほんとに民宿始めちゃうんだからウケるよね! あ、席は適当なとこに座って! 蠅帳の乗ってる席ならどこでもいいよ~」
そう言いながら、夏帆から預かった鞄を言われたとおり適当に置いたあおいは、その足で奥の台所へ向かい、冷蔵庫から取り出した麦茶をグラスへ注ぎ始めた。そんな彼女を一瞥したのち、璃久は改めて知らない家の茶の間をぐるりと見回す。あおいの言う〝ハイチョウ〟というのが何のことか分からなかったためだ。
とは言え〝席〟と言われて思い当たるのは、目の前に置かれたちゃぶ台しかない。ちゃぶ台の周りには藍色の座布団が五つほど置かれていて、うち、三つの座布団の前に食事が用意してあった。
で、いくつか並べられた小皿の上には、極小のテントのようなものが被せられている。恐らくはコレが〝ハイチョウ〟だろうと分からないなりに当たりをつけて、璃久はやや挙動不審気味に腰を下ろした。
しかし席に着いたはいいものの、落ち着かない。本当にここへ来てしまってよかったのだろうか。あおいはあのとおり歓迎してくれているし、夏帆も事前に両親に電話して許可は取ったと言っていた。
けれども今朝、耐えられなくなって脱走してきた会社でもそうだったように、また厄介者扱いされてしまったら? そう思うと、肩から下げたままのバッグを下ろす気になれない。背中がじっとりと汗に濡れて、いつでも逃げ出せるように、という魔法の言葉を、握り締めたナイロン製のストラップに擦り込まずにはいられない。
「はい、お茶どーぞ。にしてもこんな形でまた会うなんてほんとびっくりだよねー。りっくん、どこで夏帆姉に声かけられたの? 最初はほんとにただの観光で来たんでしょ?」
「うん……まあ、そう……だけど。俺、水族館で閉館のアナウンス、聞き逃して……で、ずっと館内にいたところを、福浦さんに見つけられて……」
「えっ? 閉館のアナウンス、ってことは君、朝からずっと水族館にいたの?」
「う、うん……人魚見たの、初めてだったから。歌、もっと聴きたくて……」
「あー、リィン、歌ったんだ? 珍しいね。じゃ、ずっとリィンの水槽の前にいたら夏帆姉に声かけられて、うちでバイトしない? って誘われたってこと?」
「……まあ、そんなとこ」
と経緯を曖昧にはぐらかしながら、璃久はあおいが運んできてくれた麦茶を誤魔化しまぎれに口へ運んだ。本当は自殺目的で島へ来たはずが、死ぬのが怖くなって大泣きし、それを見た夏帆が何か訳ありらしいと察して話を聞いてくれた、とは口が裂けても言えなかった。
無論、自殺するために来たことは夏帆にも話していない。
ただ、中学卒業と同時に入社した小さな建設会社での仕事がうまくいかず、先輩社員たちとの人間関係にも苦しんで、今朝、会社の寮を飛び出してきたことは話した。
中卒の璃久を雇ってくれた上、住込みで働ける好条件の職場であったことは確かだが、もうどうしてもあそこへは戻りたくない、と。
璃久を水族館の事務所まで連れていき、根気強く話を聞いてくれた夏帆は、一度就職した職場から無断で逃げ出してきたのはよくないと窘めつつも、そういうことならしばらく民宿で働かないかと誘ってくれた。理由はさっき夏帆があおいに説明していたとおり、手伝いに来るはずだったアルバイトがひとり欠けてしまったためだ。
「その代わり今すぐとは言わないから、逃げてきた会社に電話して、きちんと自分で〝退職させて下さい〟と伝えること。それが約束できるなら、しばらくうちに置いてあげる。まかない三食と寝床つき、日給七千五百円。かなり忙しいとは思うけど、明日から八月いっぱいまで働けば二十万くらい稼げるよ。……どうする?」
一ヶ月とちょっとで二十万。悪くない話だった。民宿の手伝いと大工見習いではまるで勝手が違うだろうが、前の会社での月収にちょっと色がついた程度の金額だから、こちらを騙すつもりで適当なことを言っているわけではない、というのもすぐに分かった。
会社に電話をしろという話は、正直嫌だ。呑みたくない。
無断で逃げてきた上に退職の意思など伝えようものなら、いつものように親方から怒鳴り散らされるに決まっている。
けれど、ここで差し伸べられた手を取らなければ死ぬしかない。
死ねばもう二度とあの歌は聴けない。璃久の中の黒く凍った感情を溶かし、愛し子のように抱き締めてくれたリィンの歌を。
それは、たぶん、死ぬよりもっと怖いことだ、と思った。
だから答えを先伸ばしすることにした。都合の悪いことから逃げているだけだと、頭のどこかでは分かっていても──今日、この手を取れば明日もまた、リィンに会えると思ったから。
「おう、あおい。その子が例の助っ人か?」
ところが刹那、突如背後から聞こえた野太い声に鼓膜が震え、璃久はびくりと我に返った。と同時に、大股でのしのしと歩く足音が茶の間に入ってくる気配を感じて振り返る。そこにある引き戸の向こうからぬっと姿を現したのは、見上げるような大男だった。
少し腰を屈めて戸をくぐってきたところを見るに、身長は一八〇センチを超えていると思われる。日焼けした肌にがっしりとした体格はいかにも海の男といった感じで、顔だけ見ると年齢は五十四、五歳くらいかと思われるが、黄色地に青い柄のアロハシャツといういでたちは何とも派手で若々しかった。
「あ、伯父さん! 伯母さんは?」
「食堂にまだお客さんが残っててな。日路江はあとから来るわ。んで君が夏帆が連れてきたっつう香山君か」
「は……はい。よろしくお願いします」
あおいに「伯父さん」と呼ばれているということは、どうやら彼が夏帆の父親にしてこの宿のオーナーであるらしい。
そう察知した璃久は慌てて立ち上がり、背中から汗が噴き出すのを感じながら頭を下げた──どうしよう。思ったよりデカい。怖い。
下手な口をきいたら、また殴られるかも──
「わははは! よく来たない! ちょうどバイトが足んねぐて困っでだとこだったんだ! 急なことで申し訳ねえけど、こっちこそよろしぐな!」
瞬間、畳に向かって下げたままの額から、雫の姿を取った緊張と恐怖とが滴り落ちようとしたまさにそのとき、璃久は大きな手にバシバシと背中を叩かれて、思わずつんのめりそうになった。突然の衝撃にぎょっとしつつも何とか踏ん張り、目を白黒させながら顔を上げる。
そこでは白い歯を見せた大男がニカッと笑い、顔中の皺をくしゃくしゃにして満足げに腕を組んでいた。が、そんな男の背後から、
「お父さん、自己紹介」
と呆れたような夏帆の声がする。
それを聞いて「おお!」と目を丸くした大男は、すっかり忘れていたとでも言いたげに頭を掻きながら口を開いた。
「悪ィ悪ィ。夏帆から聞いでっと思うけど、俺がここのオーナーの福浦拓海ってもんだ。俺も香山君のことは夏帆からだいたい聞いだ。まあ、なんか色々あるみてえだけど、一応前の会社は辞めてきたってことでいいんだべ?」
「は、はい……退職願、とかは、ちゃんと出してこなかったんですけど。でも、仕事辞めます、って置き手紙は、一応……」
「んだったらとりあえずは大丈夫だっちゃ。ただ、向こうも心配して探してっかもしんねえし、雇用保険の手続きとかもあっから、夏帆の言うとおり、電話すんなら早めにした方がいいど」
「こよう……ほけん?」
「んだ。あおいは学生だからかけねぐていいけど、香山君は社会人だから必ず保険さ入らねげねんだ。あと、あおいと同い年ってことは未成年だべ? したらバイトすんのにも保護者の了承が必要だっちゃ。んでねえと、俺が香山君ば誘拐したことさなっちまうからなあ」
「え!? なんでバイトとして雇うのが誘拐になるの!?」
「法律でそういう風に決まってんだからしょうがねえべや。香山君、親御さんには連絡取れんのか? 親御さんでねくても、じいちゃんとかばあちゃんとか、代わりの保護者の人でもいいけども」
「……」
──親。保護者。祖父母。拓海から投げかけられた言葉がぐるぐると脳裏を巡って、璃久は黙り込んだままうつむいた。
保護者の了承が得られなければ、誘拐。世の中にそんなルールがあるなんて初耳で、何と答えればいいのか分からない。
やはり答えを先送りにするなんて考えが甘かったのか。親の了承が得られなければここにはいられないというのなら、璃久には無理だ。
父親は生きているのか死んでいるのかも分からないし、母親とは連絡を取りたくない。施設から出してもらうための条件として就職した会社から逃げ出してきた今、居場所がバレればまた施設に放り込まれるかもしれない。でも、あの地獄に逆戻りするなんて嫌だ。
絶対に、嫌だ……。
「……お父さん。中学卒業したばっかりの子にそんな話しても分かんないだろうし、詳しい話は明日でもいいんじゃない? とにかく今日は璃久くんも疲れてると思うから、うちに泊めて休ませてあげなよ」
と、そこへひと筋垂れた蜘蛛の糸のような救いの手が差し伸べられた。全身汗だくになってうつむいた璃久がわずか視線を上げて見やった先には、相変わらずの呆れ顔で父を諫める夏帆の姿がある。
すると拓海はまたしても「おお!」と目を丸くしたのち、地元の訛りがきつい口調で「んだなや!」と破顔するや、たぶん伯父があおいの血縁だろうなと確信できる無遠慮さで、再びバシバシと璃久の肩を叩きまくった。
「悪ィ悪ィ! んじゃ詳しい話はまた明日聞ぐから、今日はなんも気にしねで休んでけらい! ほれ、うちのカミさんが作ったメシはうめど! 遠慮しねでいっぱい食ってけろ!」
そう言って最後まで豪快にわははと笑いながら、拓海はさながら嵐のごとく立ち去った。
恐らくは接客に戻ったのだろうが、勢いについてゆけずに璃久が固まっていると、ため息をついた夏帆が苦笑を向けてくる。
「ごめんねー、璃久くん。うちのお父さん、いつもあんな感じだから気にしないで。とりあえず、私たちもごはんにしましょ。腹が減っては何とやらってね」
「賛成! じゃ、りっくんは座ってて! 夏帆姉、今、あら汁あっためてるからよそってくれる? あたしはごはん盛るー!」
「はいはい。ちなみにごはん、何合炊いた? 足りるよね? まあ、足りなくても最悪、冷凍したごはんいっぱいあるから大丈夫だけど」
「新しいバイトくんが来るって聞いてたから、伯母さんに言われて多めに五合炊いたよ! 伯父さんと伯母さんの分含めても、たぶん足りると思うけど……」
まるで従姉妹というより姉妹のような会話をしながら、あおいと夏帆が台所で夕食の支度をするのを見やりつつ、璃久は再びそろそろともといた席に正座した。そうしてしばし考えたのち、ショルダーバッグを肩から下ろして脇に置く。とりあえず、今夜は逃げ出さなくても大丈夫そうだ。この一家は信用してもいい気がする。
けれども、問題は明日だ。自分の身の上を彼らにどう説明したものか。説明したら、やはりここには置いておけないと掌を返されるかもしれない。会社の寮を無責任に脱走してきただけでなく、親にまで捨てられるような問題児の面倒など、うちでは到底見切れない、と。
『おまえのせいで俺の人生ぶち壊しだよ。なんであのとき陽子を選ばずに、おまえみたいなゴミを取っちまったんだ……』
いつか吐き捨てられた父親の言葉が、胸の奥の暗闇から顔を出す。
ああ、歌が聴きたい。カーテンの閉め切られた窓の向こう、そこでチリン、チリンと鳴っている、風鈴の音に似たあの歌を。