12.
「え? ああ、璃久くんですか?」
その日、昼休みを終えて事務室へ戻った夏帆がパソコンに向かっていると、館長の善作から唐突に声をかけられた。
「ええ、そうです、昨日から福浦荘でアルバイトをしてもらうことになって……さっき従妹から連絡がきてたんですけど、親御さんの許可も無事取れたみたいなんで、しばらく住み込みで働いてもらうことになると思います」
「んだか。その、璃久君、ってえのか? 昨日、事務室さ来て長いこと話す合っでだって聞いたけども、なんか訳ありかね?」
「あー、えっと……実は昨日は、勤めてた会社を無断で抜け出してきた直後だったみたいで。何でも前の職場とは、人間関係の折り合いがつかなかったらしいんですよ。で、ついに耐えられなくなって逃げ出してきちゃったって……」
「へえ。でもあの子、見た目高校生くらいじゃなかった? もしかして中卒で働いてんの?」
と、そこへ斜向かいの席から口を挟んできたのは、同じ飼育展示係の木戸だった。そういえば昨日、璃久を事務室へ通したとき、彼もここにいたような気がする。が、相手が十代の少年だからといって、他人の身の上話をぺらぺらと周りに話していいものだろうか。
内心そう逡巡しながら、夏帆は慎重に言葉を選んで答えた。
「ええ、何でも今年中学校を卒業したばっかりだそうで……しかもよくよく話を聞いてみたら、昨日までは会社の寮にいたから行くあてがないっていうんですよ。だから、一旦うちへ連れて帰ることにしたんです。ちょうど手伝いに来るはずだったアルバイトの子が来られなくなって、うちの親が〝代わりのアルバイトがほしい〟って言ってたところでしたしね」
「ほお~。んだけど、さっぎ、親御さんの許しばもらったっつってたべ? ってことは会社辞めでも、別に実家さ戻れば良がったんでねえのか?」
「まあ、そうなんですけど……入ったばかりの会社から逃げてきた、なんて知られたら、親御さんに怒られると思って、帰るに帰れなかったんじゃないでしょうか。あのくらいの年の男の子って、それでなくとも親との関係が気まずくなりがちですし」
「あー、思春期に反抗期ってやつか。そういや俺にもあったな~、親に反発して実家に寄りつかなかった時期。そういうのって、館長の時代にもやっぱありました?」
「……」
「……館長?」
「……ん? ああ、悪り悪り。んだな。そんでなぐとも、今時十代で社会人さなるっつうのは珍しいべ。反抗期とがっていうよりも、なんかかんか、家庭に問題のある子なんでねえのか?」
「そのあたりは、私も詳しくは聞いてないんですけど……でも昨日のうちでの様子を見てると、人見知りなだけで根はいい子そうですよ。たった三ヶ月とはいえ社会人をやってただけはあって、十五歳にしては落ち着いてるし、礼儀正しいですし」
「んだか? まあ、拓海君が大丈夫っつうなら大丈夫なんだべけどもや、ちょっど気になる子だない」
と、やや肉の垂れた顎を擦りながら善作が言うのを聞いて、夏帆はどう反応するのが正解か分からず、とりあえず苦笑を返した。
実を言えば、あの香山璃久という少年が、単に仕事から逃げてきただけの身の上でないことは夏帆も何となく察している。
こちらが話しかけると終始おどおどして、ほとんど常に下を向き、会話の間も他人の目を見て話せない。
話し方もどこかぎこちなく、他人の視線に晒されるたび緊張して身を固くしているさまは、いつも何かに怯えているように見えた。
あんなのは恐らく誰が見たって、何かしらの問題を抱えた子どもだと分かるだろう。善作の言うとおり、中卒で働きに出ていることや、両親を頼らずこんな離島に逃げてくる時点で、きっと普通の子ではないのだろうと察しがつく。
にもかかわらず、夏帆が璃久を連れて帰ることを決めたのは、似ている、と思ったからだ。十四年前──少しずつ震災から立ち直っていくこの島で、ただひとり時間が止まったみたいに海岸へ通っては、日が暮れるまでぼんやりと人魚の歌を聴いていた父の拓海に。
「……。それに、樹里にもちょっと似てるんだよね……」
「ん? 福浦君、今、何つったのや?」
「……えっ? あ、す、すみません、何でもないです! と、ところで館長、来月の人魚祭でやるリィンのイベントの件なんですが──」
「──ねえ、福浦ちゃんいる!?」
ところが夏帆が記憶の中の暗い影を振り払い、慌てて話題を変えようとしたときだった。
突然、事務室の扉がものすごい勢いで開かれたかと思えば、同性の先輩である大佐野が興奮した様子で飛び込んでくる。
「おう、なした、大佐野君? ほだに血相変えで」
「あっ、か、館長、戻ってらしたんですね! ちょ、ちょっと今、人魚水槽の監視カメラ見れますか!?」
「えっ……も、もしかして、リィンに何かありました?」
「違う違う! そうじゃなくて──歌ってるの、リィンが今日も! しかもさっきから、三回も連続でね!」




