第14話 異形の境内、蛙の声
無限に続くかと思っていた石畳に遂に終わりが見えて来た。だがそれは晴馬を安堵させるのではなく、寧ろ更なる恐怖に彼を陥れることになる。
「止まれ、止まってくれ俺の足...!!」
夢の中で泣きそうになりながら、晴馬は言う事を聞かない両足に叫んでいた。しかしどれだけ大きな声で訴えかけてもその足は決して止まらず、石畳と同じ位ボロボロの石段をゆっくりと登っていた。
石畳と異なり石段はせいぜい30段位の短いものだった。そしてそれを登り切った時目の前に広がった光景に、晴馬は恐れおののく。
「境...内?」
そこは変わらず伸び放題の木々に囲まれた、神社の境内と思わしき場所だった。もっとも”思わしき”と表現した通り、そこに存在するものは全て異常だった。
まず石で造られた鳥居。本来は境内の入り口にあるそれが、ここには何故か拝殿へと続く道の途中に建てられていた。しかもこんな場所に無ければ鳥居と判断出来ない程に歪な形で、巻き付いた注連縄もズタズタになっていた。
次に手水舎...のような東屋。今にも崩れそうな屋根の下には土を固めて作られたような、これまた歪な形の水盆があり、中に溜まった水には蓮の葉が浮かんでいる。
そして晴馬が向かう先にある、拝殿。これだけは何故か綺麗に整えられていたが、それが返って晴馬の恐怖を煽った。
晴馬はもはや自分とは別の生き物のようになった両足に導かれ石の鳥居をくぐった。恐ろしくて、もはやそれに一礼する余裕など無い。
拝殿まであと数十歩...というところで足がぴたりと止まった。しかしその代わり晴馬は全身に金縛りを受け、瞼の一つすら動かせなくなってしまった。
(覚めろ、お願いだから覚めてくれ...!)
しかしどれだけ念じてもおどろおどろしいこの空間から解放される気配は無い。そうこうしていると
ケロ...ケロ...ケロ...
周囲から蛙の声が聞こえて来た。蛙の声なんて、夏休みに親の実家に帰省した時位しか聞いたことが無い。それが何故、ここで。
声はどんどんと大きくなる。所謂カエルの合唱のような、幾つもの蛙が次々と輪唱に加わるのではなく、たった一つの声が大きくなっている―
「晴馬!!」
母の声で晴馬はようやく目覚めた。ぼんやりとした目で天井を仰ぐと母と父親の修が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「母さん、父さん...俺」
「朝起きたらお前が『止まってくれ俺の足!』で寝ながら叫んでいてな。酷くうなされていたから起こそうとしたんだけど、母さんと俺がどれだけ揺すっても起きないから」
「そう...なんだ。ありがとう、起こしてくれて」
「ねぇ晴、最近あなたおかしいわ...。お願いだから今日は学校休んで。この間だって練習試合の途中で帰って来たんだし...」
「ダメだよ!今日から文化祭の準備なのに!!」
それを聞いて晴馬は慌てて飛び起きた。
彼の言う通り、今日から関央は今週の休日に開催される文化祭の準備が始まる。学生にとっては年に一度の、かけがえのない青春の時間だ。晴馬は文化祭そのものは勿論のこと、クラスの皆で「あーでもない、こうでもない」しながら催し物を完成させる二日間が大好きだった。それに準備期間中なら、「隣のクラスの進み具合見て来る」という体で合法的に渚に会いに行ける。
「お願い母さん!俺本当に大丈夫だから!せめて今週だけは学校行かせて!」
ベッドの上で晴馬は必死に訴えかける。それを見た両親は困惑した様子で顔を見合わせた。
これで体調があからさまに悪かったり、精神的に追い詰められているような素振りが明確にあれば容赦なく家に縛り付けられるのだが、見たところ息子はすこぶる元気そうだ。以前とは異なり、異様な量の汗もかいていない。
「...分かったわ。文化祭に行けなくなるのも可哀想だし、そこまで言うのなら行ってきなさい。でも、何かあったら直ぐに保健室行って、きつそうなら帰ってくるのよ?」
晴馬の必死の訴えもあってか、母は思ったよりもずっとあっさり折れた。許可が下りた瞬間、晴馬は表情をパッと明るくして「ありがとう母さん!」と感謝の言葉を伝えると、パジャマのままリビングへと駆けていく。そんな息子の姿を、両親は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見つめていた。
「うなされてたのが嘘みたいだな...」
「えぇ。それに晴、最近学校に凄いウキウキ顔で行くのよ。文化祭とかそういうの、関係なしに」
「もしかして彼女でもできたんじゃないのか?俺も高校の時に初めて彼女ができた時、毎日学校行けるのが嬉しくてしょうがなかったし」
それを聞いた途端、千恵は思わず吹き出してしまった。
「アハハ!だったらその彼女さん、見る目があるわ!うちの晴馬は本当に良い男なんだから!」
「はいはい、そうですね...」
息子が元気そうで安心したのかいつものおどけた調子に戻った千恵を軽くいなしながら、修は出勤の準備をする為に晴馬の部屋を後にした。