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原爆のめどが立ってきたな。どういう事か?と言うとすぐじゃないが、何年後かにって計算がたつようになってきた。広島型も可能かもしれない。元々史実のように電気的な濃縮を考えていて、実際最初はこれでやってた。ただ原子炉ならいいが、これが原爆なら濃縮度が足りなすぎる。
そのため莫大な電力を必要とする。だが後回しにしてた遠心分離の方法が完成した。これが間に合わなかったから広島型って無駄に思えるけど、これが先にできたら電力による方法より小規模な施設でも十分可能だ。何故こうもすぐできたかと言うと、これ発想がすごいんだよな。
そのため発想自体を知ってるから後はトライアンドエラーが重要になる。それが丸投げで完了した。ただこれもう一工夫あるがそれは教えてない。一気に大量にやるには並列に作動させるほうが良い。今まるで時間が焦ってないからちんたら小規模でやってる。
それでも濃縮具合でどれぐらいに集まるってのが計算が成り立つ。そうなるとプルトニウムしか考えてなかったけど、広島型もありじゃない?となってくる。どのみち爆縮は不発が怖いから広島型先に作るほうが楽なんだよな。あれ起爆実験してなかったはず。
いつできるか分からないけど、もう対ローマ戦略では余裕で間に合うと思う。と言うか史実通りになるわけないんだけどね…。こっちが起こさせる人工的な内紛だから。ただ時間かけて手順踏まないと不発になるので、ある程度時間が必要なだけで。
コンモドゥスは生まれてるのが確認されてる。元々家柄が良いので、やはり上に登ってくるだろうと予想はしている。そうじゃないとこんな歴史が変わってしまった計画立てない。有力大貴族である姉の夫と確執が生じてもめた後に即位する。
家族ともめたので、これで人間不信になって特定の佞臣だけのいう事を聞くようになる。これが暴政につながる。ってこれよくあるパターンだよな…。この2つの事件を人工的に起こさせようかなと。そのための駒を用意した。あらかじめ良彦にこの経緯を話してたので何年も前からしこんで計画したようだ。
暴政ってのはまあ疑心暗鬼による権力維持のための処刑の連続だ。ありがちだと思ったら、あこれスターリンだな…。スターリンは成功したから暴政とは言われないだけだ。ありふれたケースなので多分この歴史はちょっと後押しすれば再現するとみてるんだ。
バタフライ効果と言うのがあるが、内在するものが澱みのようたまってるなら多分多少の歴史のずれでも可能だと思う。例えばガス爆発が起きるとして、ガスを取り除いてしまえばいいが、火種だけ気を付けてるだけだとダメってのが歴史些細な偶然と大きな必然だとみてる。
さすがにガスまで取り除かれていたら同じ事象はあり得ないけどね。
ビタミンの発見で本格的に栄養学をスタートさせる。今までも大雑把ににやってきたし、バランス取れた食事は紹介してきたというかレシピを大量に作ってるから。以前から多種多様な作物を扱うんで、味がやり方次第でかなり失敗する。
そのため食べなくなるのを防ぐため多種多様な食材のためのレシピに力入れてる。日本は本当にコメに偏りすぎた農業政策が酷い事になった。現代だと輸入でそういう事になってないし、ただ農業って点では今でも少し偏ってるんじゃないかな。
確かに私は米を重視するのは仕方がない面があるとは思ってる。米は恐ろしく単位面積当たりの収量が多くてかつ、輪作障害がない。後水田によって陸生の雑草を防げる。もちろん代わりに水生の雑草が生えるのだが、それも乾田によってある程度減らせる。
稲作は本当にトップレベルの農業作物だとわかる。だが稲作に向かない土地もやたらと水田にしたり、寒さに弱いのに北限でひどく無理をしたため過去ひどい目にあった。ただ根本の部分で、江戸時代のコメを通貨代わりに使ったのは、経済農業どっちもぼろぼろにした。
後仏教と天皇家による肉食の忌避。これも本当に最悪だ。最近は穀物を食わせる畜産のため畜産は効率が悪いような事が言われてるが、本来人間が食えない草を中心に食わせるとても土地の利用効率の良い農業だったんだ。
IC化は出来てるのだが、大量生産の機械が完成してない。ただ楽観視はしてる。すでにかなり進んでいるので時間さえあれば問題がないのと急いでないから。大量生産後が問題なんだ。武器としてならいくらでも使える。小型化と低コスト化が可能なのでミサイルにつければどんだけでも使える。
大量に打つぐらいなら一発で確実に当てたほうが良い。それでも何か軍事だけで消費するってのが嫌なんだ。せいぜいラジオかな。ただなラジオもまだ一家に一台とはならない。ああそうだ電卓が良いかも。今の百科事典みたいな電卓じゃ持ち運びしにくいからな。
持ち運べないわけじゃないけどね…。文官が武官のように筋肉質になりそうだ。特に持ち運びの重要性が弾道計算だから武官と言えば武官の仕事かな。液晶そういえば完成してなかったな。ダイオードによるデジタルセグメントでどうにかなるけどね。
でも液晶って様々な分野にすごく役に立つので開発しておくと良いな。
液晶ってのは個体と液体の中間みたいなものでガラスと似ている。ガラスが固体よりなら液晶は液体より、だが大きな違いはガラスは不規則な部分が液体に似てて、液晶は逆にある程度規則性が残る。電気を流すと、この規則性の向きが変化するのでこれを利用して可視化する。
これ偏光グラスととても似た性質だと思う。それらを含めてまずは科学的研究をさせて、同時にこれを電気的に制御して表示装置に使えないか?と技術者連中に開発させよう。
だんだんわかってきたが、私が何も言わずに進むものもあるが、ちょくちょく口を出すのは、科学者の数が足りてないな…。だから無理やり進めようとして穴を埋めていく感じで口出ししてる。あああれは出来てるのか、あああれは出来てないのか。ならできてるのはそのままやらせて、できてないのは無理やり私が進めている。
液晶って技術者が開発したものじゃないんだ。あれ有機系の科学者が発見してそれを技術者が応用しただけなんだ。だから科学者の金になるか?分からない科学的探究のような研究が加速させたんだ。明らかに分かるが、そんな事まで手を出す余裕がある数の科学者居ない…。
黄巾の乱から8年もたってる。これが短いか?長いか?なら無茶苦茶短い。もう統一への道筋が見えてる。おそらくここって部分は北方と南方を押さえた点だと思う。最初の青州や徐州は無茶苦茶苦しかった。この時点ではどうなるか?さっぱり分からなかった。
でも史実でいう袁紹と袁術と孫策の支配領域をすぐにとったのが大きい。孫策の真似が大きい。南部上方の袁術の支配領域も袁術は簡単に拡大をなしている。しのぎを削っていた曹操と袁紹とは大違いだ。この点南方のこの部分地方軍閥の空白地帯でもあるんだよな。
北方は本来袁紹の地域だが、袁紹ってあれ強引に奪ってる。だって袁家って袁術の最初の支配領域が影響を及ぼしてる地域だから。袁紹ってその点袁術が当主だったので地盤がない。だから最初から大勢力っぽいが、実際は全く違う。そのためあの地域袁紹に先駆けて奪ってしまうのが良いと判断できた。
後中国って民間の反乱からって漢と明ぐらいだと思う。そのうち後漢は一応皇族。ただ劉備よりは後漢初代皇帝って地盤がしっかりしてたと思う。だから本当に純粋な民衆反乱から皇帝になったのって明だけじゃないかと。ああもちろん漢もそうだ。
ただ中国は民衆の大反乱でいつも破壊されるが、民衆がそのまま天下とるのは明と漢しかないんだ。そして漢が微妙なのは、純粋な民衆の反乱は陳勝・呉広の乱だと思う。劉邦は、この乱がはじまりだったのは述べてるが、直接的な勝者ではない。
そのため農民反乱がそのまま漢を作ったのか?なら否だ。その点漢の主要メンバーは劉邦以外は民衆は少ない。しかも始まりの反乱には劉邦は加わってない。そこにどんな意味があるか?なら国家を打ち立てる人材が全くいなかったんだ。
そこに私は目を付けた。最初の民衆の反乱をそのまま国家運営をできるように組織化できるなら大きな勢力をはじめから維持できると。ただ実際困難であったため意図的につぶしてしまう内部組織を分けた。これはのちの国家運営に邪魔だと思った首脳部を排除して、それらに紐づいたメンバーを切り捨てた。
ただそののちかなりの連中を吸収している。彼らを曹操が軍隊化したので、頭を失った下部は農民や兵士としては使えるとみたからだ。どうしてさっさと切り捨てたかと言うと、この連中何故さっさと討伐されたか?と言うと、実際は敗残兵が地下にもぐってすごいしつこく反乱を継続するのだが。
それでもさっさとつぶれた原因は略奪を目的としたからだ。最初から自分たちが権力を握るって覚悟が全くない。当然略奪される側の民衆は同じ民衆の反乱だからとして共感など全くなく支持するわけがない。
ある意味劉邦って、曹操などと変わらん。出身階層が下層だっただけ。黄巾の乱でぼろぼろになった漢の緩んだ支配から曹操がのし上がってきたような流れになる。明の朱が面白いのは、宗教だと思う。元々僧侶だし、新興宗教の集団の力を使ってのし上がっていく。
これが一番時代的にはストレートなのし上がり方だと思う。日本でいうと一向一揆だと思う。ただあれは負けてしまったが、戦国武将はかなり苦しめられたし、滅ぼされた武将もいた。黄巾の乱はその点同じだ。その点も組織化がしやすかったと思う。
ただ私は宗教色は消した。この点、致命的な欠陥があると思ってた。やはり略奪集団としての部分だと思う。これ戦国時代もそうだが、農民が農民から奪うって無茶苦茶多い。と言うか甲斐の武田家が支配者だが、その兵士たちは農民だし、一向一揆もこういう部分がある。
もちろんそのまま農民が農民として農業するケースも多い。だが考えてみると本願寺の本部はどうやってやってた?となる。そう考えると多少は土地が広いから農業してただろう。だがなら何故毛利の兵糧の運び入れがああったのか?それが有名な鉄甲船の誕生と関係してくる。
当然農業しない元農民の流民が寺に集まっただけだ。宗教組織って大体こうなるんだよな…。組織としてまとまりやすいのは分かるが、長い目で見ると大体失敗する。当然朱元璋は皇帝になるころは元の団体の宗教色なんて一切消してる。逆に信者を弾圧したとの話も一部にはある。結局最後は中国皇帝らしいがちがちの儒教信者だ。