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栄養学のスタートとして、ビタミンの発見がされた。歴史と同様B1がスタートになった。まあ私の講義を受けていたので漠然とビタミンのなんたるか?はわかっていた。ただこれを分離精製するってのは専門的じゃないとできない。それをやってくれた。
歴史と同じく米ぬかから、これについては脚気という病気について話したからになる。料理について史実と違い現代的な料理をどんどん発展させたので、白米の需要が上がってしまった。肉を食うので心配はないが、念のため栄養不足からくる病気という講義を栄養学のスタートと共にした。
そこから、米ぬかからスタートしたわけだ。史実の梅太郎は漠然とアジアの食べ物として米ぬかを選んだだけで、脚気のためではなかったようだ。そのためややこちらの意図が強すぎる研究になってしまったな。
あ、なんだかんだ先送りしてたが、やっぱり原爆開発の大規模施設を作ることにした。理由は2つ、くそのんびりやるつもりだ。ローマの混乱に合わせればいいのでまだまだ。そもそもあれ起きない。内在するものから、無理やり攪乱する作戦を良彦がたてた。
それゆえいつでも可能なのか?なら無理だ。時間が必要なのと内在する問題を時間を待って熟成させないといけない。もう1つは農地解放だ。ただしこれは目安ってだけ理由ではない。背景にある非農業部門の産業の発達が農地解放を決定づけただけで、理由は工業力の増加と経済規模の増加だ。
大事な点として、国民の負担になりすぎてはいけないからだ。切羽詰まってたら可能だ。史実の2次日本なら余裕だ。史実の日本は本当にひどかった。よく悲劇とか言われるがあれは自業自得だ。軍事費が異常すぎるんだ。日露戦争の後方針転換をすべきだった。
武力による植民地の獲得と国力増大ってのが無理になってたんだ。それと欧州からの侵略になる。これらが日露戦争の勝利でそれほど重要じゃなくなってしまった。植民地として日本を責める国が多分いなかった。そして日本の植民地支配が遅すぎた。
その点は日露戦争とは関係ないが、防衛と攻撃が密接に絡むので方針転換をすべきだった。日本を列強から守るための国費に対する異常な軍事費の割合がすべての元凶になる。悪循環を招いて工業力を低下させたんだ。あの異常な状態の真似なんてしたくもない。
ただ史実のように、プルトニウムを抽出するための設備は作らない。原子炉の回転率を上げる副産物方式にする。時間があるからだ。なおかつこれ回転率をあげて反応しきってない物質を集めるため時間をかけるのはよくないんだ。出がらしのお茶みたいな方法になる。
すでに小規模な科学者のための施設ならできてるから。これを電力抽出とプルトニウム抽出を本気でやるための大規模施設にするだけだ。技術的じゃないすべて費用がかかるから避けてただけだ。
私にとってマッドサイエンティストっていまいちしっくり来ない。優秀な科学者ってオタクというよりは哲学者のようなものだと考えている。ただ確かに科学は知識が重要だ。過去の知識の土台の上にさらに知識を積み重ねていく。
ただ科学を応用するものはそれで良いかもしれないが、その積み重なっていく知識を生み出す優れたものはオタクというより哲学者や探偵のようなものだと思う。まあそれほど優れてなくても別にいいんだけどさ。あくまで人材って点でいえばそうだが、実際科学の強みって人海戦術だと思う。
だから優秀な人間がわんさかいるわけないんだ。今はまだ人勧戦術のレベルに持ち込めてない。その理由としてもっとくだらない研究が増えてほしいんだ。くだらないとはひどいじゃないか?だが、未来から振り返ると、それがわかってしまうんだ。だから私が方向性をつけてしまってる。
そうじゃなくて、神羅万象なんでも謎があればそこに突き進んでいき、何より、くそ地味で細かい事をやってほしいんだ。いや今は否定的だよ。金がないから。社会規模がもっと大きくなればそう変わってほしい。科学者が余ってくるのが重要だと思う。
今多少出来が悪いだけなら、すぐ職人と言うレベルじゃないが科学知識が必要な労働者になれるからな。そういった方向にいかないで、研究者になってほしいんだ。今はその余裕がない。だがその余裕ができてきたら本当の意味で科学の水準が上がったと感じれると思う。
分かりやすい例で、元の時代で鳥の鳴き声が言語的なのか?とか研究してる人がいた。くだらないーーって簡単にはならないが、役に立つか?ならかなり微妙かと。自発的に興味があって、この研究されてないよなって思いついたら初めてほしいんだ。
ああこの科学界充実してるとすごくこれ感じる。そしてそれは完全に私の手を離れている。今も私から離れて進む研究はあるが、ある程度そうなる未来が実は見えてる。そういう種を私は巻いてるからだ。でも、本当に個々人が好き勝手研究し始めると私もどうしてこんな研究してるんだ?って思うような未来が来る。
ああそこで、私の手を離れて勝手に進んでいく科学に出会える。
科学の神髄みたいなものは科学に偏ったものじゃないってのはここにある。結局方法だけで、進むべき流れ自体は当たり前にある人間のあらゆるジャンルでの探求心なんだ。そこで私だけが考える重要なポイントでまだこの先どうなるか?わからないけど、おそらくその方法が人間の方法論としての最高点だとみている。
科学にたどり着いた人間だがこの先それを超える事はないだろうとみている。そんなの決めつけだろ?というとそうでもないんだ。現実に対して何かしらの思考を使って結論付ける方法は科学的な流れが究極的なものだと気が付くからだ。
科学の欠点はそこで何か?でスピード。これと欠損情報でも強引に結論を出すこと。この2つだけ。時間があり、十分に情報を事前に集める。これらを考えると、あ人海戦術だとわかってくる。天才を否定するわけじゃない。ただそれは有益なものって思い込みがある。
神羅万象への探求なら人海戦術に勝るものなし。価値は後からついてくるものなんだ。これらもスピードと欠損情報と関わってるかもしれない。ただそれはこの2つよりややこしい。科学は価値から方向性を決めるのが苦手だ。
私は今はズルをしてるからだ。後から振り返って価値を決定づけられるから。まあ神羅万象を扱えるぐらい多くの研究者が増えたのは近代だと思う。ただそれでも戦後ぐらいからこれらのものの中から後から振り返るとっ価値があるってものを拾い出すのは、宝くじの抽選番号を事前に知ってるようなものだ。
実際は、重点的に研究されてる研究でさえ、有益な研究は淘汰されていくものだ。その点戦前の時代かと思う。そのレベルには追い付きつつある。重点的な研究に豊富な人材が配置できている。その中で自由に研究している。これが今私が手をかけないでも発展していくからくりだ。