表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/168

 普通に寝て普通に起きた朝だったはずなのだが、確かに多少昨日は仕事で疲れていた。なんだ体が自由に動かない。これはかなりまずいのでは?脳がどこか?やられてしまったのでないか?そんなふうに思ってるとどうやら違うらしい。体が自分の体じゃないような感覚だと気が付いた。不自由な手足を動かしてみると手足が切れてしまっていた。


 これにはぎょっと驚いた。かなりパニック状態に陥ってしまった。だが言葉が上手く出ない。


「ギャーギャー」


 こんな動物が叫ぶようにしか言葉が出ない。その状態が数十分続くと人がやってきた。これには驚いた。強盗泥棒?だが妙だ、妙な着物を着た女の人だった。ああこれは夢だ夢に違いない。あまりに現実離れした事にそういう結論になった。そんなこんなで女の人にあやされてると、いくつかおかしな点があった。夢だとするとおかしな感覚が多数ある。夢で匂いを感じたことはほぼ無い。絶対ないとは言わないが、自分には無かった。


 夢じゃないとするとなんなんだ?パニック状態は落ち着いたが、夢じゃないとするとこれがなんなのかさっぱり分からず数時間が過ぎた。どうやら自分は赤ん坊らしい。それにどう考えても女の人が話してる言葉が日本語だ。ただし、ちょっと妙だ。所々言葉が分からない。方言?後部屋がおんぼろすぎる。


 分からない事だらけだが、分かるための材料が少なすぎる。何せ赤ん坊ゆえに動けないので部屋から出られずにあやしてくれる女の人以外誰も見たことが無いからだ。情報が無さすぎる。ただ徐々にここに来る人が増えてきて、複数の人が自分を除いて会話するようになってきた。それを聞いていると、どうやら昔の日本なのじゃないか?という結論になった。


 発想がぶっ飛んでるが、じゃそもそも赤ん坊になってるのはどうなのか?と考えると、非現実的だと考えて良いと思ったら答えはすぐに出た。後は時代だ。どうも衣服がおかしいんだよな…。これ中世も怪しいし、近代じゃないな。決定的な言葉で宗像と言う言葉が頻繁に出てきた。会話の流れを聞いてるとどうもそれはこの家が北九州の有力者であると結論付けた。


 かなり古い、平安時代ぐらいは考えておいた方が良い。衣服が変なんだ。時代考証なんて正しいか?分からないが、鎌倉室町の時代劇や大河は見たことがあるが全く根本的に違う。これはその時代よりもっと前だと思って良いと思う。


 後の時代に続いていく宗像氏じゃなくて、そのまま北九州あたりにいた宗像氏じゃないか?と思うようになってきた。


 どうやら戦国時代じゃないらしい…。


 なんで戦国?あの時代は中々都合がいい。程よく技術水準も高くて、程よく未発達。いわゆる現代知識スゲーがこれはどうにかなるのか?と不安になってきた。平安以前の日本で何かをなすとするとどうすればいいのか?


 時間は無限にある。何せしゃべれない動けないで考える事しかできないんだ。自分としてはこう思うのだが、重要なのは力富知だと考えている。後世に残るものと考えると知が最も重要だと思ってる。だが知は富があって初めて自由な時間があり蓄えられる。そしてその富は力が無いと奪われてしまう。


 現代日本が違うとは言わない。力=暴力が巧みに隠されてるだけで、この順序は現代でさえ変わってない。ただその力の代行者が国が用意してくれてるだけで、それが無いなら自分でなんとかしなくてはいけない。北九州と言えば有名なのが海運だ。そこで力=水軍だという事になる。


 これはかなり便利だ。富と力が両立できる。後他にもこの辺りの時代ならまず何より鉄器だと思う。時代次第では、朝鮮との鉄はかかわりになっていたはず、ただしこれ白江村の戦い以降は日本独自の砂鉄精錬になっていったはずだけど。朝鮮と九州の運輸でかなり日本は無茶してたはず。これをもっと安全にできる方法を考えるのはかなり良いのではないか?と考えた。


 まずはハイハイ、次に誰かと話さないと…。生後数か月は立ったのでハイハイを始めるために体をなんとか動かそうとする。意外とすぐにできた。


「ああ、坊ちゃんが居ない…」

(本当はちょっと違う言葉だが理解するのが面倒なので自分の中で勝手に翻訳してる)


 母親も頻繁に世話していたが、その補助をしてるような人もいたため、いつもの場所にいないためひどくその人は驚いた。なんというか乳母?というのか、それに近い物かと。ただかなり古くから乳母というものはいるし、そもそも中国で当たり前にあったので、それなりに権力のある家ではそれをやとうのが可能だったが、乳母?が主に育てるまだそんな形ではないようだ。


「あばば」


「ああ、こんなところにいたのですか」


 どうもまだ話せないようだ。言語自体の理解はあるのに、口、舌喉などの使い方がまだ上手くない。これも早く練習しないと、乳母(ちょっと違うと思うが、まあ面倒なのでこう呼ぶ)が驚いたのはどうやらかなり自分がハイハイするのが早かったようだ。実をいうと体はまだ上手く動かせない。ただ頭の中にイメージがあるので無理やり動いてる感じだ。体が後から覚えてくれると助かる。


 くそー会話しないと情報が手に入らない。動いて得るにもあんまり派手に動くといろんな人に迷惑がかかると思う。せめて話して安全なんですよとでも言えれば。


 ハイハイができるようになって数か月がたちやっと拙いまでも言葉が話せるようになった。


「はーは」


 初めて母親に向かって発した言葉がこれになる。(正確にはこの時代のもうちょっと違う言葉だが、自分ではこう言ってるつもりだと思ってる)


「え?」


 ああ、やらかしてしまったようだ。自分は未婚だった当然子供はいなかった。赤ん坊がいつから話始めるのが普通か?なんててんで知らなかった。それでもさすがに生まればかりは無理だとは分かっていたが、じゃいつから?って正確な時期なんて知らなかった。生後まだ1年たってない。これは普通じゃないようだ…。


「はーはー」


 これ以外無理ですよーってアピールをしておく。今後言葉を増やすのは慎重にしよう…。くわーー結局まだ会話できないや。でももう天才児で押し通そうと思うから普通は意識しないようにしよう。


「この子すごいんですよ、私の事ははともう話しました」


「なんだとー」


 どうやらこの会話してる人が父親らしいと言うか、うん知ってる。たびたび見てるからね。


「徳丸、わしは?」


「はーはー」


「え?」


 えへ馬鹿な振りしました。しばらくは母親だけにしておこう。


「あら、はーはって言ってるだけなの?」


 あ、母親まで疑いだした、不味いそういう意味じゃないんだ。まいいや、当面これでいこう。御免母、ぬか喜びになってしまった。そういえば重要なことが、自分の名前徳丸だった。幼名って平安時代からのものだけど、これでまた時代が良く分からなくなったな。ただ昔から実名を避ける傾向文化があるらしい。


 幼名元服ってのは平安時代からの制度かもしれないが、実名とは違う愛称ってのは昔からあったのかもしれない。衣服が変なんだよな。戦国でも公家とかが来てた服が平安の貴族とか来てて、あれ子供も立派な家は着てたはず。全然違う…。九州だから?多分違うよな。元寇とか鎌倉だけど、九州もちゃんと武士の服着てたもんな。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ