【2】 婚約者が、悪女だった。(婚約者シルヴェスター視点)
シルヴェスターの婚約者、ロゼッタ・マリアーノ侯爵令嬢ほど完璧な貴族令嬢をシルヴェスターは知らない。
さらさらとした綺麗なホワイトブロンドの髪と青い瞳、誰もが振り返る美しい容姿を持ち、学業にも一切手を抜かず、立ち振る舞いも完璧。婚約者である自分を常に立ててくれる心優しい、まさに理想の女性であり、シルヴェスターは彼女が婚約者なことが誇らしかった。
十一歳で婚約を結んでから早六年近く。ロゼッタの一つ下の妹のナンシーが王立学園に入学してきた。ナンシーはロゼッタの父マリアーノ侯爵の弟の庶子である。
長らく平民として育っていたが、二年程前、実母が亡くなったため弟の元へと頼ってきた。しかしそのとき弟も既に亡くなっており、兄であるマリアーノ侯爵がナンシーを引き取ったのだ。血の繋がり的にはナンシーはロゼッタの従妹であるが、建前上妹という形になっている。そうロゼッタから聞いていた。
平民出身ということもあり、まだまだ貴族令嬢としては未熟なナンシーを立派に育て上げるため、マリアーノ侯爵はロゼッタと同じ、多くの貴族子女達が通うこの王立学園に入学させた。
ここ最近、シルヴェスターは学園と公爵家でロゼッタと会うことが多く、マリアーノ侯爵家へはあまり訪れていなかったため、学園で初めてナンシーに対面した。
ナンシーは、ふわふわした金髪、キャメル色の瞳の可愛らしい少女で、ロゼッタの高貴さとは違う種類の美しさを持っていた。
誰に対してもフランクに話しかけ、それは姉の婚約者のシルヴェスターに対しても同じであった。
「シルヴェスター様、最近ナンシーとよく一緒にいらっしゃいますね」
そう、ロゼッタが言った。
「うん……?」
「婚約者のいる男性と二人きりになったり、ボディタッチをすることは、貴族の娘としてよろしくないということ、あの子には言っているのですが……シルヴェスター様も、周囲に誤解を与えないよう気を付けていただけたらと……」
ロゼッタは、言いにくそうにしながら言葉を紡ぐ。
言われた通り、確かにシルヴェスターはナンシーに誘われて学園の教室内で二人きりになったことが何回かあった。そういえば常日頃からボディタッチも多めだったような気がする。
しかし、シルヴェスターは正直ナンシーのことをロゼッタの妹という認識しかしていなく、ロゼッタや周囲にどう思われるのかなど考えたこともなかった。
(そうか、ロゼッタは僕とナンシーが一緒にいるのは嫌なのだな……)
それはシルヴェスターの心を浮上させた。
「……分かった。気を付けるよ」
「はい、お願いします……」
ロゼッタの婚約者として、彼女を悲しませることはしたくない。ロゼッタに言われた通り、それからシルヴェスターはナンシーとは必要最低限の会話だけであまり関わらないようにしていた。
しかし。ある日、シルヴェスターの友人である生徒会長のブルーノが、ナンシーと共にシルヴェスターの前に現れた。
ナンシーはグスグスと泣いていて、ブルーノがそれを心配するように寄り添っている。
「シルヴェスター、ロゼッタ嬢だが……妹のナンシー嬢をいじめているらしいんだ」
「は……?」
ブルーノが、ナンシーの持っていた教科書を取り、シルヴェスターに見せた。
その教科書は見るも無残に切り裂かれている。
「……グス……お姉さまは、平民出の私のことが気に食わないのです……。家でも学園でも私のことを目の敵にして酷い扱いを……。耐えきれず、ブルーノ会長に相談しました」
「……これは深刻な事態だ。ロゼッタ嬢の婚約者の君にも報告しなくてはと思ってね」
シルヴェスターはとてもではないが、二人の言っていることが信じられなかった。
「……ナンシー嬢、何か誤解があったのではないか? その教科書は本当にロゼッタが? その現場を見たのか?」
「はい、お姉さまは、私の目の前で教科書を裂かれました……」
ナンシーは目に涙を浮かべながらもはっきりとシルヴェスターの目を見てそう言った。
「……。分かった、僕からロゼッタに直接聞いてみるよ」
「!! やめてください、シルヴェスター様!」
「? 何故……?」
シルヴェスターは眉をひそめる。
「駄目だ、シルヴェスター。下手に君が言ってもますますロゼッタ嬢のナンシー嬢への扱いは酷くなる」
ブルーノが固い口調で言った。
「だとして、このまま放っておけと……?」
「いや、証拠だ。証拠を集めよう。できるだけロゼッタ嬢の行動を僕たちの友人に見張らせいじめの証拠をつかむんだ。それを学園に提出して、何らかの処置をとってもらおう」
「……」
それから、日々シルヴェスターの元にブルーノ経由でロゼッタのナンシーへのいじめの証言が寄せられた。
シルヴェスターは、ナンシーと一緒にいることが多くなった。
自分に甘えて頼ってくれる女子というのがシルヴェスターには新鮮で、なんだか好ましかった。そして、従妹なだけありふとした表情がロゼッタに似ていた。
ある時、ランチタイムを二人で過ごしたシルヴェスターとナンシーは、次の授業のために別々の方向へと別れる。シルヴェスターが振り返ると、ナンシーの側にロゼッタがつかつかと寄っていくのが見えた。
ロゼッタはナンシーに「周囲に誤解を与える行動は慎みなさいと前から言っているわよね」といさめるように言った。
ナンシーが、びくっと肩を震わす。そんな様子を目撃して、シルヴェスターの心は痛んだ。
「……ロゼッタ、僕はナンシーと友人として一緒にいたいからいるだけだ。君に僕の交友関係に口を出す権利があるのか?」
後ろからロゼッタの華奢な腕を取り、シルヴェスターはきつく言った。
「……シルヴェスター様にも前から言っておりますが、いくら本人同士が友人だと認識していらしても周囲はどう思うでしょうか? 姉の婚約者と必要以上に親しくする貴族令嬢など、この子の世間体にも関わりますわ」
ロゼッタはシルヴェスターに対しても臆さず言い返す。ロゼッタは常に自分を立ててくれるものだと思っていたシルヴェスターは、少しばかりむっとした。……ナンシーに比べ、可愛くない。
「お姉さまはいつも世間体ばっかり……。……そんなに世間体って大事?」
ナンシーは涙ぐみながら、ロゼッタを睨む。
「……ナンシー、私はナンシーのことが心配なのよ。このままじゃ、いい縁談にも恵まれないわ」
「私は、自分の相手くらい自分で見つけてくるわ……。 お姉さまはお父様がたまたまシルヴェスター様との縁談を成立させてくれただけじゃない……」
(…………意外と言い返すんだな……?)
ナンシーがロゼッタに一方的にいじめられている証言ばかりを聞いていたシルヴェスターは、このやり取りに若干の違和感を持った。
その次の日、学園内で前代未聞の暴力事件があった。
オーウェン・クルス辺境伯令息と男子生徒五人の間で何かしらのトラブルが起こり、オーウェンが五人全員に素手で重傷を負わせた。
教師陣は焦り、六人に喧嘩の理由を聞いたが誰も口を開かなかった。
この国の辺境の地を守る、高い戦闘力を誇るクルス辺境伯の血を受け継ぎ、息子であるオーウェンも、剣の授業ではいつも断トツでトップ。それでいて誰とも馴れ合わない。
クールで素敵と女子生徒には人気があったものの、一部の男子生徒からはいけすかないやつと思われていて、それはシルヴェスターも同じであった。
なのでシルヴェスターは、オーウェンが学園から追放されたと聞いたとき、いい気味だ、と思った。
「ジェシカ嬢、ロゼッタを最近学園で見かけないようだが……?」
ここ数日、学園内でロゼッタの姿を見ていないシルヴェスターは、ロゼッタの友人であるジェシカ・ウェバー伯爵令嬢に声をかけた。
ジェシカは生徒会の副会長で、優秀で利発な女子生徒だ。ロゼッタの友人で、学園内で行動を共にしているのを知っていた。
「ええ、ロゼッタ様、最近学園に登校しておりませんの。私も心配で、昨日マリアーノ侯爵家を訪ねたのですが、会うことができませんでしたわ。侯爵家の使用人の話によると、体調を崩し寝込んでしまっていると」
「そうなのか……」
シルヴェスターは、ロゼッタのことが心配になり、ナンシーにそれとなくロゼッタのことを尋ねた。
「はい……確かにお姉さまは今お風邪を召して寝込んでいらっしゃいますわ」
とナンシーは悲しそうに言った。
「大丈夫なのか? ……明日にでも侯爵家に様子を見に行ってみよう」
「いえ! 駄目ですわ。お姉さまは体調が悪く、身なりにも気を遣えない状況ですもの。そんな状態のときにシルヴェスター様を連れていってしまったら、私後でどんなお叱りを受けるか……」
ナンシーは青ざめ、自分の肩を両腕で抱きしめた。そう言われ、シルヴェスターは考えを一巡させたが、結局見舞いにいくのはやめた。
ロゼッタが、学園に登校をしてきたのはそれから数日経ってからのことである。
シルヴェスターとナンシーが二人でいるときに、ロゼッタが少し離れた場所で二人を見つめていた。寝込んでいただけあり、ロゼッタはやつれていた。シルヴェスターは思わずロゼッタのそばにいって体調を気遣おうとしたが、後ろからナンシーがシルヴェスターの制服の袖をひっぱり引き留めた。
「……」
ロゼッタは普段なら二人に小言の一つや二つ言いそうなものだったが、そのまま何も言わず、踵を返し、去っていく。その背中が物憂げで、シルヴェスターの胸はなんだかざわざわとした。
ロゼッタが学園に復帰した途端、またいじめの証言がどんどん集まり出した。
そして、あの日。
シルヴェスターはブルーノと二人でいた。
勉学のことで教室で意見を交わし、それで帰りが遅くなり、もうほとんど学園内には人が残っていなかった。玄関まで向かう途中、突然隣を歩いていたブルーノがしっと人差し指を自分の唇に当てた。
「なんだ?」
「そこの資料準備室でガタガタと物音が……」
ブルーノはそういうと、気配をひそめ資料準備室のドアをガラリと開けた。
「!?」
目に飛び込んできた光景に、シルヴェスターは目を疑った。
男二人が、ナンシーの華奢な体を床に押さえ込み、襲おうとしていたのだ。男達は上下とも黒っぽい服を身に着け、顔は黒いマスクを着けていてよく見えない。
「何をしている!」
シルヴェスターが怒鳴りつけると、男達はナンシーから手を離し、準備室から逃げ出そうとした。
すかさずシルヴェスターとブルーノが二人を捕まえる。
「この学園でこのような卑劣な真似を……。ただですむと思っているのか?」
シルヴェスターが、捕まえた男を壁に押さえつけながら凄む。
「た、助けてください……。俺たちはただ、そこのナンシー嬢をひどい目に遭わせてくれと金で雇われただけで……」
「何! 誰の依頼だ?!」
ブルーノが威嚇するように男に問う。
「……。ロゼッタ・マリアーノ侯爵令嬢です……」
そう、男は言った。
シルヴェスターは愕然として、一瞬男を押さえつけていた力が抜け、その隙に男がシルヴェスターを振り切り、部屋を出て行ってしまう。そしてブルーノが捕まえていた男も、ブルーノを突き飛ばし、続いて出ていく。
「クソッ……」
ブルーノは起き上がると、男二人を追って走って行ってしまう。シルヴェスターも続いて後を追おうとするが、後ろからナンシーが抱きついてきたので足を止めた。
「……シルヴェスター様、怖かった……」
「ナンシー……」
ナンシーはぽろぽろと涙を流していた。男達に押さえ込まれたときにできたのであろう腕の傷から血が滲んでいる。制服の襟やスカートの裾も乱れていて、あられもない見た目になっている。
「助けてくれてありがとうございます……」
シルヴェスターはナンシーに向き直ると、正面から抱きしめた。
ずっと、ロゼッタのいじめ疑惑は誤解なのではないかと心のどこかで思っていた。
しかし。今のこの状況が、ナンシーの今までの証言は本当だったのだ、とシルヴェスターが確信を持つには充分だった。
狂言でこんな姿を男にさらす少女などいない。
「……お姉さまは、シルヴェスター様と私が仲が良いことに嫉妬し、こんな酷いことをしてしまったのですね……。なんて可哀想な方……」
腕の中におさまるナンシーが泣きながら呟く。
シルヴェスターは、ロゼッタのことが本気で憎くなった。
また、今まで彼女のことを完璧な令嬢、などと盲信していた自分がひどく惨めで、裏切られたような気持ちになった。
生徒会主催のパーティーで、シルヴェスターはロゼッタに婚約破棄を宣言した。わざわざパーティーを選んだのは、皆にロゼッタがいかに極悪非道な女なのかを知ってほしかったからだ。
ロゼッタが最後まで自分の罪を認めなかったのは残念だったが、ひとまず彼女が婚約破棄を承諾した、という事実にシルヴェスターは胸のすく思いだった。
パーティーから数日後。
シルヴェスターは不在だった父が公爵家に帰宅したので、此度の事情を話し「ロゼッタとの婚約を破棄し、妹のナンシーと婚約を結ぶ」と伝えた。
元々、家同士の事業のメリットで組まれた婚約だった。マリアーノ侯爵家の人間なら、ロゼッタでもナンシーでもどちらでも公爵家にとっては構わない。シルヴェスターはそう思っていたのだが。
父であるサンティアゴ公爵は、何故か怒り出した。
「お前は何を考えている……? 私はロゼッタ嬢だからこそ、マリアーノ侯爵に頭を下げ、他の婚約者候補の令息共を押しのけ、お前との婚約を結ばせたのだぞ。……それが何だ? 勝手にパーティーで婚約を破棄し、あまつさえ平民出身の妹を婚約者にするだと……?」
ロゼッタは、当時から美しく聡明で評判であった。あの娘を嫁に貰えた貴族は間違いなく繁栄するだろう、と全国の貴族たちが自分の息子と結婚させようと躍起になっていた。
「……しかし、父上。ロゼッタは妹のナンシーを日常的にいじめ抜いていたのですよ。これについては学園内で証人が何人もいます。果ては男達を雇いナンシーを襲わせようとしたのです。私もその現場の目撃者です。……そんな者と結婚するなど、私は嫌です」
「……話にならん。明日、私からマリアーノ侯爵家に謝罪に赴き、婚約破棄の撤回を依頼してくる」
お前は自宅で謹慎していろ、とサンティアゴ公爵に言われシルヴェスターは憤慨したが、従う他なかった。
♢♢♢♢♢♢
「……マリアーノ侯爵はとんでもなくお怒りで、婚約破棄の撤回は無理であった」
次の日の夜。サンティアゴ公爵がマリアーノ侯爵家から戻って開口一番、シルヴェスターにそう言った。
「そうなのですね……。あの、ナンシーとの婚約については……?」
「お前は馬鹿か! あんな妹のことなどどうでもいいわ!……ふん、侯爵はナンシー嬢にもお怒りで、侯爵家を追放すると言っておったわ。あの娘は平民に戻ることになる」
「え……?」
「なんでも、ナンシー嬢は、生徒会長のブルーノとかいう男と共謀してロゼッタ嬢をいじめの犯人に仕立て上げようとしていたというではないか。お前が言っていたいじめの証人達も、ナンシーとブルーノが金で囲い込んだ者達とのことだ。マリアーノ侯爵がナンシーに尋問し全て白状したらしい」
シルヴェスターは驚愕した。
「な、何を言っているのですか……? で、でも、実際私はこの目でナンシーが襲われているところを目撃しているのですよ?」
「……それもあの二人の雇った者達で、学園の生徒だったとのことだ。侯爵がその者達を呼び出し聞き取りをし、裏も取れていると仰っていた。奴らの生家もただでは済まないだろう」
淡々と話すサンティアゴ公爵に、シルヴェスターはぶるぶると震えた。
「まさか……。ナンシーは襲われたとき、あられもない姿でした。あれが演技だなんて……。いたいけな少女がそこまでしますか?」
温室育ちのシルヴェスターにとって、それは信じられないことであった。
「ナンシーはかなり身持ちが悪かったらしい。ブルーノや、他数名の男子生徒とも関係があったようだ。……ロゼッタ嬢も根気強く注意していたが、聞く耳を持たなかったと」
シルヴェスターは背中が冷たくなるのを感じた。度々シルヴェスターやナンシーに、忠告していたロゼッタの顔を思い出す。
「……でも、おかしいではありませんか……。ブルーノはナンシーと関係を持ちながら、何故私とナンシーの仲を取り持つようなことをしたのですか」
「侯爵はブルーノも呼び出して話を聞いたそうだが、ナンシーとお前を結婚させ、裏で不倫関係を継続し公爵家の甘い汁を吸おうとしていたそうだ。……まったくそんな者が生徒会長なんて、一体どんな学園なんだ」
サンティアゴ公爵は呆れるように言った。
友人だと思っていたブルーノに裏切られていたことに気付き、シルヴェスターは、ガラガラと足元が崩れるような感覚に陥った。
「生徒会長の言うことだと一方的にブルーノの証言を信じ、ロゼッタ嬢に謹慎処分を下した教師についても侯爵は理事長に抗議し、なんらかの処置が取られるとのことだ」と公爵は続けたが、もうあまりシルヴェスターの耳には入ってこなかった。
(……ロゼッタ……)
自分が婚約破棄を宣言したときの、ロゼッタの気丈に振る舞う姿がシルヴェスターの脳裏に浮かぶ。
「…………ロゼッタに悪いことをしました。いじめ疑惑をかけ、公衆の面前で婚約破棄など…………私もマリアーノ侯爵家に赴き、謝りたいです」
シルヴェスターは項垂れながら消え入りそうな声で言った。
「……もう遅いぞ」
「え?」
「ロゼッタ嬢は学園を辞め、オーウェン・クルス辺境伯令息の元へと嫁ぐことになった」
サンティアゴ公爵は乾いた声でそう言った。
♢♢♢♢
「ジェシカ嬢!」
次の日、学園でシルヴェスターはジェシカを呼び止めた。
ナンシーやブルーノを始め、今回の騒動に関わりマリアーノ侯爵に尋問を受けた十数人の生徒達が自宅謹慎になっており、学園内の雰囲気は浮き足立っている。
「ロゼッタが、学園を辞めたことは知っているか?」
シルヴェスターがそう聞くとジェシカは眉をひそめた。
「ええ、知っていますけど……それが何か?」
ジェシカは『そもそも、パーティーで貴方達がいじめの濡れ衣を着せて婚約破棄宣言したからですよね?』と言外で思っているのがありありと感じられた。
「クルス辺境伯令息の元に嫁ぐことになったと聞いたのだが……それについては……?」
「ええ、もちろん存じ上げております。昨日、ロゼッタから手紙が届きましたの」
「……何?」
シルヴェスターは何故わざわざマリアーノ侯爵が学園で暴力事件を起こして追放された悪評高いクルス辺境伯令息の元に娘を嫁がせようとしているのか、それが分からなかった。父に聞いても、答えはくれなかった。
マリアーノ侯爵は厳格な人だ。
いじめ疑惑をかけられ、婚約破棄をされ傷物になった娘を、それが例え冤罪であっても許せなかったのかもしれない。だとしたら、その原因を作った自分は、どう償えばいいのか。
「手紙にはなんと書いてあった……?」
野蛮な辺境伯令息の元に嫁ぐ自分の身を憂い、涙ながらに友人に手紙を書くロゼッタの姿を想像し、シルヴェスターの胸は痛む。
しかし、ジェシカの答えは意外なものであった。
「私の意志でオーウェン様の元へ嫁ぐのだから心配しないでね、と。そう書いてありました」
……ありえない。どういうことだ。
ナンシーも、ブルーノも、もう僕の側にはいない。皆、自分を裏切っていた。
ロゼッタは、ロゼッタだけは僕の隣にいたはずなのに。
私の意志でオーウェン様の元へ嫁ぐ……?
一体どういう意味だ。
ロゼッタは僕を裏切っていたのか。
違う、ジェシカは嘘をついている。
きっと、ロゼッタを傷つけた僕への意趣返しだ。
ロゼッタ、君ほどの完璧な令嬢を、僕は見たことがない。
君をあの野蛮な辺境伯令息から取り戻しにいくよ。
待っていてくれ。