時は金なりとは言うけれど
私はいま49年前製造の機械式腕時計をしています
中学校へ入るお祝いに買って貰った時計です
「自動巻き」です
その言葉は今でも通じるのでしょうかね?
手動では時計の右横にあるつまみ(リューズ)を時計回りに回してバネを巻いていくのですが、腕にはめて普通に手を降って歩くとその振り子運動を回転運動に変える機構が備わっておりそれでもバネを巻けるようになっているのが自動巻きです
時間を合わすのはそのリューズを一番多く引っ張り出すと秒針が止まるので、その状態でリューズを回すと連動して長針がぐるぐる回るようになっています
曜日とカレンダーを合わすのは、リューズを少し引っ張り出して時計回りに回すと曜日、反時計回りに回すと日付が一方通行で動くようになっています
また、曜日はどちらも略表示ですが漢字と英語を選べるようになっています
土あるいはSATが青色の文字、日あるいはSUNが赤色の文字、平日は黒色の文字表記です
私はあえて漢字表記にしています
何でもかんでも横文字かぶれの最近の風潮に対する細やかな反抗です(笑)
そしてこの時計の文字盤には23JEWELSの表記があるのですが、23石と呼ばれます
これは回転系の部品の摩耗を抑えるために、軸受けにルビーやサファイヤの宝石を使用しているらしいのですが、これが23個使用されているということです
宝石ですね!
でも、ルーペでみないといけないようなとても小さな歯車の軸受ですので、宝石という感覚はしないですけどね(笑)
複雑な高級時計になるほどこの石の数が増えていくようです
さて、今や水晶発信時計のクォーツ方式やら、電波時計と言われるものが主流でボタン電池が中に入っているものが当たり前の腕時計です
この電池が入っていない機械式腕時計は、秒針の動きも小刻みでスムーザさがなくレトロ感満載です。
そして何が凄いのか?
普通に一日3分ぐらいの時差が出ます
私のこの時計の場合は遅れ気味になります
この時間にシビアな現代の、さらに世界中でもシビアなこの国で3分ぐらい遅れる時計・・・
電車は待ってくれません、ATMの手数料無料時間も待ってくれません
大変です!
でも、考えて見ればかつては普通にそういう時代で生きていたのです
何の支障もありませんでした
今ほど殺伐ともしていませんでした
今やスマホを見れば寸分狂わない時間があります
パソコン画面の右下の時間も狂いません
そしてカーナビまで表示される時間は狂いません
狂っているのは人間の感覚の方です
最近ふと思うようになりました
何でもかんでも本当にそこまでの正確さが必要なのだろうか?
曖昧じゃ駄目なのだろうか?
この寸分狂ってはいけない世界で生涯を終えなければいけないのだろうか?
そして日々寝る前に目覚まし時計をセットする時にも思います
いつまでこの時計をセットしないといけないのだろうか?
時は金なり
この目覚まし時計をセットして時間を遵守することはお金に繋がっています
時間はお金を生んでくれています
でも、お金が時間をいつも勝手に生んでくれるのか?と考えればそうではないかもしれません
お金を生むためにどれだけの時間に追いまくられて生きているのでしょう?
正確な時間という魔物が人間らしさを壊していっているように思えてなりません
一日に3分遅れる時計でも十分使い物になります
でも、毎朝の出かける前に時間を合わせる私がいるのも事実です
だから私の人生は常に3分以上予定が狂うことはないはずなのです
でも、そんなことはないという、奇妙な自信があるのも事実です
なぜならこの腕時計とともに49年間生きてきた経験から解るのです
そのことで妙に人間らしさを感じて安堵しています
そう時計が人生を決めているのではないことを知っているのです