クライスベル邸への来訪者①
「では……今セシリー嬢は、我らが騎士団の本部へいらっしゃっていると?」
「そういうことですな」
王太子の婚約パレードの翌日、リュアンとキースはクライスベル邸を訪れていた。セシリーは不在だったが、入れ違いになっただけなのですぐ戻るだろうと、彼女の父であるオーギュストはリュアンたちを快く迎え入れてくれた。
今応接室で彼はにこやかな笑みをたたえ、両手を体の前で組んでふたりを見つめている。しかし、それがどうも品定めをするかのように感じられ、リュアンは居心地の悪さを隠せなかった。
「いやはや、まさか国家のエリートであらせられる魔法騎士団のおふたりが、我が愛娘に会いに来てくださるとは。あの子も喜びましょう」
「恐縮です」
リュアンは心中で、「俺に平手をくれた女がそんな簡単に心変わりしているはずないだろう」、などと愚痴っぽいことを考えていたのだが、当然声に出すことはしない。
そして彼の隣では……。
「やあ、美味しいお茶をありがとうございます。茶葉の質もさることながら、さすが伯爵家で勤める方は立派な腕前をしていますね。私、ファーリスデル王国魔法騎士団副団長のキース・エイダンと申します。もしよろしければお名前をお聞きしても?」
(馬鹿キースめ……)
副団長が女を口説いている。
若い侍女が頬を染めてしどろもどろになっていたので、リュアンは彼に肘打ちをくれて隣からたしなめた。
(お前、なにしに来たと思ってる)
(いいじゃないですか。女性と見れば口説くのはこの世に生まれた男の務めでしょう? もっとあなたも女性との接し方を覚えた方がいい。人生、楽しくなりますよ?)
(大きなお世話だ……!)
「おふたりはずいぶん仲がよろしいのですな。まだお若いながら団長殿と副団長殿であらせられるとは、さぞかし腕が立つことでしょう」
それを見てどう解釈したのかオーギュストが笑みを深め、にこやかにキースが返答する。
「ええ……そうなんです。彼は実力もさることながら、人品卑しからぬ上に誠に支えがいのある気持ちのいい青年でして。手前味噌ですが、私も副団長に抜擢されたことを大変光栄に思っているのですよ」
(嘘付け。俺を弄って遊ぶことしか考えていないくせに)
リュアンはキースのおべっかに背中がざわついたが、オーギュストが感心したかのようにうんうん頷くので、何も言えない。
「でしょうな。将来有望な上司を戴くことは、大きなやりがいを感じられるものです。私も若い頃はねえ……」
「いやあ、オーギュスト氏が話の分かる御仁でよかった。今後とも我らが魔法騎士団と、よいお付き合いをぜひともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
固く握手を交わした、腹の内が読めないふたりの会話と室内に控えた侍女たちの視線に、リュアンの苛立ちは募るばかりだ。
(見世物じゃ無いんだがな。そんなにこの紫の瞳は珍しいか? それとも、顔に張ったこの湿布がそんなにおかしいか?)
いつもなら我慢できる無遠慮な視線がことさらうっとうしく感じるのは、今もひりひりと感じる頬の痛みのせいだろう。かといって、見るなと注意もできず……リュアンはせめて気分を落ち着けようと息を吐き、出された茶に手を付ける。
そこでオーギュストから、会話の矛先がこちらへと向けられた。
「時にリュアン殿、ご婚約はされておりますかな?」
ずいぶんと突っ込んだ質問にわずかに手が震え、カチリとカップに敷いた皿が鳴る。
(もしかして、セシリー嬢と俺を近づけようという意図でもある……のか?)
貼り付いた笑みからは思惑を読み取れずリュアンは苦々しく思うが、こうした質問自体は別段おかしいことではない。高い身分や、国の中枢に近づく役割の者ほどこの手の話を振られる機会は必然と多くなる。
過去に何度も問われてきたため、リュアンはこうした時の返答を予め決めてあった。
「いえ……私は今は、若輩たる我が身を磨くことで精一杯でして。この剣を捧げた国の民たちを守るためにも寸暇を惜しんで剣を振るい、後進の模範となるべく職務に邁進する所存です」
(……くくっ)
建前全開の台詞に小さく吹きだしたキースの足を踏みつけると、リュアンは言外に女性にかまけている暇は無いのだという意思を滲ませ、対面で微笑む世渡り上手の商売人を見返す。
それに彼も茶色の瞳を細めたまま、諭すような穏やかさで同意する。
「そうですか……。いや、わかりますよその気持ちは。私も若かりし頃は自らのみを頼りに孤高を貫こうとしたものだ。だが、存外誰かに心を預けるというのも、悪くはないものです。私がこうして娘や数多くの使用人の生活を支えられているのも、今は亡き妻の献身が無ければ不可能だったことだ」
いらぬお節介もいいところだが、見過ごせないものもある。ただ話を合わせているだけではなく、彼の瞳の奥底にはリュアンもよく知る感情が染みついている。
大切な人を失う深い悲しみ……。リュアンは、騎士として任務をこなす内に人々のそれを何度も目にし、なにより以前に我が身でも味わっていた。今も彼ら苛むやり場のない苦しみを受け止めることも騎士として大切な仕事のひとつだと、きちんと向かい合うべく姿勢を正す。
「奥方様はどうしてこの世を去られたのか、お聞きしても構わないでしょうか?」
「ああ、もちろんです。あれは我々がまだ隣国にいた頃の話です。旅先で魔物からの襲撃を受け、妻だけがその命を奪われてしまった。まだ娘が物心つく前だったことは不幸中の幸いでしたが……そのため、セシリーはほとんど母の愛を知らずに育ったのです」
オーギュストによれば、彼ら一家は元はガレイタム王国の出で、こちらに移り住んできたのは十数年程前なのだという。向こうでも行商のため仲間たちとあちこちを旅していたが、運悪く活性化し始めた大量の魔物たちと遭遇し……戦いの最中で雇っていた護衛や仕事仲間たちとも引き離されてしまう。
「妻は名うての魔法使いで、私も剣はそれなりに扱えたため、あまり人を雇わずにいたのが裏目に出た。なんとかふたりで力の続く限り魔物を退け、残るは一匹の青い大蛇だけとなったのですが……」
孤立無援の中で抗い続ける一家を、ぞっとするような深い青色の大蛇が最後まで執拗に追い、セシリーを抱いて逃げるふたりを死の間際まで追いつめた。やむなく彼の妻は命を懸けた魔法で大蛇の動きを封じ、オーギュストが止めを刺した、ということだった。
幼子を守りながらの戦いは相当過酷なものとなったのだろう。当時を振り返る彼の瞳は商人らしからぬ険しさにすぼめられ、多くは語られずとも事件の凄惨さがうかがえた。
「最後に妻は、『愛してるわ、あなた……セシリーをお願い』と短く言い残し逝ってしまった。あの時のことを、私は死ぬまで忘れない。戒めでもあり、彼女との大切な思い出の一部でもあるから。本当に強く優しく、私などにはもったいない人だった……」
しばし眼を閉じた後、オーギュストはふっと表情を崩し、ふたりに謝罪する。
「申し訳ありません。こんな湿っぽい話、つまらなかったでしょう」
「いえ、とんでもありません。貴重なお話を聞かせていただき感謝の言葉もない。私どもも自らの力の及ばなさを恥じるばかりです」
「今我らも苦心し、人材の獲得に励んでおります。先の世代の不幸からひとりでも多くの人々を救うべく、力の限り後進を育て、なにかあれば全力で皆様の元に向かうことを約束させていただきます」
それに合わせ、リュアンとキースも揃って深く頭を下げた。隣国での出来事とはいえ、魔法騎士団を率いる立場として、救えなかった命があることに無関心ではいられるはずもない。
人々を守る手はまだまだ足りていない。為すべきことをことを再確認し、騎士たちは小さく頷き合う。オーギュストもまた、そんなリュアンたちの決意を感じ取ったのか、努めて明るい口調で今後の協力を約束してくれた。
「私も騎士団の方々が日々国民のために力を振るってくださっていることには、大いに感謝しております。もし私で手伝えることがあれば、遠慮なく言っていただきたい。できる限り力になりましょう」
「「ありがとうございます……!」」
温かい言葉をくれたオーギュストと、リュアンは快く握手を交わす。ひとりの侍女がオーギュストになにか耳打ちしたのはそんな時だった。彼は膝を叩くと相好を崩す。
「――おっと、丁度娘が帰ってきたようです! ご同輩のお若い赤髪の騎士殿に送っていただいたらしい」
「ラケルかな?」
「でしょうねぇ」
団内で赤髪の若手騎士といえばラケルのみだ。ふたりはそれを聞き……「どうして彼が?」と顔を見合わせたのだった。