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訳あり魔法騎士団長様と月の聖女になる私  作者: 安野 吽
第二章 月の聖女

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決闘と最後の別れ②

 庭園とはいえ、王太子の離宮と言えばそれなりの広さがある。

 そこを決闘場に選んだジェラルドとリュアンは、互いを威圧するように視線をやったまま向かい合う。


「では、ここにしたためた通り……ジェラルド王太子が勝利すれば、セシリー嬢の身柄を即時ガレイタム国民に帰化させ、今後一切ファーリスデル王家ならびに国軍はそれに干渉しないことを約束する。一方、リュアン殿が勝利した場合は、ジェラルド王太子の責任においてセシリー殿をファーリスデル王国へ帰国させ、今後一切のガレイタム王家からの干渉を禁ずるものとする。それでよろしいか?」

「ああ」「はい」


 今聖女の資格を持つ者を失うことが致命的であるにもかかわらずジェラルドがこの条件で承諾したのは、彼の自分の勝利に対する絶対の確信のあらわれだろう。しかし一方で、リュアンが騎士団長として今自分の前に立ちはだかっていることに思うところもあるのか、慢心もなさそうだった。


「では、立会人は私自らが務めることといたすが、異存はありませんな?」

「お待ちください!」


 ジェラルドとリュアンが頷くと、自分の胸に手を添えたレオリンが説明を始めようとしたが、そこで外から声が掛かる。


「立ち合いというならば、両国にとって公平でなければならないはずです。そのお役目、わたくしにも務めさせていただけませんか?」

「あなたは……?」


 それは騒ぎを聞きつけてきた、レミュールの姿だった。後ろにはマーシャもいる。


「レミュール・ホールディ公爵令嬢と申しますわ。この離宮に残る聖女候補のひとり……というのも今となってはおこがましいことかも知れませんが。とにかく、セシリーの存在は我が国に……いえ、わたくしたちにとって無くてはならないもの。そちら側の裁定だけで黙ってお渡しするわけにはいかないのです」


 きつい眼差しで見つめてくるレミュールに、レオリンは肩を竦めて頷く。


「いいでしょう……では私たちが立会人となり、勝敗を判断します。庭内から一歩でも出れば場外として失格。意識を失い十秒以上立ち上がれなかった場合も同様。おふたりとも、あの腕輪を付けていただこう……それがもし破壊された場合も敗北とする」


 レオリンが指示したのは、ジェラルドがこのために部下に用意させた『決闘の腕輪』という魔道具だ。その効果は、着用者の身を魔力の鎧で覆う同時に、使用者自身が自発的に魔法を使えなくするというもの。一定以上の魔力の鎧が損傷を受ければ、自動的に破壊される造りになっているのだという。 


「なにやら魔法騎士団などということだが、純粋な剣術勝負で構わぬのか? かつての貴様を思えば勝ち目があるのか疑問だが」

「構いません」


 ジェラルドとリュアンは両方とも同時に片腕に腕輪を嵌め、用意されたまったく同じ型の刃引きした長剣を手に向かい合う。


 ジェラルドの方が頭半分ほど高く、やや大柄ではある。体格面を考えれば、まともに当たればリュアンの勝利は望み薄に思えるが、彼とて魔法騎士団で長年魔物相手に剣を振るって来た猛者だ。セシリーにはどちらに分があるのか全く予想がつかない。


「大丈夫だよ、セシリー。団長は魔法を制限されていたって僕らの中で一番の腕利きなんだ。あんな地位を笠に着た人なんかに負けたりしない!」

「ラケル……」

「いや、それはどうかな。ジェラルド様も、ガレイタム国内では王太子という身分だけにとどまらず、勇士としてその名を轟かせている。隣国の君でも名前くらいは聞いた事があるのではないかな?」

「そ、それはそうですけど……。オーギュストさんはどっちの味方なんですか!」

「私はどちらの味方でもないよ……娘の味方で勝った方の味方だ。強いもので無ければ娘は任せられんしな」


 胸を張って勝負を見届けようとするオーギュスト。そんな三人の近くにひとりの女性が駆け寄ってきた。


「……セシリーさん」

「マーシャさん。ごめんなさい……」


 マーシャは不安そうな表情でこちらを見ている。詳しいいきさつはきっと聞いていないのだろうが、セシリーの口から話すことは躊躇われた。こんなことになってしまったのも……自分のせい。本来ならばあの場に至るまでにリュアンたちに自ら伝えるべきだった。私はファーリスデルには帰らない……だから兄弟同士で争うのはもうやめて欲しいと。


 セシリーは思っていた。ジェラルドは弟であるリュアンのことを、最初に出会った時も、そして今も仇敵のように憎しんでいるように話すが……あんな風にラナを悼み、レミュールたちを慈しむ気持ちを持つ彼のような人が実の弟を心配していないはずがないと。


 彼は心の奥底ではまたリュアンと……昔のように語り合いたいと思っているのではないか。幼い日々の、ラナと三人で笑い合ったあの時に戻って――。


 記憶にないはずの情景は、王太子レオリンの明朗な号令にて掻き消された。


「始めッ!」


 自然と庭園の中央で向かい合うふたりに視線が集中する。しかしふたりは剣を構えたまま動かない。


 ガレイタムとファーリスデルでは流派が異なるのだろう。ジェラルドは真正面に剣を構えたバランス重視の型、リュアンは刃を後ろに引いた攻撃重視の構えで慎重に間合いを測り合う。


「どこで剣を学んだかは知らんが、案外様にはなっておる……。今剣を引くならば、王宮勤めの衛兵くらいにはしてやってもよいぞ」

「御免被る……いくぞっ!」


 果敢にも先に踏み込んだのはリュアンだ。地面をこするような位置からの切り上げが空を裂くが、ジェラルドは予想していたようにそれを半歩引いて躱し、続く連続攻撃も軽く刃を当てて逸らすと、反撃に移る。対してリュアンもジェラルドの力強い縦切りを後退して回避、続く横薙ぎから身軽にも後方に宙返りして逃れ、距離を取った。


 以降も互いに譲らぬ攻防が続き、周りに息を吐かせぬ中……セシリーは隣で見守るマーシャの息が浅くなるのを聞き、彼女の背中をさする。


「だ、大丈夫ですか……。あの……怖いようなら無理にこの場所にいなくても」

「ごめんなさい……大丈夫。……なにか、思い出せそうで」


 頭痛がしているのか、頭を押さえながらも一心に戦いを見つめるマーシャ。

 セシリーはレミュールに事情を話し、試合を止めてもらうかどうか迷う。しかし、その間にもふたりのせめぎ合いは過熱していった。


「レイアム、なぜこの国に戻って来た! おまえが創立祭などに呼ばなければ、今も彼女は生きていた! あの時傍にいて彼女を守れなかった貴様が、またこの国から聖女を……次は皆の希望を奪っていこうとするのか!」

「違う、俺は……確かに彼女をあの時守れなかった! だから今度こそこの手で……」

「黙れ! ……我らのせいで不幸になった者たちが何人もいる! それをそ知らぬふりで、貴様だけが自分の我儘を押し通そうなど、許されることではないと知れ!」


 何度も何度も怒りをぶつけるように振るわれるジェラルドの剣がリュアンを追い込む。それを見てレミュールは辛そうに眉を顰めていた。


(こんなことを望んでいたわけじゃない……)


 不意にそんな考えがよぎり、セシリーはそれを不思議に思う。気づけば自分はふたりのことを、まるで旧知であったかのように懐かしい思いで見つめている。まるで自分の中に誰かの記憶が存在するかのように……。


「兄上だって……何も、出来なかったじゃないか! あなたがもし、離宮にいたあの子たちの傍に着いててあげたなら……異変に気づけたかもしれない! 自分が聖女の守り役として強くなることばかり考えて、周りを見てやれなかったのはあんたなんじゃないのかっ!」

「ぐっ……」


 ジェラルドの怒りに触発されたかのように、リュアンもまた長い間自分の中に封じ込めていた行き場のない思いを解放する。電光石火の素早い突きが、ジェラルドの剣と重なり火花を散らす。


「あんたこそ、ちゃんとしてれば――!」「貴様がそれを言うか!」


 防御すら考えずに飛び込んだふたりの一撃が同時に互いの体を強く叩き、腕輪が砕け、魔力の鎧が消失する。これ以上は危険だ……。


「双方、止めよ!」「止まって!」


 レオリンとレミュールが制止の合図を送るが、しかしふたりはそこで剣を引かなかった。互いの剣が体を掠め、叩き、血が流れてゆく……。


「あ、ああ……やだ」

(どうしたら。きっと私じゃ止められない。今ここにいなきゃいけないのは、私じゃないのに……) 


 隣のマーシャが、震え、怯えたように声を詰まらせて首を振るのを見ても、ただ祈ることしかできないセシリー。


 ――呼んで……。


 その耳に微かな残響をともなって、声が届いた。


 ふいに、手放さないように身に付けていたあの手鏡からほんのりと熱を感じ……セシリーはそれを取り出す。鏡面に映るのは自分の姿だが、微かに光で出来た誰かの輪郭が重なって見える。それに指を触れ、セシリーは懸命に心の中で呼びかけた。


(ラナさん……!)


 不思議な夢を見た時から……自分の心の中で誰かが呼んでいる――そんな気がしていた。わずかに意識を反らせば気づけなくなってしまうほどのささやかな、けれど懸命に誰かを想う声。


 目を閉じ……無明の闇の中で繋がれと、セシリーは指先に意識を集中する。真っ白な砂粒ほどの光がそこへ生まれ、それはずっと遠くから近づくように、だんだんと大きくなり……やがてセシリーの視界をすっぽり包み込む。


(……ありがとう。少しだけ、あなたの時間をちょうだいね)


 心の中で頷くと意識は温かい光と溶けあい、混ざりあった。




 そして……大きく目を開くとセシリーは後ろで泣いているマーシャの手を取る。


「マーシャ、行くよ! あなたはゼル様を止めて!」

「……は、はい!」


 目の前では憎悪を滾らせるふたりの兄弟が、互いを傷つけ合い、罵り合う……。


(こんなこと、させちゃいけない……)

「オーギュストさん、離して下さいよ!」

「邪魔をするなラケル君、これは娘を掛けた真剣勝負で……むっ!?」


 割り込もうとするラケルを押さえていたオーギュストたちをすり抜けて……セシリーであってセシリーでない者はそう呟くと、庭で斬り結ぶふたりの方を目掛け、マーシャと共に駆ける。


「――おおおおおぉっ!」「――うあああああぁっ!」


 大きく息を荒げ、苦痛によろめきながらも、今まさに全力の斬撃を放たんとするふたり。それに怯えの色も見せず、セシリーはリュアンに、マーシャはジェラルドに体当たりするようにぶつかってゆく。


「「止めてぇっ!」」

「ぐっ……!」「なっ!?」


 ジェラルドとリュアンの態勢が大きく崩れ、途中で攻撃を強引に止めようとして体勢を崩し倒れ込む。しかし、それでも剣を向け合おうとするふたりを、セシリーとマーシャは身を挺して押さえ込んだ。


 リュアンはセシリーの顔も見ずに、ジェラルドの方を向いたまま怒鳴りつける。


「止めろ、邪魔をするな!」

「――ふざけないでよ!」


 そこで、パシッと乾いた音がリュアンの頬を打った。セシリーが両手で彼の顔を掴み、叫ぶ。


「こんな兄弟喧嘩女の子の前でする方が悪いんでしょ、バカレイ――!!」

「――っ!? ……い、今……。今……なんて」


 リュアンは何度も目を瞬かせ、俯くと首を左右に振り、もう一度頭を上げて目を見開くと声を震わせた。信じられない――という顔だ。それもそのはず……彼をこんな風に呼んでいたのは、かつて、ひとりの女性しかいなかったのだから。


「久しぶりだね、レイ……」


 セシリーであるはずの少女が、儚い笑みをリュアンに向け、頬を撫でる。今彼女の瞳は……柔らかい銀色に光っている。そう……かってこの国で生きていた、ある少女のように。


「……ラ……ナ?」


 リュアンの手から剣が滑り落ちる。

 その言葉に頷き彼女は振り向くと……今のやりとりを弟とよく似た表情で訝しんでいたジェラルドに声を掛けた。


「ゼル様も……お兄さんでしょう!? あんなにリュアンを可愛がっていたのに……たったひとりの弟の無茶を止めてあげられないなんて、兄失格ですよ!」

「……な! ……ん……だと? セシリー……」


 強くジェラルドを見下ろすその顔はセシリーのものに違いない。しかしその表情が、彼昔見ていた懐かしいものへと重なったのか、ジェラルドもまた、剣を落とし呻いた。


「いや、お前は……ラナか?」

「……ラ、ナ? っ……!!」


 ジェラルドがその名前を呟いた瞬間。セシリーの体を借りたラナを見たマーシャが、地面に転がった剣を掴むと切っ先を喉へ向けた。刃引きしているとはいえ、先はそれなりの鋭さを維持しており……そのまま喉を突けば。


 ――キンッ!


 しかしそれを突如出現した魔力の盾が阻んた。ラナが素早く描いた『光壁』の魔法陣が作動したのだ。彼女はマーシャに駆け寄り、その手から剣を遠ざける。


「マーシャ……どうしてそんなことをするの?」

「あ、あたし……思い出したの、全部……。ラナ、なのよね?」


 セシリーがあんな魔法を、しかも練達の手際で発動できるはずがない。そして、今や発する雰囲気や声の抑揚までもが違っている。少なくとも別人の意識であるのは、よく接している者たちには明らかだった。


 そんな中、マーシャは瞳から大粒の涙をこぼし、顔を覆ってラナに謝罪する。


「お願い、死なせて! あたしが……あなたを創立祭の日、刺して殺したの! 謝って許されることじゃない!」


 地面に蹲る彼女の背中を撫でながら、ラナはジェラルドを見つめた。彼は座り込んだまま項垂れている。


「ゼル様……」

「ああ……それは事実だ。しかし……それは彼女の意思ではない。彼女には禁忌とされた、精神に干渉し憎しみや嫉妬の感情を増幅させて殺意へと仕向けるような非道な魔法が掛けられていた。赤い霧――あの場にいた護衛の宮廷魔術師ですら太刀打ちできぬほどの魔法を彼女が扱えたのも、ごく短い時間ではあるが何者かが彼女の体を乗っ取って利用したせいだ。悪いのは、マーシャではない」


 ジェラルドはゆっくりと立ち上がり、背中を震わせているマーシャの隣に跪く。


「ラナ……すまない。そうさせたのは、王国とオレの自身の短慮のせいだ。国の平和のためとはいえ、若い娘を集め、王族との婚姻という餌で煽り、競争心を掻き立て……挙句の果てにあんな事態になる原因を作ってしまった、オレの罪だ」


 ジェラルドは腰に佩いた短剣を抜くと、ラナに柄ごと差し出す。


「裁くなら、オレにしてくれ。幸い……そこの出来損ないも戻ってきた。オレでなくとも……この国は守っていけるだろう」

「……いい加減なことを言うなよ!」


 リュアンが剣を杖にして立ち上がる。


「あんたが……! 小さい頃からすべてを犠牲にして王族の義務を務めあげようとして来たあんたが、今さらそれを捨てようってのか! 駄目だ、ラナ!」


 ラナは静かにジェラルド見下ろし、沈黙が支配する……。そこへレミュールが、ゆっくりと歩み寄っていった。


「ラナ……なのね?」

「レミュール……本当に、別人みたいだわ。お澄ましが似合う、とびきりの美人になったんだね」

「……あなたが大きくなっていたら、きっとマーシャとわたくしと、三人で仲良く……。いいえ、あなたとは多分、もっと喧嘩してたわね。でもそれもきっと楽しい思い出になったわ」

 

 レミュールはそっとラナを後ろから抱きしめた。


「お願い……皆を責めないであげて。マーシャもジェラルド様も、レイアム様ももうずっと長い間あなたを思って、本当に苦しんだの。だからって許されることではないけれど……」

「わかってる……」


 神妙な顔で周りを見渡していたラナは、やんわりとレミュールを押しのけてひとりひとりに一瞥を下す。……だが。


「――皆……私のことをなんだと思ってるの? 亡霊? 怨霊? 悪霊?」


 その緊迫も長くは続かなかった。


 十分に溜めを作った後、はぁーっと大きいため息を吐き出したラナは、リュアンへむっとした顔を向けた。


「ひどくない? せっかく化けて出てきて大喧嘩を止めてあげたのに、その扱い。ねえどうなの、そこの第二王子様? ええと、今は違うんだっけ?」

「ラナ……?」 

 

 戸惑う全員に、セシリーの面影を感じさせない様子で、ラナは腰に両手を当て肩を怒らせた。


「残念だよ、皆が私をそんな人間だと思ってたなんて……私ってそんなにひどい奴?」

「え……あ、いや」


 急に話を向けられ戸惑うリュアンにラナはくすっと笑った。


「ずいぶん大きくなって格好よくなった癖に、怒られると弱気になるの変わってないね、レイは。この子の大切な時間を貰ったのに……私は皆に罰を与えるとか、そんなつまんないことしに出てきたんじゃないよ」


 そして次は目の前のレミュールへと信頼を感じさせるような、はにかんだ笑みを向ける。


「ありがとうね、冷たそうな顔して世話焼き屋さんなレミュール。あなたがずっとマーシャの傍で見守ってくれてたんでしょう? あなたは我慢強い人だけど……それでも、とっても辛いことだったと思う。苦しむ人たちに寄り添い続けるのは」

「ラナ……」


 レミュールは口元を隠して俯き、ぐっと溢れるものをこらえていた。彼女を下から覗き込んで苦笑を向け、ゆっくりと円を描くように回り込むと、ラナはジェラルドとマーシャの前にやって来た。


「マーシャ、顔を上げて」

「ラナ……」

「ごめんね、私もあの時一杯一杯で……。あなたの様子がおかしいって気づいてたけど、レミュールに任せきりにしちゃったんだ。いつも優しいあなたに甘えて、ずっと……支えて貰ってきたのにね」


 マーシャは胸を強く抑え、喉の奥から絞り出すような声をあげる。


「あ、あたしは……あなたが羨ましかった! いつも明るくて、人に好かれて、魔法だって上手で……ずるいって。あなたが陰でどれだけ頑張ってたのかもわかってたのに……大好きだったのに! 本心じゃなくても……心のどこかずっと、憎んでたんだ……」


 そんなマーシャに、ラナはしゃがんで目線を合わせ、体を引き寄せ腕の中に迎える。


「でもそんなの関係ないくらい、あなたは私のことを気に掛けてくれていたじゃない。遅くまで勉強してた私に温かいお茶を持って来てくれたこととか、資格があるって認められた時、レミュールと一緒にお祝いしてくれたこととか……他にもいっぱい。私は全部忘れてないよ」

「ごめんなさい……ごめんなさいっ!」


 声を詰まらせ、何度も謝罪するマーシャを抱いたまま、ラナは真剣な顔をジェラルドに向ける。


「ゼル様……」

「すまなかった。オレは何もお前にしてやれなかった。マーシャを裁くことも、事を主導した何者かの手掛かりも見つけられず……政務に専念するなどと都合のいい言い訳をこしらえ、時に全てを委ねて背を向けた。レミュールやマーシャを苦しめ、そしてそこにいる弟のことを守りもせず、お前を失った怒りのはけ口として責任を押し付け、この国から追い出したのだ。お前の言う通り、兄としてこれ以上無様な者はいないだろう」

「それは違います……! あのままレイアム様をこの国に留め置けば、国内の不穏分子によって彼の命が危険に晒された可能性は高かったはずです!」


 レミュールは必死に言い募った。


「レフィーニ家の滅亡やラナの死……そして来るべく大災厄の復活によって、王宮には不安感と王家に対する不信が蔓延していました! それに乗じ、後継者であるジェラルド様やレイアム様を亡きものとすれば、後継者は正妃以外の子から選ぶほかなくなる。あの状況で一番命の危険に晒されていたのは、なにも後ろ盾のないレイアム様だったはずです!」

「そんな……」


 リュアンはそれを聞き、思うところがあったように拳を握り締めた。


「否定はしない。だが、オレに奴を疎んじる気持ちがあったのは確かだ。この中で恨まれるべきなのはオレなのだよ。だからオレは……本来お前とこうして言葉を交わす資格すらないのだ」


 ジェラルドはラナを見つめた後、立ち上がると背を向けた。


「お前が裁かないというなら、オレはここを去る。レイアムよ……俺は王太子の位を返上し、この国から消えよう。父上にはセシリーを連れ帰ったのはお前であり、約束通り追放処分を取り消し、次の王に立てるように話を通しておく。ここはお前が自由に使え」

「なんだと……! ふざけ……るなっ」


 身体の傷が痛むのか、覚束ない足取りでにじり寄るリュアンに対し、きまりが悪そうにジェラルドは口元を歪めて背を向ける。


「お前がまさか、オレとやりあえるほど強くなるとはな。今のお前ならば……セシリーと共に災厄を封じ、この国に平和をもたらすことが必ずできるはずだ。この国を……頼む」

「馬鹿野郎! そんな事をして責任をとったつもりになるなよ! 自分だけが悪者になって、それで誰かに傷を残して……ただの逃げだろ、そんなの! それで誰が幸せになるんだよ!」


 リュアンの言葉を聞いて一度振り返り、穏やかな笑み浮かべた後、ジェラルドは身を翻そうとする。しかしそれをラナは好きにはさせなかった。


「そこのふたり、止めて!」

「えっ……はいっ!?」「ふむ、仕方あるまい……」


 勝負を見守っていたラケルとオーギュストがラナの声に反応し、両側からジェラルドを拘束する。戦いの疲労で抵抗できず、彼は膝を落とした。


「ぐっ、離さぬか! ……どういうつもりだ貴様ら」

「成り行きですけど……団長に王様なんかになって貰っても困りますしね」

「様子がおかしいですが、娘の頼みとあらば断われませんのでな」


 肩をがっちりと押さえこまれ、地面に跪くジェラルドをラナはゆっくりと睥睨し、冷たい視線でたじろがせる。


「……な、なんだ」

「ねえ……ゼル様、ひどくありませんか? 曲がりなりにも一応婚約相手だったのに、私のことまったくわかってくれてなかったんじゃないですか?」

「そ、そんなことはない……」

「じゃあちゃんとこっちの目を見て話せますよね? はい、顔を上げて」


 拘束を解かれ、渋々といった表情でラナを見上げたジェラルドは、次の瞬間言葉を失くす。ラナの目から光るものが零れていたからだ。


「バカな人……そんな大きな体をしてるのに、本当に気は小さくて細やかで……人のことばっかり考えていて、すぐ自分の身を省みないで突っ走ってしまうところ、レイアムとちょっと似てますね。でも、そんなあなたたちが私、大好きでしたよ。……できることなら、ずっと傍にいて見ていたかった」

「ラナ……」


 ジェラルドがラナの流れる涙を掬い上げるように指で拭く。

 ラナはその手を愛おしそうに握ると、空を見上げた。


「私がここに現れることができたのは、この子と、女神さまが力を貸してくれたから。……死ぬときに、誰かを悲しませたくないって強く祈ったので、もしかして少しだけ願いを叶えてもらえたのかも。あの手鏡を、私もずっと持ち歩いてたから」


 ラナは今度は自分で涙を拭うと、ジェラルドに明るく笑いかけた。


「辛い目に遭った皆には悪いけれど、でも今こうしてまた会えて本当に私嬉しかったの……。ゼル様、皆のことを助けてくれてありがとう。あなたのおかげで私、ちゃんと皆にお別れを言える。最後に、お願いを一つだけしてもいいですか?」

「なぜだ。俺は……お前が死ぬとき、傍にもいてやれなかった男だぞ……!」


 ジェラルドが振り上げ叩きつけようとした拳を止め、ラナはそっと触れるように口づけた。


「いいんです。それはレイが、あの子がしてくれたから……。ゼル様にはそれまでにたくさん色々なものを頂いて、本当は私が生きて返したかったけれど……もうそれはできなくて。すごく我儘ですけど、あなたなら甘えても許してくれるでしょう?」


 恥ずかしそうに笑うラナにジェラルドは肩を落とし、拳を震わせくぐもった声で言う。


「何でも言うがいい。オレが叶える……絶対に」

「よかった……なら言えますね。ゼル様、幸せになって……この国の誰よりも。私と会ったことも楽しい思い出のひとつにして……あの子たちやレイ、他にも多くの人たちと手を取り合って歩んで行ってください。悲しいことで誰かを想うことはあっても下を向かず、後ろに続く多くの人たちに道を示して続けてあげて欲しい」

「それで……いいのか?」

「ええ。私だって生まれたこの国が大好きでしたから……ゼル様が王様になって、どんな素敵な国になっていくのか、お空の上から楽しみにしてます」

「……ああ、必ず」

 

 そのころには、ラナの瞳の光は少しずつ弱まり始めていた。言おうとした言葉を飲み込んで頷いてくれたジェラルドに礼をいうと、次いで彼女は、レミュールとマーシャに向き合い、唇を尖らせる。


「レミュール、マーシャ。あなたたち以外がゼル様と結ばれるなんて私許さないからね」

「ラナ……でもわたくしたちは」


 引け目を感じているレミュールの鼻先にびしっと指を付きつけ、ラナは悪戯っぽい調子で告げた。


「言っておくけど私、ゼル様との間に色っぽいことなんて何もなかったんだから……! せっかくそんなに綺麗になったんだし……あなたたちの花嫁姿、いつか披露しなさい! ……親友だったんだからさ、それくらい約束してよ」

「強引ね……あなたがそういうなら、努力するわ」

「楽しみにしてる! それと、マーシャ!」

「う、うん……」

「今日で苦しむのは全部終わりね! って言っても、あなたのことだから、きっと私が消えた後も思い悩むかもしれない。……でも、絶対に自分から消えたり周りを悲しませるようなことはしないで……。辛くなったらゼル様やレミュールに相談して、絶対にひとりにならないこと。約束できる?」

「……どうして、そんな風に笑っていられるの! もっと責めてよ……!」

「だって……大好きな友達だもん。幸せでいて欲しいだけなの。だから、お願い」


 ラナはふたりを手招きして手を広げ、三人はお互いを固く抱きしめ合った。レミュールとマーシャがたっぷりと涙を流す中、ラナだけが満面の笑顔でそれを満足そうにみやり、最後に……。


「レイ……」

「ラナ……」


 リュアンの前で、ラナは静かにたたずむ。後ろに手を回し首を傾けたそんな仕草に、彼は懐かしむように目を細めた。


「隅に置けないね。わざわざ戻って来るなんて……セシリーちゃんのこと、そんなに大事だった?」

「……うん。あの時のお前と同じくらい、かもな」

「言うようになったじゃない……って私の口から言うのも何様なんだって感じだけど。でも、嬉しさ半分、悔しさ半分、かな……。私、ゼル様も、レイも同じくらい好きだった。何度考えても答えが出ないくらいに……」

「うん……兄上は格好よくて、皆の憧れだったからな」

「……ゼル様と仲直りしてね。そろそろ大人になりなさいよ……でないとセシリーちゃんに器の小さい男だって振られちゃうんだから」

「まあ、おいおい……」

「手を、握ってくれる?」


 頬を掻いて目を逸らしたリュアンにラナは喉を鳴らすと、言われた通りに差し出された手を嬉しそうに握り返した。


「強い人の手になったね。出会った頃は同じくらいの大きさで、女の子みたいだったのに」

「剣を覚えた。でも……魔法も、お前から教わった細工も忘れてないよ。大したものは、まだ作れていないけど、今お前の頭にあるそれは壊れたのを俺が直したんだ」

「ふふ、なるほどね」

「それに、向こうの国でいっぱい仲間ができた……。お前があの時、ああ言ってくれたおかげだ」

「よかった。自分の力で居場所を作れるようになったんだ……よく頑張ったね、レイ」


 高くなったリュアンの頭に手を伸ばしたラナは、ひとしきり彼を撫でると振り返って皆を見渡す。その頃には瞳の光は揺らぎ、もう消えかけていた。


「そろそろ、行かなきゃ……。大分この子の時間を奪っちゃった……本当はこんなことしちゃいけないんだけど、あなたたちのことを見てたら、放っておけなくて。謝ってたってこの子に伝えておいて……。でも、おかげで今度は、なにも心配しないで旅立てるよ」

「ま、待って! セシリーさんの身体が駄目なら、あたしの体を使ってよ……! このまま消えてしまわないで!」


 マーシャの切実な叫びを、ラナは小さく首を振って否定した。


「それは無理よ。セシリーちゃんの中に私が入れたのも、この子がとても強く皆のことを心配して祈ってくれたから……きっと聖女としての力が反応したんだ。他の誰にも代わりはできないし、それすらもう……」


 ラナの身体から、ほのかな光の粒がちらちらと上がり、空へと吸い込まれて消えてゆく。それが手鏡にわずかに残されていた彼女の命の残り火なのだと、誰もが分かった。


 ジェラルドがラナの前に進み出て、彼女と向き合い、複雑そうな表情を浮かべたリュアンの肩を叩く。


「安心して行くといい。こいつとはもう争わない……ふたりも、オレが責任をもって幸せにする。お前のことは……死ぬまでずっと忘れない」

「俺もだ。すぐには変われないけど……きっと」


 レミュールも泣きじゃくるマーシャの肩を抱いてその隣へと歩いてきた。


「あの時のままなのだとしたら、年下相手なのに恥ずかしいじゃない。しっかりしなさいマーシャ。ラナ、ありがとうね……私たち、もっと強くなるから。ちゃんと次の世代の人たちに、この世界を正しく引き継いでもらえるように」

「……あたしもっ、一生懸命ラナのこと、思い出して頑張るからっ……」

「うん。お願いね……」


 立ち昇る光がどんどん薄く、弱くなってゆく中、ラナは厳かな口調に切り替えジェラルドに忠告する。


「ゼル様……私には女神様のお話を直接伺う機会はなかったけど、思った以上に時間が無いようなの。この子の中に居て、迷いと焦りが強く伝わって来たから。これが終わったら一度ファーリスデルにこの子たちを返してあげて。多分、向こう側の太陽の聖女と、とても大事な話をしなければならない」

「分かった……ならば――」

「横から済まない。その件は私が責任をもって、今代の太陽の聖女に伝えておく。彼女もセシリー嬢と会いたがっていたからな」


 レオリンが胸を叩いてラナに伝え、彼女はほっとした顔で頷いた。


「ありがとうございます……ではあなたが向こうの国の王太子様でいらっしゃるのね。私もできることなら、一度そちらの国にお邪魔してみたかったのですが」

「なに……わが国でもそちらの国でも命は時を経てあまねく空を巡り、そして再び地に降り立ち短き生を楽しむものだと言うだろう? ならばいつか……どこかでそういう機会もあるだろうさ。また、会おう」

「そうですね……きっと」

「……ラナッ!?」


 微笑んだラナの膝が崩れ、それをリュアンが支える。


「ごめんなさい……もう時間みたい。皆、手を握っていてくれる?」


 ラナの言葉に……友たちは誰も何も言わず、彼女の手の上にそっと自分のものを重ねた。話すことは尽きても、目の前から消えても……決していつまでも彼女との繋がりが消えないように願って。


「ああ、あったかい……なんて素敵な人生だったんだろう。ここに生まれてきてよかった。皆と会えて、幸せだった」


 眠たげにその瞳が閉じられてゆく。


 そして……最後にほのかな光の粒が体から抜け出すと、ゆったりとそれぞれの目の前をかすめるように飛び、空へと還ってゆく。『ありがとう』――伝えきれない感謝を込めた一言を、かけがえのない友たちに贈って。


 それを受け取った彼らはしばらくの間、無限に広がる青い空をただ、見つめていた。

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