魔法騎士団の愉快な仲間たち
王都に居を構えるファーリスデル王国・魔法騎士団の本部執務室にて。
そこでは今、常には無いくらいの大笑いが響いていた。
「あぁっはっはっはっはっ……!」
「笑うんじゃない!」
「ははは、無理無理! まさか栄えある魔法騎士団団長が、平手打ちで意表を突かれて女の子に逃げられたと? くっくっ……いや~人払いをしておいてよかったですねぇ、団長」
「キース、表に出ろ。這いつくばらせてそのうっとうしい長髪、丸く剃り上げてやる」
「それは勘弁。ですがそうですか。あなたともあろう者がね……おほん」
切れ長の目に溜めた涙をぬぐい、ようやく真面目な表情を取りつくろったのは、深い青色の長髪を後ろに流した背の高い騎士。
その名をキース・エイダンという、この団の副団長である。眼鏡を掛け直した彼は、まだ震える口元を覆ってわざとらしく咳払いをしてみせた。
「……ただの油断だ。魔法を使ってくる様子もなかったしな」
一方、そんなキースをきつく睨みつけているのがセシリーを助けた例の黒髪の騎士団長、リュアン・ヴェルナーだ。
ちなみに年齢はリュアンの方が低く、二十三とキースの二つ下なのに団長職に就いているのは事情がある。時々分不相応に感じるし、なにかとやりづらく思うことは多いのだが、自ら望んでこうしたのだから堂々とすべきなのだと彼は割り切っていた。
奥の団長席に座り、湿布を張った頬を忌々しそうにさする年下の上司を、懲りずにキースは茶化してくる。
「それにしてもですよ。で、その頬は? 治さないのですか?」
「ふん、この程度でいちいち魔法を使っていられるか。魔力の無駄だ。後、問題にしたいのはそこじゃないって言っただろう。いい加減真面目に聞け」
リュアンは机を指で叩きながら吐き捨てると、彼を紫の瞳で見据え、声を低くする。
「――見つけたかもしれん」
その言葉に、キースは一転秀麗な眉をひそめる。
「では、その彼女があなたが探していた……鍵となる人物かも知れないと?」
「ああ」
「ですが、今言ったではありませんか。彼女は自衛のために魔法を使う様子も無かったと」
「まあな。だが俺が見た時、あの娘の瞳ははっきり銀色に輝いていた」
去り際にリュアンは確かに見ていた。あのセシリーとかいう娘の瞳の奥が、魔力の光で強く瞬いたのを。
「銀の瞳ねえ……」
それを伝えられたキースは目を細め、口元に手を当てる。
魔法を扱う者として、最も特徴が出やすいのは瞳孔だ。通常黒いはずのその色素は魔法を使うたび、魔力の影響を受けて変化してゆく。よってキースのものは藍に近い色合いだし、リュアンのそれも紫紺色である。しかし銀となると話は変わってくる。
「あなたのことですから、見間違いということも有り得ませんか。きちんと調べてみる必要はありそうですがね」
「ああ、近頃魔物たちの活性化も進んでいる。もうあまり、時間は残されていないからな……」
キースからの言葉に疲れたように呟くリュアン。そんな彼の手元に「どうぞ」静かにティーカップが置かれた。
この執務室で茶を淹れるのはキースの役割だ。趣味のひとつだと周囲にも喧伝する通り、彼の出してくれる茶は抜群に美味い。丁度飲みやすい温度のそれでリュアンは喉を潤すと、一旦気持ちを落ち着ける。
「封印はどれくらい持ちそうなのです?」
「恐らく後数年は持つのではないかと言われているが、それはつまり裏を返せば――」
「異常事態が起きればいつ壊れてもおかしくはない、ということですか。それはそれは……早めにどうにかしないといけませんね」
ふたりが話しているのは、今から五百年近く前……このファーリスデル王国と隣のガレイタム王国の中間の地から湧きだした《大災厄》を封じたとされる古い封印のこと。近年までそれは順調に機能していたが、ここにきて力が弱まり始め、その影響か各地に発生する魔物も増加の一途をたどっている。
それらに日々対応するのが、この魔法騎士団の役目であり、リュアンはその第十二代目団長として日々激務に追われている。つい数時間前セシリーに当たるようなことを言ってしまったのも、彼の若さからくる未熟さだけが原因ではなく、重責に追われての余裕のなさも大きく関係していた。
(もう少し丁寧に対応していれば、時間を貰うくらいはできたかもしれない)
叩かれた頬を押さえると、ひりつく痛みがセシリーの顔を思い出させる。
真っ直ぐな瞳をした素直そうな娘だった。なんとなくだが、後から考えるとやすやすと男に付いていきそうな感じには見えない。
(失敗したな。理由くらい聞いてやればよかった)
「浮かない顔だ。そんなにも気になって仕方がないのですか。セシリー嬢……でしたっけね?」
「……どういう意味だ」
「おや、含むような意味があるように聞こえました? 私はただ単に王国の平和を慮って――おおっと」
声に揶揄するような響きを感じた瞬間、リュアンはキースの顔に拳を突き込む。だが彼は身を引いてそれを軽く受け止めると、余裕綽々で手を振った。
「怖い怖い。半分以上本気だったでしょう、今の」
「知るか。からかうのも大概にしろ。真面目な話をしてるんだ」
「それもそうですね。ま、彼女の件も含め、封印の対処は急ぎで進めるといたしまして、もうひとつ大事なご予定をお忘れになっていないか、一応確認を」
「ん? そんなものあったか……?」
思ってもみない話を振られ、リュアンは目を見開く。しかし急に変えられた話題の方は、リュアンにとってより好ましくないものだった。
「二月後に迫っている節刻みの舞踏会にお連れする女性、決まりましたか?」
「――ぐふっ」
茶を吹き出す寸前で口を押さえると、リュアンは顔を背け、もごもご口ごもる。
「こ、今回も所用のため欠席、ということでいいだろ――」
「駄目ですよ! 舞踏会には多くの国賓もいらっしゃいます。魔法騎士団に出資していただいているお歴々も参じるあの場を毎度欠席するなど、団長としての資質が大きく問われる事態にも繋がりかねない。下の者にも示しがつきません!」
大袈裟な身振り手振りで話すキースに、リュアンは返す言葉もなかった。なぜなら彼の名代としてこの節刻みの舞踏会――王都の中心にある時計塔で年に二度行われる、王家主催の公的行事――に参加し、貴族や政府高官などとのパイプ役を担ってくれているのは、他ならぬキースであるのだから。
彼は真剣な声音で釘を刺す。
「いつまでも、私がこうやって面倒事をこなしてくれるとは思わないことですよ」
「それは、わかってるさ……」
苦々しいことこの上ないが、こうしてキースが諭してくる時だけはしっかり聞き入れざるを得ない。
今はこうして優秀な彼が支えてくれているから、若輩のリュアンでもどうにか団長を務められている。しかし、それではこうして自分がこの席に座っている意味がない。お膳立てを整えてくれた彼や、自分を信じて着いてきてくれている団員の期待に背くわけにはいかない。
前向きに考えるべく、リュアンは無理やり重たい頭を働かせる。
「だがな。お前と違って俺は、知り合いの女性なんて受付のロージーくらいしかいないんだ。あいつに頼むのは無理だし、現地で声を掛けるなんてのも不誠実だろう?」
そこでキースは我が意を得たり、というように眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「そこでですよ……。もし気になるのであれば、誘ってみていかがです? セシリー嬢を」
「正気か!? 俺の頬をひっぱたくような女だぞ!?」
リュアンは机を叩き強く抗議した。あの様子だと、セシリーが自分に反感を抱いていることは間違いない。まだ知らない女性に声を掛ける方がたやすいのではないかと腑に落ちない表情のリュアンに、キースは人差し指を立てて胡散臭い笑みを浮かべた。
「いやいや案外、向こうも気にして謝るきっかけを探していたりするかもしれません。調査する必要があるのだったらいいじゃないですか、この際お近づきになってしまえば。もし彼女が例の人物なら一気に厄介事を片付けられる可能性もありますし、どうせ他に意中の相手もいないんでしょう?」
何でも見透したような彼の顔には腹が立つが、合理的な選択と言えなくもない。なにも男女の間柄まで発展させる必要はなく、あくまで協力者として支援を募るだけだと渋々自分に言い聞かせ、リュアンはキースの提案を受け入れることにする。
「駄目で元々か。わかった、明日時間を見繕って様子を見にいく。お前も来い」
「ふ~む、年長者に対する口の利き方がなっていませんねぇ。どうしたものかな~」
「ぐっ……頼む、い、一緒に来てくれ」
「ふふふ。素直でよろしい」
年下の団長弄りに余念がないキースに、リュアンが頭を下げた時だった。
「――団長、失礼しま~す!」
ノックもせず入って来たのは、先日セシリーの元に姿を見せた二人組の騎士のもう片方、若い赤髪の騎士だ。彼はふたりの様子を見てきょとんとする。
「あれ、なんで団長がキース先輩に頭下げてるんですか?」
「下げてない。……対人格闘術で懐への潜り込み方を指南していたところだ」
とっさにリュアンの口から言い訳がついて出る。赤髪の騎士は嫌味のない性格で、人の失態を触れ回るような人間ではなかったが……女性関係でキースに頼みごとをしていると知られるなど、なんとなく団長としてのプライドが許さない。
「執務室の机越しにですか?」
「どんな状況でも対応するのが魔法騎士の務めだ。こう、素早く腕をかい潜り、首を捻る」
しゅっしゅっと素早く両手を交差してみせるリュアンを、赤髪の騎士はきらきらした尊敬のまなざしで見つめた。
「うわぁ、さすが団長。また今度僕にも指南してもらえますか!?」
「いや、この秘伝のこの技術はまだお前には早すぎる。お前がもし副団長になった暁に、伝授することとしよう」
「楽しみにします! あれ、キース先輩どうしました?」
「いやいや……相変わらずだなと思ってね」
キースは顔を見られないよう、壁に手を突いて背中を震わせている。
自分はともかくとして、純粋で人懐こい若手ホープや、他にも気のいい仲間たちがいるこの職場でのやりとりを、キースはどこか娯楽のように楽しんでいるふしがある。しかしそんなもの、日々おちょくられているリュアンからすればたまったものではない。
(こいつ、今に見てろよ……)
キースにこういった部分があるとは、出会った頃には思いもよらなかった。彼の実力は認めざるを得ないが、リュアンにだって意地がある。数年前と関係性が変わった今、いつまでもこのままにはしておかない。
リュアンは彼にぶすくれた視線を向けると、いつか実力でひれ伏させてやると固く誓うのだった。