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訳あり魔法騎士団長様と月の聖女になる私  作者: 安野 吽
第二章 月の聖女

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ガレイタム王宮にて

 豪奢な馬車から降ろされたセシリーは、目の前の巨大な建造物に人生最大の衝撃を受けていた。おそらくセシリーが小一時間走ったくらいでは周囲を回りきることはできないと思われるその圧迫感と重厚さに、呼吸がおかしくなりそうだ。


(ど、ど……どうしよう。私、生きて帰れないかも知れない)


 ――ガレイタム王国・王宮。王都を威圧感たっぷりに睥睨(へいげい)するようなこの宮殿に足を踏み入れたセシリーが真っ先に抱いたのは、そんな感想だった。


 立ち並ぶ灰鼠色の尖塔、行き交う気品ある人々。こんな場所で自分は、間違いなく異物に違いない。隠れたい……そう思ってセシリーは周囲を見渡すのだが、その肩はがっしりとつかまれ、迫力のある笑顔が肩に迫る。


「ん~どうした? 中に入らんのか」

「ひえっ……」

「化物でも見たような面をしおって……着いてこい」


 吊り上がった黒瞳の主・王太子ジェラルドに背中を叩かれたセシリーは、色々な言葉を飲み込みながら、この場で唯一の知り合いが横をすり抜けたのを見てやむなく後を追う。


 ちなみに、オーギュストは今そばにいない。もう数十年前のこととは言え、彼は騎士という身分でありながら王都から逃げ出した身だ。顔を覚えている者もいるだろうし、おいそれとこんな場所に顔は出せない。そしてリルルが精霊であることもどうもジェラルドは把握しているようで、「安心せよ。月の聖女と縁の深い存在をぞんざいに扱いはせん」と部下に命じ専用の獣舎に連れて行かせた。

 

 そういうわけでひとりとなってしまったセシリーが今彼とはぐれようものなら、宮殿内で迷ったあげく、二度と朝日を拝めないのではないか……そんな恐怖感を抱くのは無理もなかった。


「ま、待って下さい!」


 早足でとたとたと、焦ったように駆け寄るセシリーに王太子ジェラルドは苦笑する。


「なんだお前、まるで子犬のような顔をして……。そういうところは愛嬌があってよいぞ」

「や、止めてください!」


 彼は大きな手でセシリーの頭をわしわしと撫でる。まるでペット扱いにされ、セシリーはむくれそうになったが、相手は他ならぬこの国の次期国王なのだ。怒らせでもしたらと思うと、背筋が冷える。


 黙って少し後ろに付いて歩こうとしたのに、彼は自分から速度を下げて隣に並ぶ。セシリーが人々の視線から彼を盾にしようとしているのを気づいたのだろう。


「はっはっ、せいぜい目立つがいい。そのために町で着替えさせて来たのだからな」

(嫌味な人……)

 

 彼は一旦登城前にセシリーを、ファーリスデルですら名前を聞くことのある最高級服飾店に連れて行き、そこで彼女が来ていた長旅用の簡素な普段着から恐ろしく手の込んだ縫製(ほうせい)のパーティードレスへと着替えさせた。ところどころで白銀色の薄いレース生地が重ねられ、薄紫の下地が花のような形で浮かび上がって見えている。


 それに合うアクセサリも見繕ってくれて、ジェラルドが満足したところを見た店員はそのままお帰りになって結構ですとふたりを送り出した。おそらく後で王宮にまとめて請求するのだろうが……目の飛び出るような大金が納められるのは間違いない。金額を聞かなくてよかったと彼女は胸を撫で下ろしたものだった。


 もちろんジェラルド自身も、丈の長い濃紺のコートとスラックスの上から金刺繍(きんししゅう)の入ったマントを羽織り、威風堂々とした王侯の貫禄を周囲に見せつけている。


「オレの隣に立つにはいささか地味だが、たまにはこういう変わり種も悪くない」

(変わり種で悪かったわね……)


 そうは思うが、ある意味それでもセシリーには過分すぎる評価ではあった。なにせ、自分はただの成金伯爵の娘でしかない。本来こんなところにいていい身分ではないはずなのだ。


 外門から続く中央通路は巨人でも通れそうな天井の高さで、支える大理石の柱はセシリーが三人で手を繋いで輪を作っても囲めるかどうかという太さ。そんなものが両脇から延々と奥まで続く。


 一体どこまで歩いてゆくのだろう……目的地はどこなのか?

 何もかもがわからず不安に思うセシリーに、ジェラルドは優しくささやく。

 

「お前はオレの隣に黙って(かしづ)いているだけでよい。謁見など終わってみればあっという間だ」

「は、はい。……はい?」

 

 ついその甘く深い声に胸を激しく騒がせながらも、セシリーは聞き捨てならぬ言葉に反応した。


「謁見……? 今、謁見って言いましたよね。謁見って、そのう……どなたに?」

「どなたもこなたもあるものか。ひとりしかおらぬだろ……国の最高権力者である国王は」

「こっここ、こここくおう……さまぁ!?」


 ついずるっとその場に膝が折れそうになったセシリーを、ジェラルドが支えてくれる。


「しっかりせぬか。せっかく見繕った服が台無しだろうが。職人が泣くぞ」

「すす、すみません。でも……私無理です!」


 慌てて身をひるがえそうとしたセシリーの腕をさっと取るジェラルド。


「たわけが……ここへ来た以上そなたに選択権などない。黙ってオレの後に着いてこい!」

(やだぁぁぁぁぁぁあ、怖いよぉぉぉぉ!!)


 セシリーはやや苛ついた表情のジェラルドに捕獲され、ずるずると引きずられるように腕を引かれて謁見の間の大扉に近づいてゆく。


 「ジェラルド様、よいのですか? そのような小娘をお入れしても。なにやら妙に取り乱しておりますが……」

「そう言ってやるな、これでもこいつは……」


 番兵たちがセシリーの奇矯な行動に首を傾げたが、ジェラルドがぼそりと耳元で呟くと、途端彼らはしゃっきりと背を伸ばし頭を下げる。


「こ、小娘などと大変失礼致しましたっ! では、開門します!」

(ああぁぁぁぁぁ……)

 

 地獄の釜が開くような思いで、セシリーは門の開閉を見つめる。


「そら行くぞ」


 しかしせっかちなジェラルドはそれが開き切るのを待ってくれず、光がもれる隙間に体を滑り込ませセシリーの手を引く。


(嫌ぁぁぁ、心の準備がぁぁ! あぁ……誰か助けて)


 もちろんセシリーのそんな心の声など誰も聞いてくれない。

 そして、通路に向かって手を伸ばすセシリーの目の前で、無慈悲な番兵たちが重たい音を立てながら、しっかりと扉を閉じてしまった。




 広間がざわめきに包まれる中、堂々とジェラルドは中央に敷かれた青い絨毯を踏みしめてゆき、おどおどとそれに着いてゆくセシリーにも、周りの視線が注がれる。


「あの者は……?」「どうも、月の聖女候補であるとかないとか……」


 先んじてジェラルドが早馬でも送り知らせたのか、ひそひそとささやく声が聞こえ、セシリーは一層肩をすぼめる。ジェラルドは空の玉座の少し手前でで立ち止まると、手振りでセシリーに(ひざまず)くように指示し、自分もそうした。


「国王陛下のお成りである! 皆のもの、控えよ!」


 朗々とした声が響くと、衣擦れの音と共に誰かが目の前に進み出て来て、断続的に鳴らされる銅鑼の間隔がどんどん狭まってゆく。緊張で胃がしくしく痛むが、セシリーにはうつむけた頭を上げてまでその顔を確認する勇気はなかった。


 やがて王様が着座し、静まり返った宮殿内に威厳のある声が響く。


「ご苦労。皆のもの、面を上げよ」


 自然と体が従い、セシリーは吸い寄せられるようにその顔を見つめた。五十に差し掛かるかどうかといった精悍な壮年の男性は、ジェラルドとよく似た容姿をしている。


 ガレイタム王国の現国王――オルコット・セルキス・ガレイタム。

 

 彼はセシリーに満足そうな笑顔で一瞥をくれると、周囲をぐるりと見まわした。


「此度皆に集まってもらったのは、我が息子である王太子ジェラルドが、月の聖女を見出したという知らせを受けてのことであるが……ジェラルドよ、相違無いな?」


 それを受け、ジェラルドも大きく肯定する。


「ハッ……! 後ろに控えしこの者こそ、あのリーシャ・レフィーニの血を受け継ぎし月の聖女候補、セシリー・クライスベルと申す娘です」

「おお……」「あの才女の娘か!」


 母の元の名に反応した貴族たちが驚き、周りの目が一斉にこちらへと向く。そこに大きな期待が込められているのは見なくても分かり、身体を押さえ込むような大きな重圧がセシリーを襲った。きっと父や母も、かつてこのような場所に身を置き、苦悩していたのだ――そんな微かな感慨が頭によぎる。


 室内のざわめきは、国王が片手を小さく掲げただけでぴたりと止まり、彼は初めてセシリー個人へ言葉を掛けた。


「セシリーとやら。よき機会じゃ、この場で月の聖女たる資格を証してみせよ」

(そんなこと言われましても……)


 単刀直入に告げられた国王の言葉にセシリーはどうすることもできず固まり、背筋を冷や汗がつうっと伝っていく。そも聖女がなんたるかすら彼女にはまったく分かっていないのだ。かろうじて魔力を知覚できるようになったのがつい最近のことで、ファーリスデルでならず者に捕らえられた時のような聖女としての力など、意図して発揮できようはずもないのに。


 ざわめきと疑いの声が俯くセシリーの胸をつつき、呼吸すら覚束なくなってゆく。


「どうした? 言葉だけでは何人も納得させることはできぬぞ?」

(どうしたらいいの……!?)


 国王の訝しむ声が聞こえ、真っ青になったセシリーだったが、そこでジェラルドが励ますように手のひらを背中に触れさせ、後ろから助け舟を出してくれた。


「王よ、発言をお許しいただきたく」

「申せ」

「疑念を抱かれることも当然かと思い、用意させていただいたものがあります。……あれを」

「ハッ!」


 彼が指を鳴らし合図すると、部屋の壁に並んでいた従者が木製の台を持ち寄り、セシリーの前に置いて下がった。


 ジェラルドによりその上にかけられた布が取り払われ……彼は台の上に置かれた道具をつかむと、よく見えるように大きく掲げる。


 それは、ところどころが黒ずんだ古い銀の手鏡だった。しかし、鏡面までべったりと蝋のようなものがこびりついて本来の役割を封じられ、なにも映すことはない。


 彼は手鏡をセシリーに差し出すとこう伝えた。


「セシリーよ。これを持ちて祈りを捧げるのだ。お前が本当にリーシャ……サラの娘ならば、この手鏡を元の姿に戻すことが可能なはず」

「い、今の私にそんなことできるはずないじゃないですか! いくらお母様の娘だからって、魔法だって……魔力を体の外に出すことだって、まだ上手くできないんですよ!?」


 動揺するセシリーの手を取ると、ジェラルドはそれをしっかりと握らせ、強い瞳で見つめる。


「いや……できるはずだ。お前はあの森で白狼たちに迎え入れられたではないか。あの様子だと、月の女神からの託宣(たくせん)も受けたのであろう。今は魔力を操ろうなどと考えるな。それを持ち、守るべき者の姿を強く思い浮かべろ……父でも、友人や家族、恋人でも、なんでもいい。それだけに集中するのだ……。今は周りは見なくてよい」


 王都までの道行きの途中、ジェラルドはセシリーをある森へと連れて行った。そこでの出来事を思い出させようとするかのように彼は、座り込むセシリー両肩を強く掴み、顔を強引に合わさせる。顔立ちはほとんど似ていないのに、その雰囲気は……どこかやはりリュアンに重なる。


「さあ、目を閉じ、呼吸を落ち着かせろ。大丈夫だ……お前なら皆を救える」

(そうだ……私には幸せになってほしい人たちがいる、それだけは間違いないもの……!)


 セシリーは言われた通り手鏡の柄を両手で握り締めると、今は彼を信じ、大切な人たちの顔を思い浮かべ一心に祈る。肩を支えるふたつの手の熱さが、今は頼もしかった。


 自分にはちゃんと母サラの血が流れている……そのことだけは自信を持って言える。だからきっと、大丈夫なのだとセシリーは自身を励まし、誰とは言わずに願った。私に皆を助けるだけの力を与えて下さいと……。


 やがて、体の奥から大きく湧き上がったものが、手鏡へと吸い込まれる。

 セシリーはそこで目を開いた。あの時と同じ光が瞬き、何かが起こったことを彼女に確信させていた。


「見よ、これが証だ!」

「おお……」「……素晴らしい」


 高らかに宣言したジェラルドにより、セシリーの腕が掲げられ、広間を銀光が照らす。熱を帯びたうめきが、人々の合間から漏れる。


 ……パン……パン……パン。


 そこで国王が手ずからの拍手と共に玉座から立ち上がると、セシリーを見つめ命じた。


「うむ! これをもって認めよう、セシリー・クライスベルこそが、月の聖女たる資格を持ちし者であると! 既にレフィーニ家の血筋は途絶えたと思っておったが、そなたがおればこの国も安泰じゃ。これよりぜひ国の象徴として、ジェラルドと婚姻を結び、共にガレイタムの繁栄に尽くしていってもらいたい!」

「ハッ……!」


 ジェラルドが即座に跪き、国王に頭を垂れたが、セシリーはぽかんと口に開けるばかりで彼に続くことはできなかった。感動から切り替わった意識が、自動的に国王の言葉の意味を反芻(はんすう)する。


 婚約を結び、共に繁栄に尽くす……それは、すなわち。


(ジェラルド様と結婚。それって、王妃になれってこと、ですか? あら~……)

 

 恐ろしい現実を認識した瞬間、セシリーの体は鏡を両手で固く握ったままゆっくり傾き、意識は遠いところへと旅立って行った。

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