セシリーを追って
曇り空の下、ファーリスデルの王都からふたつの騎影が出発する。
ひとりは黒髪、ひとりは赤髪の騎士が見事な手綱さばきで馬を走らせながら、西にある隣国を目指していた。
「団長、団長……っ! いくら魔法で負担を和らげてるとはいえ、これ以上速く走ると馬が潰れちゃいます!」
「……わかってる!」
それはファーリスデル王国魔法騎士団所属のふたり、リュアン・ヴェルナーとラケル・ルースの姿だった。わずかに速度を緩めたリュアンにほっと息をつき、追走するラケルは鋭く道の奥を睨む。
(セシリー……一体何があったの? お願いだから彼女を守ってよ、リルル……!)
――つい数時間前のこと、任務返りのラケルが厩舎で馬に水を与えていると、新米騎士の双子の片割れ、ティビーが血相を変えて話しかけてきた。
「おいラケル! なんかさ、セシリーちゃんが隣の国へ行ったまま帰って来ねえんだって! 今執務室で団長たちがエイラさんに話聞いてるから、お前も行って来いよ!」
「え!? うんすぐ行くよ!」
エイラはセシリーの口利きで先日から魔法騎士団の日常業務を手伝ってくれていた女性だ。ずいぶんしっかりした人で、セシリーが太鼓判を押すだけあると騎士たちの評判もよかったのだが……。
最近わずかに表情が曇っていたのはそのせいかと、疲れも忘れて厩舎を飛び出したラケルは急いで執務室へと走る。
(こっちこっち、今話してる!)
手招きしながら扉の外で聞き耳を立てていた片割れのもうひとり、ウィリーに話を聞くところによると……オーギュストとセシリーが隣国へ赴いた後、ふたりからの連絡が途絶えてしまったのだという。本来なら一週間も有れば往復できるはずの道のりが、期日を過ぎても帰還しない。
オーギュストは長期不在する場合は旅先でも必ず連絡を入れる。だが、今回はガレイタム入りした際の報告だけで、その手紙にも途中で寄り道するとは書いておらず、どうも不安でたまらなくなったのだそうだ。
ラケルはそっと扉を開けた。隙間からは……キースとリュアン、エイラの三人が深刻な表情で話し合っているのが見える……。
「――セシリーさんの母君のご供養だということでしたね……。目的地はここです、ガレイタム王国の南東部にある、フィエルという小さな村。エイラさんのおっしゃる通り……なにかトラブルにでも見舞われていなければ、こうまで時間が掛かるのはおかしいか……」
発つ前に話を聞いていたのか、キースは隣国の地図を取り出すと場所を確認し始め、リュアンもそれを覗き込む。そして同様の判断を下したのか、彼は地図をじっと睨んだ後すぐに、衣類掛けに吊るしたマントを羽織り背を向けた。
「……俺が行く」
「待ちなさい! そう何度も、騎士団の長であるあなたが出張ってどうするのです! 心配なのは分かりましたから、団内でも選りすぐりの腕利きを派遣します。それでも不安なら私が直接行きましょう。どうか我慢して下さい……」
「駄目だ……!」
キースは額を押さえながらリュアンを説き伏せようとしたが、彼はぐっと口の端を噛み締めて振り向く。
「知ってるだろ。あの国のことは俺が団内の誰よりも詳しい。それに何より、セシリーの身柄が拘束されたと考えるなら、王国の手の者である可能性が高い。彼らと交渉を行える可能性が有るのは、俺だけだ」
「ですがね……! はあ……あなたも分かっているでしょう。いくらセシリーさんたちがファーリスデルの国籍を持っていたとしても、もし彼女が《月の聖女》であることを理由にガレイタムの王家が身柄を取り戻そうとしたのであれば……我々がそれに抗うのは困難です!」
(どういうことなんだろう……セシリーがなんだって?)
ラケルは彼らが話している内容が把握できず、そのままリュアンたちの話に聞き入る。彼らの話だと、まるでセシリーが特別な立場でもあるかのような口ぶりだが……。
思えばふたりは時々、なにか深刻な表情で執務室で話している時があった。他の騎士に聞いても、誰もその内容に心当たりは無いようだったし、なにか非常にプライベートな秘密が彼らの間にはあるのかもしれないと思ってはいた。でも、それに隣国やその象徴である《月の聖女》、そしてセシリーまでが関わっているなんて、ラケルは信じられない思いだった。
思いを巡らせる中、ふたりの会話は続く。
「わかってる。セシリーが自分の意志で月の聖女として彼らに協力するのなら、それでいい。でももし、あいつが意に沿わぬようなやり方で従わされるというのなら……俺は、やはり見て見ぬ振りは出来ないよ……。あいつには大きい借りができたし、それに……」
リュアンは、はっと気づいたように胸を押さえると、キースに真摯に頭を下げる。
「頼む、今回だけは行かせてくれ……! そのためなら騎士団を……除籍処分にしてくれても構わない!」
(団長が、こうまでして人のために頭を下げるなんて……。そんなにも、セシリーのことを心配して……?)
滅多に見ないリュアンの取り乱した姿を陰から覗いていたラケルは衝撃を受けた。じっと厳しい目で見つめていたキースもそれには静かに嘆息し、手のひらを上にして降参する。
「やれやれ……これ以上忙しくなってしまうと、こちらの方がどうにかなってしまいそうなんですがね。あなたに彼女と仲良くするよう炊きつけたのは私ですから仕方ないですか……。あなたが不在の間、責任を取ってどうにかして回して見せますから……行って来なさい」
「本当か!」
「ただし、ひとつ約束です。行ったきりは無しで、必ずふたり揃ってまたこの場所へと戻ってくること。大災厄が無事封印されたしても、この先も未来は続いていくんですからね。あなたにはここの団長として、その平和を守る義務がある。そうでしょう?」
「……ああ! 必ず戻ると約束する……。それじゃ、行ってくる!」
「――待ってください!」
リュアンがこちらに歩み出そうとした時、ラケルは扉を大きく開いて室内に飛び込んだ。話に夢中で気付かなかったふたりは揃って苦虫を噛み潰したような顔をする。
「僕も……一緒に行かせてください。セシリーが心配なんです。それに……リルルだって向こうにいる」
「し、しかし……お前は今回の件には無関係で……」
「あなたもどうせ止めても聞かないんでしょう……いいですよ。しかし条件が有ります……」
「キース!?」
口ごもるリュアンに対し、キースはふたつ返事で頷く。
「向こうの国で起きたことは一切他言無用。そして、向こうでは徹底して団長の指示に従うこと。このふたつをきっちり守れますか?」
「はい、厳守します!」
「だが、キース……」
「この際です、いい加減あなたの事情を知る協力者を少しでも増やした方がいい。彼なら口も堅いし、力量も十分に有ります。きっと、助けになってくれるはずですよ」
「お願いします……連れて行ってください、団長!」
ラケルは断わられても無理にでも着いていくつもりでいた。そしてリュアンも自分がキースに無理を言っておいて他人を咎めることはできなかったのか、断らずに頷いた。
「急ごう。着いて来られないようなら置いて行く」
「はい!」
そこへエイラが走り寄って来て、気が気ではない表情でふたりに懸命に頼み込む。
「おふたりとも、どうかお願いします……! 御館様は、かつて身寄りのなくなった私をクライスベル家の使用人として受け入れて下さった恩人で、そして御嬢様も私にとっては……年の離れた妹のような存在なのです。ですから、どうか……ううっ!」
「大丈夫ですか!? 心労が溜まっているのでしょう……」
エイラの顔色はひどく優れず、胸を押さえ辛そうにしていた。しかしキースに支えられながらも、彼女はリュアンに懸命に頭を下げる。
「どうか、ふたりを……」
「わかっています。向こうに付いたらすぐ、必ずセシリーたちの無事を知らせますから、待っていて下さい。キース、彼女を休めるところへ」
「ええ、こちらのことは任せてください。では、お気をつけて」
そんなエイラの肩を優しく叩くとリュアンはすぐに身をひるがえし……ラケルも小さく頭を下げると、扉の裏で成り行きを見守っていたウィリーに激励され、後を追う。
ロージーに断わって、物資の倉庫で旅支度を整えるリュアンの顔付きはなおも険しい。
(一体、団長は……僕らに何を隠してるんだ)
大きな疑念を胸に抱きながらも、ラケルは手早く外套を着こみ、皮の背負い袋を肩に掛けると彼の指示に従って馬に乗り込み本部を出発したのだったが――。
「――ラケル」
「……すみません」
……今度はラケルの方がリュアンを引き離しそうになり、慌てて速度を緩める。
彼らは並走しながら強い焦りを滲ませ、言葉を交わした。
「団長は……ふたりがどうなっているか、心当たりがあるんですか?」
「今は……まだ言えない」
「何故なんですか、教えてくださいよ! 団長のことを。キース先輩は知ってるんでしょう!? 今はまだ、頼りないかもしれないけれど、僕だって同じ騎士団の仲間じゃないですか!」
リュアンがこんな時にまで隠し事を続けるのは、それだけの理由が裏にある。そういうことだとは分かっていても、ラケルはもっと自分たちを信頼して欲しかった。
しかしリュアンは首を縦に振ろうとはしない。
「セシリーたちの身柄を確認したら……もしガレイタムの王都に行くことになったら、その時に話す」
「……必ずですよ」
今は疑問を飲み込むと、ラケルは馬を操ることに集中する。ぽつぽつと降り出した雨から魔法で己と馬を覆う。
彼の胸にはキースから以前貰った連絡用の金属板がある。もし入れ違いになるような事があれば彼が一報をくれるはず。何事も無く戻ってきたセシリーたちの声を聞き、早とちりだったと胸を撫で下ろす、そんな展開を願いつつも……そうはならないという確たる予感が何故か胸の中にはあった。
少なくとも、隣を走るリュアンの横顔は、そう語っていた。




