魔法の特訓②
「――なるほど。まずは内なる魔力を感じとるべし、それがすべての道に通ず……か」
ひどい目にあった翌日も懲りずにセシリーは、キースから受け取った魔法使い用の教本に目を通し、魔法を学んでいた。
体内に存在する魔力を感じ取れるようになったら、次は魔力自体を放出したり、体外から取り込んだりという段階に進み、それが自由自在に扱えるようになって初めて、魔法の詠唱や、魔法陣を描く練習、魔導具の作成といった専門分野へと進んでゆくと書かれている。
教本にあった言葉を暗唱しながら、セシリーは陰鬱なため息を吐きつつ、気分が悪くなるのを覚悟で昨日の嫌なぴりぴりを思い出した。丁度鳩尾の裏から、体中に張り巡らされた網に電流が走っていくような感覚。
「う……うぅーっ!」
額に脂汗を浮かべながら、唇を噛む。昨日と違って痛みはないが、確実に何かが体の中を移動してような妙な感覚がある。セシリーは集中したままそれが、体全体に広がり切るのをじっと待った。
五分経ち、十分経ち……ふいに薄ぼんやりと、瞑っていた瞳の中が明るく照らされた感じがして、目を開く。そして、目の前にあった姿見を見る。
そこには、刃物に映ったあの時の瞳と同じ、ぼんやりと銀色に光る自分の双眸があった。
「……やった。きっとこれが魔法を使う、準備の段階なんだ……」
両手を広げて見下ろした自分の身体も、今は薄ぼんやりとした靄のような光に包まれている。それは力を抜くと、すっと体の奥へと引っ込んでしまい、セシリーはどっと疲れてベッドに倒れ込んだ。
(これ、凄い疲れる……。皆いつも、こんなことやってるの?)
今更ながら魔法使いの偉大さに頭が下がる気持ちになりながら、でもセシリーはわずかばかりの手ごたえを感じ、手を突き上げると再度体を起こす。
「頑張ろう……体に覚えさせるんだ」
毎日必死に訓練をこなす魔法騎士たちを見習おうとセシリーは顔を上げ、何度同じことを練習する。今もきっとそれぞれのすべきことを懸命にこなしている騎士団の皆を思うと、自然とセシリーの気持ちは前に向かい、地道な努力も苦にはならなかった。
◆
『素晴らしい! もう自らの魔力を操る感覚を手に入れたのですね、非常に順調です……。間違いなく、あなたは一流の魔導師になれる才能が有りますよ!』
「そんな。取りあえずなんとなく、ちょっとだけ引き出せるようになったってだけですし……」
魔導具越しのべた褒めに舌を出して照れながら、セシリーは練習の成果をキースへと報告する。あんなことを繰り返していたら、いつのまにか陽は昇り沈んでしまったようだ。集中していると一日が過ぎるのはとても早い。
『それを掴むのが難しいものなのですよ。できない人間は一カ月経とうが一年経とうが不可能ですから。昨日の薬での反応も、セシリーさんが魔力に対し至極繊細な感覚を持ち合わせている証拠ですね……この調子でどんどん先に進めましょう。ですが気を付けてください。魔力の使い過ぎは、体に悪影響を及ぼす恐れがあります。気分が悪くなったらすぐに中止し、しっかりとリラックスして休むように』
「はい。気を付けます……。でも、なるべく短時間でこの状態にたどり着けるようになったら、後はどうすればいいんですか?」
キースはひとつこほんと咳をして間を取り、セシリーに紙袋から青いガラス瓶に入った液体を取り出すよう指示する。
「これは……?」
『教会で清めてもらった聖水に、特殊な魔法薬を足したものです。魔法は奥が深い……属性や用途に応じた様々な魔法の系統など、本気で学ぶなら途方もない時間が必要です。ですが今あなたに率先して覚えてもらいたいのはそこではない。魔力を感じる術を覚えたのなら、少しずつそれを体から出し、操る感覚を身につけていきましょう』
キースはセシリーに、たらいに入れた水を用意させ、そこに薬を一滴垂らすよう命じた。
『魔力を帯びた状態で、そこに手を入れ、自分の体の一部であるかのように念じてください。手を動かさずに、水に何らかの動きが生じれば、それはあなたが水を魔力で動かすことができるようになったという証です』
セシリーは、一応何かあった時のために魔力封じの青い丸薬を傍に置くと、早速やってみた。しばらく目を閉じ魔力を体に行き渡らせると袖をまくり、水面に映る自分の瞳が光るのを確認してそろそろとたらいに手を入れたが、普通の水と違いは感じられない。水面に変化も無く……む~む~唸っていると、キースから次いで声が掛かった。
『なんらかのイメージを持つとよいですね。波紋を作る、かき混ぜる、気泡を作る、噴水のように上に打ち上げる……等々、色々試してみるといいかと。人によってやりやすい型は変わりますので』
「……うう、ぴくりとも動きませんよ」
『ははは、心配ありません。この修行には、魔力を感じ取るより多くの時間がかかるのが通例ですから。先の段階をかなり短縮できたので、焦る必要もないでしょう。地道にやって下さい』
「わかりました。頑張ります」
そのままスムーズにいかずに少しはがくりときたものの、そもそもこれが普通なのだ。セシリーはクライスベル家の一人娘として、商売に関する知識を覚えさせられた時のことを思いだす。触れる機会が多いものから自然と身に付いていたし、毎日意識的にやっていればきっと何かしらの変化は出てくるはず……今はそれを信じてやるのみだ。
『近々行われる節刻みの舞踏会に出席することができれば、そこで太陽の聖女……フレア・マールシルト様と会う機会もあるでしょうから、彼女に色々聞いてみるのもよいかもしれませんね』
水面を見つめ、洗顔とか魔力でできるようにならないかな、などと横着を考えていたセシリーはうっ、と顔を曇らせた。太陽の聖女――彼女のせいではないので大変申し訳ないのだが、その呼び名を聞くと苦い思い出とマイルズたちの顔が浮かんで、どうしても肩が重い。
「あはは……王太子と婚約された方ですよね。ち、ちなみに……具体的に封印はどういった形で行われるんでしょうか」
『申し訳ありません、それに関しては私もよく存じていなくてね。特殊な封印の儀式が執り行われるのだと耳にしたことは有るんですが……おそらく王家の方からその折に御説明があるはずです』
「おおお!? 王様と会うんですか!? 私……私……」
『大丈夫、その時はおそらく団長も傍にいることになるでしょうから、彼がしっかりエスコートしてくれますよ』
(なんで団長が……?)
セシリーは首を傾げたが、キースが急用で一旦外に出ると告げたため、その日の魔法講習はお開きになる。セシリーはキースにしばらくの間、時間が欲しいと伝え、彼はそれを了承して通信を切った。
(お父様と、ちゃんと話し合わないと……)
真正面から父オーギュストに、自分の気持ちをはっきりと伝え、魔法騎士団の力になることを許して貰わなければならない。それには多分どうしてこんなにも父が過剰にセシリーのことを守ろうとするのかを、ちゃんと知らなければならない。
父が自分を思いやって、ああしてキースに厳しい言葉を吐いたことはわかっている。けれど、あくまで自分の進む道を決めるのは、セシリー自身でなければならない。それが分かってくれるまで、何度跳ね除けられても、言葉を尽くして理解して貰わなければ。
エイラには父が帰ってくれば知らせてくれるように頼んである。それまでは……とセシリーは冷たい水に手を浸し、変化の起こらない水面をひたすら注視し続けた。




