父の心配
『――セシリー・クライスベル。お前に選択権は無いのだ……』
そんな言葉の通り、私は今無理やり……とんでもないところに連れて来られていた。
とてつもない大きさの広間に居並ぶ、大勢の厳めしい貴族たちの前で体を低くした私は、ここへ引っ張ってきた目の前の人物の言葉を思い出し、ごくりと唾を飲む。
視線の先で私と同じように跪いているのは、美丈夫と言った感じで背が高く体格もよい、黒髪黒目の端正な顔の男性。その外套の背に大きく刻まれた紋章は、私の育った国のものではなく隣国のもの。
『此度皆に集まってもらったのは、我が息子である王太子ジェラルドが、月の聖女を見出したという知らせを受けてのことであるが……ジェラルドよ、相違無いな?』
『ハッ……!』
そのさらに前方で、煌びやかな衣装を纏い私たちを見下ろして高らかに声を上げたのは、信じがたいことに隣の国の王様なのだという。そもそも、目の前の彼だって、他ならぬそこの王太子らしいのだ。そしてここは隣国の王宮、何を隠そう謁見の広間というやつであった。
何か粗相をしたらと思うと気が気ではない。つい数日前まで、彼らとは何の面識も無かった私がどうしてこんな絶望的な環境下に置かれるに至ったのか、私自身も理解したくはない。できることならすべて忘れてこの場を飛び出し、一目散にファーリスデル王国へ逃げ帰りたい。
でもこの身ひとつではそれはできないし、どうにかしてあの国に戻るためには、現状をしっかり把握しなければならない。それにはやはり一度、少し前から記憶を遡る必要があるだろう。
すべては、私の望みから始まってしまったのだ。生い立ちを……母のことを知りたいとそう望んだことから――。
◆
誘拐事件から五日も経つと、リュアンは持ち前の回復力を発揮して完治したと判断され、医院から魔法騎士団へと戻っていった。喜ぶべきことなのだが、その姿を見送った次の日、セシリーはクライスベル邸にて自室で退屈そうにテーブルに顔をくっつけていた。
「あ~っもう、お父様の馬鹿! って言っちゃいけないわよね、今回は」
セシリーの口から重たい溜め息が飛び出したのは、父に心配を掛け過ぎたのを自覚しているからだ。そして彼女がなぜもこう暇を持て余すことになったかというと、事件の後オーギュストから、ひとりでの外出、特に魔法騎士団へ出向くことを禁じられたせいであった。
抗議はしたものの取りつくしまもなく、約束を破ればもう家から一歩たりとも出さないとまで言われてしまった。不満はある。しかし一人娘が誘拐に遭いぼろぼろの姿で帰ってきたのだから、当人としては父の不安を和らげるべく、しばらくは大人しくしておいてやるべきだろうとも思う。
リュアンの退院まで、エイラの監視付ではあったけれどもお見舞だけは大目に見てくれたのがせめてもの救いだろうか。せっかく騎士団での激務が緩和されて喜んでいたロージーには申し訳のない気持ちでいっぱいだ……。
「困ったなぁ~……」
やらなければならないこといくつかある。あの時の異様な魔法のな力のことについてちゃんと知り……可能であればそれを制御できるようになること。それには魔法騎士団に戻るのが一番の早道だろう。魔法のエキスパートたる彼らなら、この力について何かわかるはず。
(お父様に謝らないとなぁ……)
だが、それよりもまずセシリーは先に父に謝りたかった……。再度リュアンたちの元へ戻るには父からの許可が必要という打算は抜きにして、だ。
彼から預けられた母の形見とも言える髪留めを失ってしまったことについて、忙しい父とはまだ話す機会を持てていない。しかし現状セシリーには、こうして思い悩むくらいしかできることはなかった。
歯痒さに唸り声をう~う~上げていたところに扉が開いてエイラが顔を出すと、セシリーを呼び寄せる。
「御嬢様、魔法騎士団から副団長のキース様がおいでになっておりますが」
「えっ!? すぐ行くっ!」
セシリーはすぐさま身を起こすと、エイラの手を借りて鏡の前で素早く身支度を整え、応接室に足を運ぶ。急いた気持ちに突き動かされ、手早くノック。そのまま返答も待たず足を踏み入れると室内は人払いをされており、緊迫した空気に包まれていた。
「キースさん!」
「セシリーさん、先日はどうも。丁度お父上とあなたに関わるお話をしていたところです。彼女も同席していただいて構いませんね、オーギュスト氏?」
「……座りなさい、セシリー」
セシリーは促されるまま、苦々しい顔をしたオーギュストの隣に腰を下ろす。このところ、父の笑顔は一向に見られず、心配は募るばかりだ。
「父と、何の話をしていたんです?」
「では最初からお話ししましょう。おふたりとも、この国と隣国に伝わる古き伝承……『月と太陽の聖女』という逸話はご存じですね?」
当たり前のようにセシリーは小さく頷き、子どもでも知らないものはいない有名な伝承が、自然とその頭の中に思い浮かぶ。
――昔々あるところに、ふたりのよい王様と、悪い王様がおりました。
――よい王様たちの国に挟まれる形だった悪い王様の国では、彼が贅沢な暮らしをするために、国民に全員に厳しい税金がかけられていました。そのせいで国民たちは『こりゃあたまらん』と、よい王様たちの国へとどんどん逃げ出してしまいます。
――困り果てた悪い王様でしたが、それでも改心することはなく、赤い髪と青い髪をした姉妹の悪い魔女を呼び寄せ、知恵を乞うことにしたのです。すると彼女たちは、『国などというものが他にもあるからいけないのですわ。他はすべて滅ぼして、あなただけが世界でひとりだけの王様になっておしまいなさい』……とささやきます。
――素晴らしい計画だと手を叩いて喜んだ悪い王様は、魔女たちの誘いに乗り、強い魔法の力を手にします。しかしそれは同時に強い呪いでもあり……王様は次第に体も心も魔物となって、魔物たちの軍勢を操り両隣の国に攻め込みました。
――そんな時、立ち上がったのが両隣の国で、それぞれ一番の英雄だったふたりの王様と、どちらも負けず劣らず美しい心を持ったふたりの聖女だったのです。
――聖女たちは、始めはただの貧しい村の修道女にすぎませんでした。しかし、一生懸命に苦しむ人々を助ける姿が目に留まり、太陽の女神様と月の女神様のが大いなるお力を授けてくれたのです。そして神様のお導きにより聖女たちは、よい王様たちと共に魔物を退け、終いには黒い竜と化してしまった悪い王様の元まで辿り着くと、それを協力して打ち倒します。悔しそうにわめいていた魔女たちも力を封じられ、どこかへと消え去りました。
――すべてが終わった後……ふたりの王様はしっかりと握手し、協力して互いの国を守ってゆくことを誓うと、聖女たちと抱き合いました。色々な場所で人々を必死に人々を救おうとする姿を見て、それぞれの国の王様たちも聖女たちも、お互いをすっかり愛するようになっていたのです。
――そして聖女たちは王様と結ばれ、ふたつの国では女神さまたちへの感謝を示そうと、どこよりも高い時計塔が王都に建てられ、年に二度お祈りが捧げられるようになりました。そして素晴らしい統治者たちの元、この地に平和が戻ったのだということです……。
……さして珍しくもないおとぎ話の一節を思い返した後、セシリーは顔を上げた。
「それが、どうかしたんですか?」
「奇妙には思いませんか? 実際に、このファーリスデルという王国にも隣国にも、その存在を祀られ、次期王妃となるため、王太子と婚約する太陽と月の聖女が存在する。そして、隣国と我々の国はこの五百年程、一度も争うことなく友好関係を続けてきた」
「たしかにそう言われれば符合する点も多い気もしますけど、私、聞きましたよ? ふたつの国の間にはなんにも無い、だだっ広い剥き出しの砂地があって、それが緩衝地帯として争いを妨げてるだけなんだって。それを利用して、ただのお伽噺をらしくなぞって、国民の王家に対する信用を集める手段にしてるだけじゃないんですか……?」
ファーリスデル王国とガレイタム王国、双方のちょうど真ん中には、緩衝地帯になるかのように広大な砂丘が広がる。たしかその名を、リズバーン砂丘といったはずだ。この土地は確か両国どちらの所有物ともなっておらず、未だ中立地帯に規定されている。
「ねえお父様、そうなんでしょ? どうしてさっきから、一言も話さないの?」
父オーギュストは先程から黙りこくって、キースの顔を強い眼で睨み付けている。真っ向から視線をぶつけ合うふたりの間には、なんらかの意思の交換があるように感じられた。
「あなたがどうしても娘さんにお話しする気が無いのなら、私から言います。いいですね?」
オーギュストの喉がぐっと動き、迷うように視線がわずかに揺らぐ。しかしキースは臆さずに、その先の話をぶつけた。
「この『月と太陽の聖女』という伝承は実話なのですよ。五百年程前、愚かな王ごと、ひとつの国が滅んだというね……」
「……ええと」
セシリーは、ぽかんと口を開けながらキースが、『なんてね。ちょっとした冗談ですよ、雰囲気を和らげるための』……などと、軽くウインクでもして場をにごしてくれるのを待った。しかしいくらも経たず彼から持ち出されたのは、さらにその話を肯定させようという材料だった。
「もし信じられないのであれば、そうですね。家名に誓い、先程の会話の内容が真実であると誓約書をしたためても構いませんが……」
「い、いえ、結構ですけど……」
セシリーはずるっとすべった体勢を戻しながら、浮かんだ疑問をそのまま告げる。
「でも、だったら王国はどうしてわざわざそれを秘密に? ……だって、その悪い王様は倒されて、今この一帯は平和じゃないですか。全部終わったことなんでしょ?」
「――終わってなどいなかったのです」
鋭く言葉を差し挟むキースの眼差しに捕らわれ、セシリーは息を呑む。オーギュストから何も反応がないことを確認し、キースはそのまま言葉を続けた。
「悪戯に不安を煽られた国民が恐慌に陥るのを防ぐため、この事実はごくわずかの人間にしか知らされておりません」
ゆめゆめ他言なさらぬように……。そうした前置きの後、キースは青い瞳一杯にセシリーの顔だけを収めて身を乗り出すと、その手を強く握った。
「かつて打倒されし悪王リズバーンは、あの不毛のリズバーン砂丘へと封ぜられただけだったのです。そして今、かつて両国の王と聖女たちが手掛けた封印は破られようとしている……! 大災厄の再来を、そして多くの人命が失われるのを防ぐため……《月の聖女》の血を継いだあなたの力を、どうか貸していただきたい――!」
◆
「……はぁ。月の聖女、かぁ……」
深夜。自室のベッドから見上げてみても、夜空を煌々と照らす丸い月は、なにも訴えかけてはくれない。
――結局あの後、キースの話をオーギュストは強く否定し、屋敷から追い出した。
「何の証拠があって、娘がそんな者だと言うのだ!? 言い掛かりは止めてくれ!」
「ですが……! 先日の事件でセシリー嬢が襲われた際彼女自身から、瞳が銀色に強く瞬いた後、自分が魔法の力で地下牢獄を破壊したのだという証言を受けています! 辺りに残っていた魔力も分析の結果、彼女の身体から発せられたものに間違いないと……」
「そんなものは知らん! 娘を守れなかったくせに勝手に祀り上げ、またセシリーを危険に晒そうとするなど、騎士団が聞いて呆れる! 娘にどんな力があろうが、あんたたちにどうこうされる謂れはない! 金輪際我々に近づかないでくれ……出て行け!」
オーギュストはキースの肩を掴んで引っ張り上げ、彼を強引に扉の方へ突き飛ばす。
「ちょっとお父様、やりすぎよ! 止めて!」
「お前は部屋で大人しくしているんだ! 二度とこいつらとは関わるな――!」
激高したオーギュストをセシリーがしがみついて止めるそばで、キースは話を急ぎ過ぎたことを謝罪し、再度の来訪を約束すると退室していった――。
「聖女ねぇ……。どんな感じだったかしら」
セシリーは昔々に持っていた本の装丁を思い出す。表紙右手に金髪金目の太陽の聖女、左手には銀髪銀目の月の聖女が向かい合い、二本の時計塔の上で両手を握り祈る姿で描かれていたように思う。
――心も姿も美しく清らかな、神様に認められし女性。
「……全然違うんだけど」
手鏡に映した、それとは似ても似つかぬ自分の地味な茶髪とグレーアイを目にし、セシリーは口をひん曲げた。
とはいえ、彼女に大きな魔力が眠っているのはもはや間違いのない事実である。どうしてそれが今まで表に出なかったのか、なぜオーギュストがひた隠しにしようとしたのか。それらの疑問を考える内、セシリーは意識がぼんやりと霞むのを感じた。元々考えごとは苦手なのだ。
(そういえば……よく覚えてないけど、お母様は、そんな感じだった気も……す、る……)
窓の外からの月光が、セシリーの内にある母のおぼろげな記憶を照らし出してくれるような気がして、じっと見入っている内に……意識は白い光に吸い込まれるように、その中へと溶け込んでしまった。




