和解とこれから
誘拐事件から三日。王都のとある医院で現在、魔法騎士団長リュアンは療養生活を送っている。
傷は大半が治癒魔法で回復はしたが、何か所か骨折していた部分があり、それが治癒しきるまであと数日は掛かる予定だった。
(暇だ。少し瞑想でもするか……考えたいこともあるし)
彼はベッドの上にゆったりと座り込む。
セシリーが戻っていないと聞いた時……リュアンは自分でも信じられないほど取り乱してしまった。騎士団の誰かに声を掛ける余裕もないまま敷地を飛び出し、挙句ならず者たちにいいようにされるなど、団長としてあるまじき失態だ。しかしそれでもリュアンは彼女が傷つけられたらと思うと抵抗できなかった。
出会って一カ月もたたないのに……。最初はあんなにリュアンのことを嫌っていたのに、今ではまるで友人のように素直な笑顔を見せてくれるようになった彼女を言葉と態度で傷つけ、あの場から追い出したのは自分だ。
運よくあの場では彼女に秘められた魔力が解放され、どうにか助かったようだが……リュアンは彼女になにもしてやれなかった。なんとかして償いたい気持ちでいっぱいだった。
(前に来てくれた時も暗い顔をしていたし。少しでも元気づけてやりたいが……)
「――また見つかって、誰かさんに怒られても知りませんよ?」
「おわぁっ! ……ったく、ノックくらいしろキース……」
病室にいきなり踏み込んで来たのは、副団長のキースだった。
彼の言う通り、見舞に来たロージーにきつく言われたのは記憶に新しい。リュアンはばつの悪い思いでベッドに座り直すと、皮肉げに口元を上げているキースに向けて低い声を出す。
「もうほとんど傷はなおってるんだよ。それで、一体何の用だ?」
「これはとんだご挨拶ですねぇ。こっちは時間の取れない中、わざわざお見舞に来てあげたというのに。ああ大変だ、どこかの誰かさんが休んでなければ、こんなことにはなっていないんですがね~」
「お前っ……」
団長不在の負担が影響しているのだと……アピールするかのように大袈裟に首を鳴らしたキースは、苛立ったリュアンに牽制するように指を突き付ける。
「セシリーさん、心配してますよ。万一これ以上怪我が長引いたら大変でしょう。早く彼女に元気な姿を見せてあげなくてはね」
「……わかっている」
「ご自愛お願いしますよ。それと……すみませんでしたね」
「ん?」
むくれたリュアンの目の前に立つと、キースは神妙な表情で頭を深く下げた。
「セシリーさんから話は聞きました。魔法を封じられたあなたが、自分が傷つけられることも厭わず、彼女のために捕まったことや、周りの全てを破壊しようとするセシリーさんの魔力の暴走を鎮めたことも。あの時……あなたに言ってしまったことは撤回させてください。部下として、不遜な口を叩いた罰は、如何様なものでも受けます」
「……ふん」
『弱いままでいようとするあなたを、私はもう団長とは認められない』――あの時キースが口にした言葉はリュアンに強いショックを与えた。悔しい気持ちももちろんまだ燻っている……。
だが、彼は間違ったことは言っていない。あくまでセシリーを危険に遭わせたのは自分の未熟さと心の弱さだ。結果として、無事誘拐の犯人たちを捕らえることができたとしても、それだけは重く受け止めないといけない。
どんな咎めも甘んじて負う。そんな覚悟か静かに佇むキースに、口に出せない複雑な感情を深い息にして追い出すとリュアンはベッドから降りた。
「そのままにしてろ……よッ!」
「……ぐっ!」
彼はキースに正対すると鍛えられた腹部を拳で軽く突き上げ、人の悪い笑みを浮かべる。
「これで手打ちにしといてやる。棒立ちのお前を殴れる機会なんて、そうないからな」
「ですが……」
「二度は言わんぞ」
じろりと睨み目線で制すリュアンに、この程度の処置では納得できない様子だったキースも、結局は軽く笑って流すことにしたようだ。
「ハハ……まったく、慣れないことなどやるべきではないと、こちらも骨身に沁みました。それはそうと……あなたの心の整理はついたのですか?」
「……わからない」
リュアンはは考え込むように、視線を落とす。
かつて大切な人を失い心に封じ込めた、悲しみや自責といった後ろめたい感情。それが、今も重たく胸にわだかまっているのか、解消されたのか……自分でもまだはっきりとは判断できない。それはふとした時にまた、隙間から顔を覗かせるのかもしれない。
しかしリュアンは振り切るように顔を上げると、清々しい表情で言った。
「あの時な……。セシリーは必死に、俺を身を挺して庇ってくれた。大勢に囲まれて、傷つけられても恐れず、皆が俺を必要としてくれてるんだって。あいつがそう言ってくれたから、俺も少しだけ自分を信じてもいいのかって思えたよ。……まだ、昔を思い出すのは怖いけど、でも支えてくれる皆とセシリーのためにも、これから向き合っていこうと思ってる」
リュアンは窓の外……自分の生まれた国の方角を見た。十年近くの時を経て、ようやく心の奥に閉じ込めていた罪の意識を受け止めるきっかけを得られたのは、間違いなくセシリーのおかげだ。
「少し、目つきが変わりましたね。……セシリーさんのために、ですか。ふっふ、そんなにも距離が近づいてしまうとはね」
「ち、違う! も、もちろん仲間としてで、特別な意味はないっ……!」
目を細めて微笑んだキースに、リュアンは慌てて言い訳を返す。それを聞いて一層笑みを深くし、キースは肩を竦めた。
「ハハハ、深くは突っ込みませんが、それならなおのこと早く体を治さなければ。それにあなたが帰って来てくれなければ、私の貴重な休日が削れて順番を待つ多くの女性を泣かせてしまいますのでね」
「ちっ……そんなに休みが欲しいなら、団長命令でいつでも副団長から平団員に降格させてやるが?」
「それはご勘弁を……肩書も結構役には立つ物なので」
しばしの睨み合い。
その後ふっと力を抜くと、騎士学校時代からの同志は、久々に差し向かいで存分に笑い合う。ひとしきりそうした後、彼らは表情を切り替え、今回の件について意見を交換する。
「賊の口は割れたか?」
「いえ。一味の頭目である男をかなりきつく問い詰めましたが、彼に指示を出した人物の名前や素性は割れませんでした。ただし、ひとつおかしなことがありまして」
リュアンが先を促すと、視線を意味ありげに光らせ、キースは告げた。
「頭目はどうも取引相手と会っていた時の情報や、場所を朧気にしか記憶していないようで……今からすれば、事が成った後どこにあなたたちを連れて行くかもよく覚えていなかったようなのです」
「……本当か? 気味が悪いな」
「ええ。そして彼の記憶に鮮明に残っているのはただひとつ、何者かの血塗られたように赤い瞳孔のみだそうです。依頼主か、それに近しい人物なのでしょうが、そこまで彩度の高い瞳孔を持つ者となれば……」
「魔法使い……か」
リュアンの断定にキースも頷いた。
「では奴らは、なんらかの魔法の影響下にあった……のか? しかし精神を操る魔法など……ほとんど聞いたことが無いぞ」
「人の意識は魔力によって操られることに大きな反発を示しますからね。下手をすれば数秒で廃人だ。私もまともにそんな物が扱える者がいるとは思い難いですが、なんにせよあなたも身辺には気を付けてください。仲間たちにも隙を見せないよう徹底させていますので……」
この事件が、リュアンやセシリー個人に対して画策されたものだったのか、それとも魔法騎士団自体を対象として、なんらかの害を与えようとしたのか……。
意図が垣間見えず不気味だが、これ以上はリュアンたちにできることはない。このまま何事も起こらないことを願うのみだ。
「とりあえず、報告はそんなところですかね。……おや?」
扉の外から足音が聞こえたため、ふたりは体をそちらに向ける。しかし、気配はそこで止まり、部屋に入ってくる様子はない。
「どなたです……?」
「ふわぁ! キ、キースさん……ごごご、ご無沙汰してますっ!」
「いや、前に会ってからそんなに立ってはいませんが……。でも本日は特にお綺麗ですね……どうぞ中へ、セシリーさん」
気を遣って扉を開けたキースが、外に突っ立っていたセシリーを招き入れる。
その顔は気持ちいつもよりしっかり化粧が施されていて、黙って立っていれば、なるほどさすが伯爵令嬢と言われるくらいに楚々として綺麗に見えた。
(やはり、まだあまり元気が無いな……)
落ち着かない様子で視線を足元にうろつかせる彼女が、時折こちらの顔色を窺おうとしているのは、心配が先に立つ証だろう。椅子を勧めたキースに礼を言うとセシリーは目の前にちょこんと座ったので、リュアンはおっかなびっくり声を掛ける。
「あ~……よく来たな。まあ、楽にしてくれ」
「ど、どうも。お、お見舞です……これ、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「怪我、どうですか? どこか違和感が残ってたりは?」
贈答用のお菓子を受け取ると、セシリーは遠慮がちに微笑んでくれた。リュアンは彼女に心配かけまいとベッドから立ち上がり、体を伸ばして見せる。
「もう、何も問題ないからな。あまり病人扱いしてくれなくていい。これでも騎士団長だ……あれくらいの怪我、もう治った。キースがうるさいから大人しくしてるだけで、明日くらいには戻るさ」
「そういう事言うと思ってました。駄目ですよ、これから治るまで私、見張りに来ますからね。ロージーさんや皆から頼まれたんですから」
「あいつらめ……。まあいい、それよりセシリー、お前こそ体にどこか違和感はないか? お前が庇ってくれた後のこと、あんまりよく覚えてなくてな。お前を止めたって聞いたが、俺……お前に何をしたんだっけ?」
これは本当のことだ。セシリーに異変が起き、地面が揺れ始めた後必死に体を起こそうとしていたが、その後どうなったのか。何か心地よい温かさと、ほのかにいい香りがしていたような気はするのだが……。
それを聞くと彼女はみるみる真っ赤になり、顔を背けてしまう。
「えっ!? そっそれは……ですね。こう、後ろから」
「後ろから?」
「こう……包んで、ぎゅって……あっためてくれまして」
「なんだ? よく聞こえんぞ……パン生地でも捏ねてたのか?」
「え~と……」
何やら恥ずかしそうなセシリーに横目で助けを求められたキースだったが、彼は苦笑しながら逃げるように帰りの挨拶を口にする。
「ふう、肩の凝る仕事が山のように待ち受けているので、私はこれで失礼しますよ。団長、今の内に精々休暇を満喫しておくことです。帰ってくる時はお覚悟を。ではセシリーさん、ごゆっくり」
「は、はぁ……」「帰るまで頼むぞ」
速やかに退場したキースは見送ると、セシリーはこちらに向き直って手で顔を可愛らしくパタパタあおいでいる。リュアンはそんな仕草に頬を緩ませ、もう一度同じことを聞いた。
「それでその後どうしたんだ」
「い、言いません。自分で思い出して下さい!」
「わ、わかったよ……」
セシリーは怒ったようにそっぽを向く。その剣幕にリュアンは強く出られず少しの間、無言の時が流れた……。
リュアンはじっとセシリーの顔を見つめながら安堵する。大丈夫だ、もうあの人と顔は重なりそうにない。彼女のそんな表情を見ていると……不思議と今までずっと心の奥に感じていた重たさが和らいでいくような気さえした。
リュアンはもう一度、彼女に深く許しを請う。
「あのさ……済まなかった、色々。それと……もし迷惑じゃなかったら、少し話を聞いてくれないか。俺がどうしてあの時、あんな態度を取ったのか。俺の、昔のこととか」
そしてセシリーも、むくれた顔を元に戻すと穏やかに笑ってくれる。
「こちらこそごめんなさい。私だって、リュアン様があんな態度を取るなんて、何かあったんだって思わなきゃいけなかった……だからお相子です。でも、きっと今度はなにがあってもあなたのこと、信じられると思います」
「ああ、ありがとう……」
真っ直ぐな信頼に照れつつも、リュアンは少しずつ確かめるように言葉を乗せ始める。
セシリーと気の休まる一時を過ごしながらも、この先のこと――もしかするといつか、彼女を送り届けるために、共に祖国へと戻る未来が、ほんの少しだけ頭によぎった。
――しかし、彼の想像よりもずいぶん早くその時は訪れることになる。この日からわずか十日余りの後、リュアンは姿を消した彼女を追って旅立つことになるのだ。もうひとりの……月の聖女を擁するはずのあの隣国、ガレイタム王国へと。




