セシリーという娘(リュアン視点)
「…………しまった!!」
俺は寝台から身を起こし、失敗したことを悟る。
普段より少し遅く起きてしまった……といっても、まだ夜明けすら始まっていない五時過ぎのことだが。
素早く身支度を整えると、部屋から飛び出した俺は運動着に着換え、外を走り出す。騎士団全体の調練も朝からあるが、今日は早朝から任務のため街を出なければならない。長時間の馬車の移動が続くので、体が鈍ることだけは避けたかった。
騎士団の敷地内をしばらく走っていると、北側の門の守衛に元気に挨拶している声が聞こえてくる。
「おはようございま~す!」
「今日も早いねえ、セシリーさん」
セシリー・クライスベルだ。彼女は明るい笑顔のままこちらに歩いてきたので、俺は思わずその辺の茂みに隠れてしまった。
(何をしているんだ……俺は)
そう思いながらも、俺は彼女のことをじっと目で追ってしまっていた。今日も何やら重そうな荷物を抱えている様子だ。彼女は時々クライスベル商会で販売している便利な商品を持ち込み、思ってもみない方法で魔法騎士団本部内の問題を解決することがあった。今回もきっと、誰かから何か頼まれごとをしているのだろう。
(ふん……まぁ、努力だけは認めてやってもいいが)
セシリーが騎士団に来て一カ月近くになるが、未だ辛そうにしているところは見たことが無い。てっきり早々に泣き言を言い、諦めて家に帰ると思っていたにも関わらずだ。彼女は毎日朝も遅れずここへ来て、ロージーと一緒に楽しそうに働いている。たまに失敗はするが、そのくらいは仕方がない。
そして、団員たちの評判もいい。第一に彼女が来てから食事がまともになり、建物も清潔になったし、団員たちの顔も明るくなったように感じる。俺も密かにその点だけは、セシリーが来てくれてよかったと思っているんだ。
(あの無邪気な笑顔がいいんだろうな……)
今も彼女は、鼻歌でも歌いそうな顔で機嫌よく歩いてゆく。まるで誰かの役に立つのが嬉しくて仕方がないと言うかのように。そんなに悪いやつじゃないのは、俺にだってもうわかっている。
(それになんだか、小動物っぽくて……こう、動きから目を離しがたいよな)
顔立ちはとりたてて美人とは言わないが、妙な愛嬌があるのだ。傍にいると思わず世話を焼いてやりたくなってしまう、そんな魅力が……。
(いかん……! 騙されんからな、俺は)
俺はわずかに緩んだ口元をぴしゃりと叩くと、からかわれ事件のことを思いだし、額に無理して皺を作った。
(こうして気を抜いていると、またキースと一緒に悪だくみを計られて、無様な目に遭うんだ。あれは言わば、こちらの気を緩ませるための擬態にすぎん。リュアン、気を許すんじゃない。……でも)
セシリーの明るい挨拶がまた聞こえ、俺はうむ、と一つ頷く。
(いい挨拶だ。しっかり仕事してくれる分には問題無い。頑張れよ……セシリー)
『うん……レイもね!』
「……ん?」
駆け足に戻ろうとした俺はそこで足を止め、振り返る。
声が聞こえた気がしたが、それはセシリーのものではあり得ない。彼女はこちらを振り返ってはいないし、俺に気づいた様子もない。第一、彼女が俺の元の名前を知るはずがないんだ。
(……痛っ!?)
次いで激しく疼いた胸に、思わず体を前に折りそうになる。
しかし、痛みの波は一瞬後には引き、俺は不思議そうに眉を寄せた。
「気のせい、だよな……。そうだ、時間が無いんだった」
起床が遅れたことを思い出すと、俺はすぐにその場を走り出す。しかし、聞こえた声の妙な懐かしさと、胸を締め付ける感覚はしばらくの間、俺の心に暗い影を落とし続けた。




