騎士として(キース視点)
私……キース・エイダンの生家であるエイダン侯爵家は、代々多くの高名な騎士を輩出してきた家柄で、その中には歴代の正騎士団の団長を務めた者も何人もいた、いわゆる由緒正しい家柄というやつでした。
そんな家の長子として生を受けた私には、自分もやがてはそうなるのだと信じて疑わないような高慢で無知な人格が身に付いてしまった。なまじ運動能力や勉学、そして魔法に置いても多少の才能と言えるようなものがあったことが、私に大きな奢りを植え付けてしまったという、ありがちな話です。
ただ、誰でも幼いころには純粋な夢を抱くもの。絵本の中の騎士に思いを馳せ、将来は弱者を助け、悪を挫く立派な騎士となりたい。そんな風に思った頃も……ちゃんと、あったのですよ。
(強く、気高い騎士となり、私も将来人々の役に立つのだ……!)
内心でそんな夢を抱きながら、己の思い描く騎士になるべく努力を続ける日々。
そのまま真っ直ぐに成長できていたなら、まだよかったのかも知れません。
ですが、それは叶わなかった。今思えば、自分の意志をそこで貫けなかったことが私の生来の心の弱さを表していたのかも知れないと、なんとなく感じています。
そう、キース少年は成長にしたがい、何のために己を磨き、力を付けるのかということに悩み始めてしまったのです……。
なぜそうなってしまったか……それにはふたつの出来事から来る不安が徐々に頭を擡げてきたからと言えるでしょう。
ひとつは、我が父が口にした……『騎士とはお前の思っているようではないのだ』という言葉。
彼は聖騎士団の団長を務めたこともある厳格で冷たい人物で……しかし家族には優しかった。そんな父のような立派な騎士になりたいという私に、彼は決まって喜ぶのではなく悲しみを讃えた瞳で諭すように言う。幼い私はそれを、華やかで煌びやかなものではなく、地道な研鑽の上に成り立つ大変な職務なのだと解釈していましたが……年を重ねるにつれ、徐々にその本当の意味が分かり始めたのです。
そして、もう一つは成長するにつれ、人を疑うということを覚え始めてしまったこと。
幼い頃は両親やメイアナ、周囲の人々たちの期待に答えることで得る賞賛が自分を満たしていて、それを信じ前に進むことができた。しかし成長し、多くの人と関わり合いをもつにつれ……本当にそれで、そのままでいて正しいのかを迷うようになった。
(家族はいい。だが、他の人々は本心から、私自身を必要としてくれているのだろうか?)
季節が巡る度に少しずつ……貴族としての務めが増え、自分の倍以上にもなる年齢の人間と接することも多く増えた。そんな人ほど、表情に笑顔を貼り付け私のような少年に媚びへつらう。
毎日のように続くそれは、すぐに私に違和感をもたらし、そしていつしか気付いてしまった。あれは仮面なのだと……。幼い頃に連れられた舞台で道化が被っていた、笑顔のマスク。しかし、その奥の瞳は冷徹な計算に満ちていた。
そうと知った私は家族以外は誰も信じなくなっていきました。他人が私を利用しようとするのであれば、こちらもそうと見越して接するまで。純粋な願いは心の奥底へ追いやられ、私は常に冷めた目で他者を見るようになってしまった。
しかし、まだその頃の私には一つだけ希望があった――それが、王都にあるファーリスデル王国立騎士学校への進学だったのです。
将来立派な騎士となるべく励む同輩たちの姿を見ることができれば、失われた熱意を取り戻すことができるかも知れない。きっとこんな心境を変化させてくれるような何かが見つかるはずだ……。
そんな希望に一筋の光を見出し……自分を叱咤して彼らに恥じぬようにと鍛錬により打ち込んだ私を来たるべき入学日に待ち構えていたのは、より深く、暗い闇でした。
入学当日、新入生総代として挨拶をこなし、貴賓室に招かれた私を待っていた校長の言葉と表情を私は今もはっきりと覚えている……。
「キース君、君には二年次から生徒会長になってもらい我が学校のことを任せることになっています。なにせ、あのエイダン家……騎士団長を輩出した家柄なのですから。そのように、父君にもどうぞよろしくお伝えいただき、当校と私にぜひお力添えを……」
ここでも……と、途中からの彼の言葉がほとんど聞こえていなかったほど、私はショックを受けてしまっていた。それはさんざん私に取り入ろうとしてきた貴族たちの笑顔と、なんら変わらなかった。
そして彼の宣言通り、入学後、私は当然のように生徒会役員として担ぎ上げられ、一年の後期には次期生徒会長として内定しました。校長からの強い働きかけがあったことは間違いない……。
辞退することも考えましたが……虚しいことに学生たちはその事に異を唱える様子もなく、無関心で受け入れてしまった。この場所ですらひとりとして、仲間たちが実りある学生生活を送るため、心を砕こうとする人物は現れてくれなかったのです。
いや、改めて強く思い知らされた気分でした……。
幼い頃に抱いていた騎士像――己の信念を貫き、不正を糺し、救いなき人々に手を差し伸べる……そんなものは幻想でしかないのだとね。
同時に、今まで自分の意志で歩んできたはずのこの道のりは、全て線でも引かれたように定められていたものだったと知りました。私の行動や努力いかんにかかわらず、生まれた時からすべては決まり……候爵家の――名家の嫡男で元騎士団長の息子であるという事実が、これからもずっと自動的にその足を目的地まで運ばせる。
『――騎士とは、お前の思っているようなものではない』
今更ながら、父の言葉の意味をはっきりと理解した私は、自室に戻るとあまりの寒々しさに膝を突き、体を抱えてうずくまりました。
人格も能力も置き去りにし、ただそこに在ることだけを求められる。父はこのような気持ちのまま、ずっと何十年も騎士としてその身を晒し、耐えているのかと思うと、私の身体からは絶えず冷や汗が浮かび、ひどい動悸が胸を襲った。
(私にそれが、務まるのか? いっそ、こんな家など捨ててしまえば……)
「キース……どうしたの!? 誰か……!」
縛られたように動けずにいた私を……異常を察して部屋に入ってきた母親が助け起こそうとし、駆け付けた使用人たちが慌ただしく動きだすのを見て、私は首を振った。
(できない……)
自分一人の苦しみから逃げ出すために今まで支えてくれた家族や使用人たちを裏切り、苦難を強いることなど……許されるはずがない。
そうなれば、もう選択肢などあるはずはないのです。
ここにいるのはエイダン家の嫡男たるキースで、私個人などもうどこにもいない……そう言い聞かせるしかありませんでした。与えられた役割をただ受け入れ、それを全うする。その日からそれだけが、私の生きる指針となったのです。
そうしていると、どこかぼんやりと他人事のように時間は過ぎていった。
騎士学校の生徒会室からは、王都にある時計塔がよく見えます。
それが時を刻む様を見ながらいつも思っていました……私もあの部品の一部と同じなのだと。
卒業を来年度に控えつつ……そんなふうに身の程を弁え、自らを諦める覚悟を決めようとしていた時、私は出会ったのです。
現魔法騎士団団長――リュアン・ヴェルナー……私の生き方を変えることになった彼と。
今からもう、九年程前の春になるでしょうか……時が経つのは早いものです。
私が三年生の代表として新入生を迎える挨拶を行った時、リュアンの姿もその中にあった。そのころの彼は誰の目にも気落ちが明らかで、目立つ容姿にもかかわらずひっそりと教室の隅で息をしていそうな、そんなイメージを抱いたのを覚えています。
もしかしたら、すぐにでも辞めてしまうかも知れない。そんな予想とは裏腹に努力を続ける彼の姿を私はすぐに目の当たりにすることとなりました。
騎士学校では訓練場が常時解放されており、真剣さに差はあれど、多くの生徒たちが日々各々を鍛えており、そして私も毎日その場所を訪れていました。とはいえその理由は生徒会長たるもの、全生徒の模範たるべしという、一般的な物の見方に従っているという程度の後ろ向きなものでしたが……。
そこで彼は毎日誰よりも早く来て、まだ肌寒い中汗をかいていた。その姿が一週間、一月と続く内、次第に私は彼に興味を持ち、声を掛けた。
「今からそんなに気を吐いていては三年間持ちませんよ? リュアン君」
「あなたは……?」
「当校で生徒会長を務めている、三年生のキース・エイダンです。以後よろしく」
彼は驚いた眼差しで挨拶した私を見ると、握手もそこそこに言い募ります。
「あなたが……! キース会長、お願いします! 俺を生徒会に入れて学ばせて下さい!」
その勢いを怪訝に思いつつ、私は彼に理由を尋ねました。すると彼は口ごもります。
「話せません……。しかし、俺は強くならなければならないんです。償いのために」
話では、彼は何度も生徒会室を訪れていたようですが、その度に門前払いされていたようで、少し憐れに思い私は彼の力を見ることにしました。
「ならば、少し手合わせしてみますか。魔法は使えるのですか?」
「ええ、まだ未熟ですが」
まだ朝早く、あまり人もいない場内で彼と私は向かい合います。
鎧がわりに魔力で体を覆い、互いに携えた木剣の先を一度触れ合わせると、早速手合わせを開始しました。
しかしその結果……大きく手加減したにもかかわらず、数秒後彼は地面に這いつくばっていた。魔法の技術は目を見張るものがあったものの、体の動きの方はまるで基礎が身に付いていない、騎士を志すものとは思えないおろそかなものだった。
「話にもなりませんね」
「うぅっ……も、もう一度だけ」
「私にはあまり時間が無いのですが?」
「お願いします!」
「やれやれ……」
彼の剣幕に負け、数度魔法込みの模擬剣術試合を行いました。ただ愚直なだけではなく、つたなさを補おうとする工夫は見られ、見どころはあったものの……当然同じことの繰り返しとなりました。
完膚なきまでに叩きのめしてその日は別れることとなりましたが、翌日からも彼は執拗に私に挑んできた。私もただ惰性で日常的な訓練を送るよりかは、有望な若者の成長を見ている方がまだましな気分だったのでしょう。いつ諦めるのかとぞんざいにあしらいながら、なんだかんだでしばらく付き合ってやりました。
ある時彼がなぜ、そうまでして強くあらんとするのかが気になった私は、自分の口の上手さと、生徒会役員に加えるという餌を利用して半ば強引にそれを吐かせましたが……理由は、感情を半ば封じ込めていた私ですら、しばし言葉を失くしてしまうほど重たいものでした。
詳しいことは私の口からは言うことはできませんが……。そうですね、端的に言うなら――自分の力不足のせいで、命より大切な人をむざむざ目の前で失うことになった――というのが正しいでしょうか。
「――その人には使命があった! 多くの人を助け、笑顔にすることを願い、それを実現できる人だったのに! 誰も、彼女を救ってやれなかった……。だからせめて俺は、代わりにその願いに殉じてやりたい。そうしなければならないんですっ……!」
血を吐くような叫びで私に事情を明かした後、彼はしばし顔を伏せ、嗚咽を響かせた。事が起きたのがここに来る一年や二年程前のことと言いますし、傷など癒えるはずもなかったでしょう。軽率に聞き出したことを私も後悔したものです。しかし彼はうつむくのではなく、無理矢理にでも前を向き、立ち上がることを選んだ。
その姿が私には悲しくも眩しく見え、同時に……激しく頬を叩かれた気分にもなりました。
(確かに私は希望を失った。しかし、その挫折から立ち上がる方法を私は一度でも考えたことがあったか……)
自分の周囲がどうあれ、こうして彼のように苦しむ人々は現実にいくらでも存在する。それをわかっていて私は我が身可愛さでそれらから目を背け……小賢しく諦めも美徳だなどと考え、努力を放棄して楽になろうとしただけではなかったか。
(――本気で、変わろうとしたのか……? 目の前のこの若者のように)
猛烈に自分が恥ずかしくなり、今まで思考停止していた頭が忙しく働き始める。そして胸に浮かんだのは、これまでとは真逆の覚悟でした。
私は気づくと彼の肩に手を掛け、こう告げていた。
「リュアン君……いえ、リュアン。君に絶対にあきらめない覚悟があるのなら、私がその望みを実現できる場所を用意します。だから、今まで以上に頑張りなさい! 君には才能がある。それは魔法でも、力でもなく、その在り方だ! 苦しみにも膝を折らず立ち向かうことができた君になら、人々を導く背中を見せることが必ずできる! あなたに続く心ある者たちをここでも探し、育てなさい!」
「キース会長……。でも、こんな弱い俺では、どうすればいいのか」
「あなたのしている努力は間違ってはいない。でも愚直にやり続けるよりも、適した方法を探せばもっと効率よく成長できるはずだ。なによりも君には、強い心がある」
私は彼の左に胸に拳を置いて言う。
「どれだけ体や頭が成長しても、心だけは脆く儚いもの。しかし、君には大切なものを失ってなお、挫けず足搔くことのできる意思がある。それは多くの人に勇気を与えるものだと私は信じます。だからそのまま迷わず進み続けなさい。足りない部分は私がなんとかする」
「……お願いします! 俺は必ずいつか胸を張って、あの人のおかげで多くの人を救えたと報告できるようになりたい……いや、なります! そのために、どうか力を貸して下さい!」
そこでやっと進むべき道筋が見えてきたのか、リュアンは迷いの晴れた紫の瞳で私を見つめると、深く深く礼をしたのです……。
「――とまあ、今思い出しても恥ずかしいようなこんな青春のひと時が、私たちにもあったというわけですよ……」
そう締めくくるとキースは照れ隠しか、彼らしからぬとても素直な笑みでセシリーへと笑いかけてくれたのだった。




