メイアナの喫茶店①
「――っていうことがこないだあったんですけど、相変わらず団長、あんまり打ち解けてくれてなくて……」
執務室のテーブルをふいていたセシリーは、先日のマイルズとの騒動の顛末を打ち明けた後、キースに愚痴る。ちなみに今日はリュアン仕事で不在だ。近隣の村で魔物の被害が出たらしい。
「それはそれは……。さすがのセシリーさんも、あの頑固者には苦労されているようですね」
苦笑しながらもキースは、書類の上でさらさらと滑らかに万年筆を走らせてゆく。白手袋に包まれた優美な手がしなやかに動く度、セシリーはつい目で追ってしまった。
もはや当の騎士団長よりそれらしい副騎士団長キースの麗容で目の保養を行いつつも、セシリーの不満は留まらない。
「ご飯はちゃんと食べてくれるのになぁ……。すぐふいっと居なくなって、なんだか野良猫に餌づけしてる気分になって来ましたよ。どこかに団長専用のまたたびでも転がってないかしら」
「くくっ……野良猫とは。あなたにかかれば魔法騎士団長という肩書も形無しですね……! ふふふ、うちの団長が人見知りですみません」
楽しそうに笑った後、仕事がひと段落ついたのかキースは髪をかき上げ、ペンを置いて立ち上がる。
「さてと。セシリーさん、そんな時は少し気分転換に外出でもどうでしょう? またいくつか揃えたいものがありまして……」
彼から話を聞けば、どうやら急遽必要になった物資があるらしく、町に買い出しに出たいとの事だ。セシリーはロージーに断わりを入れると、彼について騎士団の敷地から抜けていく。
そこで出くわしたのは、彼の姿を一目拝まんとするたくさんの御令嬢たちだ。
「相変わらず凄い人気ですね……」
「有難いことにね。ですが、今日の私はあなたのエスコート役ですから。よかったらお手をどうぞ」
「すみませんが遠慮しておきます。やっかみに遭いたくないので」
「それは残念」
彼の隣にいるだけで、すれ違う女性たちの棘のような視線が刺さること刺さること。女性たちの囲いから抜け出る頃には、すっかりセシリーは疲弊しきってしまった。
「毎日あんな感じなんですか?」
「割とそうですね。人気者の宿命とでも申しましょうか。はっはっは」
自分で言ってしまう辺りが、この人らしいと思う。セシリーのようなつい最近爵位を得たばかりのにわか貴族とは違い、堂々たる立ち振る舞いには気負いの欠片も無い。
「そういえば、正騎士さんたちにも魔法が使える人たちっていますよね。キースさんはどうしてこちらを選んだんですか?」
ロージーから聞いた話だが……騎士学校で卒業試験を終えた生徒たちは、本人の希望、または適性が無い場合は自動的に正騎士団の方へと振り分けられる。
最低でも魔法騎士団に選ばれる条件としては、戦闘に使用できる魔法と、高い運動能力の両立が必須で、望まなければ辞退も可能。なればつまり、ここに配属された人たちはあえて魔物と戦うことを選んだ者たち、ということになる。
生徒会長を務め、家柄も高貴なキースほどの人材ならば、正騎士団の方からも大きく声がかかっただろう。戦闘で危険を冒さねばならない魔法騎士団より、安全で順当なそちらを選び、出世を望むのが普通の考えではないのだろうか?
そんなことを不思議に思ったセシリーに、キースは思いもよらぬ言葉を返した。
「もし、団長との出会いがなければ、そうしていたかも知れませんね。自分の偏見を正そうともせず、生まれに縛られ、内心を押し込めて……おっと」
「わわっ」
リュアンと何があったのか……話に夢中で平日の街の人混みに押されてよろけたセシリーをキースはすっと引き寄せ、その手を自分の腕に添えさせた。
「ほら、こういうこともありますから捕まっていて下さい。なにかあれば、私の監督不行き届きという事で、ロージーからきつい雷が落ちますからね」
「……ごめんなさい」
セシリーは仕方なく、彼の腕を遠慮しつつもつかんで身を寄せる。
長身で見た目細身に見える彼だが、いざ触れてみるとしっかりと鍛え上げられているのがわかって、こんな格好いい人の隣にいるのが自分だと強く意識させられ、なんだかとても恥ずかしくなってしまう。
そんな彼女を優しく見つめ、キースは穏やかな口調で話す。
「とりあえず、続きの話は大体の買い物を終えてからにしましょうか」
「何が必要になるんでしょう? 物によってはうちの商会で割引が効きますし、一応、王都にある大体のお店の情報は頭に入ってますのでご案内できると思いますよ」
セシリーとて一応、クライスベル商会総支配人オーギュストの娘であるのだ。父から聞きかじった話もなども含め、商売に関してのことは、ある意味唯一の得意分野だと言えなくもない。それを伝えると、キースは白い歯を見せて笑った。
「それは頼もしいですね。では早速、案内をお願いすると致しましょうか」
「了解! ではこちらにおいで下さいな!」
セシリーは最近覚えた魔法騎士団の敬礼を真似すると、キースの腕を引いて通りの向こうを指さした。
◆
クライスベル商会の総合販売所で、キースの希望した大体の品物を揃えることができたため、買い物自体にはそう時間は掛からずに済んだ。その後いくつか足りない品物を別の店舗で購入し騎士団へと戻る途中、通りから外れたところの一軒のこじんまりとした喫茶店にセシリーは連れてゆかれた。
店内の内装は落ち着いた色合いで、窓の配置がよいのか、差し込んだ温かい光テーブル席を照らしている。食後にお茶をしていたら、ついついうとうとしてしまえそうな、とってもいい雰囲気のお店だ。
(こんなお店あったんだ……。ひっそりしてて気づかなかった)
「お疲れ様でした。お礼と言っては些細かもしれませんが、なんでも頼んで構いませんよ。ここはお茶も茶菓子も一級品ですので」
「……あらまあ、キースの坊ちゃま、お久しぶりでございます。そちらのお嬢様は?」
キースに気付いてすぐ接客してくれたのは、白髪交じりの髪を頭の上でまとめた品のよさそうな老婦人である。どうやら彼とは知己のようで、穏やかそうな表情が彼とよく似ているように思えた。
「メイアナ、そろそろ坊ちゃま呼ばわりは止めてもらわないと。この方は、私のいい人で――」
「違います。あの私、魔法騎士団で雑用を任されているセシリー・クライスベルと申します」
キースの冗談をばっさり否定したセシリーの名を聞くと、老婦人は思うところがあるかのように首を傾げた。
「あらいけない、もう坊ちゃまももういいお年でしたわね。でも、クライスベル……? 間違っていたらすみませんが、もしかしてクライスベル商会のところのお嬢様ではありませんか?」
「ご存じなんですか?」
「ええ……! わたくしもたまにあそこに伺いますの。品揃えがよくてお値段も均一で、すごく安心感が御座いますわ」
「ありがとうございます、恐縮です」
なんとお得意様だったようで、セシリーが頭を下げると、彼女は穏やかに微笑み自己紹介をしてくれた。
「わたくし、メイアナ・ライナスと申します。十数年前までそちらのキース様のお世話をさせていただいておりました。セシリーさん、よろしくお願いいたしますね」
「彼女はエイダン家で父の頃から世話係として仕えてくれていたのですよ。私が手を離れたのを機に引退しまして。今では悠々自適な生活のかたわら、こうして喫茶店を経営しているというわけなのです」
「へえ、素敵!」
本心からそう思う。メイアナの背筋はしっかりと伸び、その佇まいからはしっかりとした芯が感じられる。彼女のような女性を見る度、セシリーも叶うことなら将来自分の意志で自立した生活を送りたいと考えてしまう。
「彼女は私の茶の師匠でもあるのですよ」
「そんな立派なものではございませんけれど……他ならぬキース様がお連れになった方ですし、心を込めておもてなしさせていただきますわ。さ、こちらをどうぞ」
日々キースから、お茶のおもてなしにあずかっている身としては、期待しないわけにはいくまい。温かみのある手書きのメニューを手渡されたセシリーは、迷いつつショートケーキと旬の果実のタルトを選んだ。茶葉の種類は詳しくないので、キースが頼む紅茶と同じものにした。
「キース様とどうか、仲良くしてあげてくださいませね」
「は、はい!」
注文を受け、上品な笑顔を浮かべたメイアナが下がってゆくと、キースはソファにもたれ、わずかに肩の力を抜く。
「未だに彼女には頭が上がりませんよ。ふたり母親がいるようなものでしょうか。おっと、失礼しました」
「いえいえ。とてもよいことだと思います」
セシリーの母がすでにいないことに配慮してくれたのだろう、一旦彼は口を噤んだ。気にしていないことを告げると、キースは濃青色の瞳でセシリーを直視し、ひとつ断りを入れる。
「やはり、あなたには団長と私との出会いを話しておきたい。ですが……それを語るには少しばかり我が身の恥も晒さなくてはなりません。長い話になりますが、茶を待つまでの間、少しばかりお付き合いいただけますか?」
「ええ、もちろん! ぜひ聞きたいです!」
「団長には、ここでした話は秘密にしてくださいね? では……お家自慢から始まるようでおこがましいのですが――」
持ち前の好奇心をうずかせたセシリーに、悪友を見かけたような冗談めかした口調で美貌の騎士キースは……ゆっくりと彼の生い立ちや、リュアンとの出会いについて語ってくれた――。




