炊事班長任命!
騎士団員たちの朝は早い。日を跨ぐような任務につくものは別として、朝六時には基礎訓練が開始される。それに合わせ、セシリーとロージーは各居室の清掃を限られた時間で行わなければならない……ゆえに朝は、戦争だ。
「セシリーは埃落としと床掃きして、その後シーツの張替え頼める!?」
「わかりましたっ!」
小走りで掃除用具やシーツを何枚も両手に掴み、セシリーは各部屋を往復していく。体力は使うが、単調な作業は精神的にはさほど苦ではない。
「げ、ロージーさん、床にお酒こぼされてるんですけど! 雑巾ってどこにありましたっけ?」
「ごめん下の掃除用具庫まで取りに行って! あたし今手が離せない!」
その内の一室で、ブランデーか何かの染みを見かけたセシリーは扉から出て叫ぶが、ロージーは大量の洗濯物を抱えて通路の奥に走っていくところで、救援は頼めそうにない。
(あ~ぁ、隣の絨毯にまで沁みこんじゃってるじゃない。こんどうちの商会の蒸気式魔法洗浄器を持ってくるか……)
今さらながらこれをひとりでやっていたことに感服しつつ、セシリーはせめて床だけは綺麗にしようと、二階から階下へ降りていく。
「どこかな~? ここかな? あ、あった! 後はお水だ~」
暗い用具庫の明かりをつけ、白い雑巾とバケツを見つけた後、水を汲もうと台所に入る。すると、そこには先客がいた。
「ああ、お早うございます。セシリー嬢」
「あ~、キースさんだ。もしかして……」
見るとキースの手は優雅にティーカップを引っかけている。通常であれば、今頃は外を走ったり格闘訓練などに勤しんでいるはずの時間だというのに。
もしやと思ったセシリーは含み笑いを浮かべ、口元に手を添え声を潜める。
「訓練を抜け出して来たんですか?」
「まさか、正当な休憩時間ですよ。副騎士団長ともなると肩の凝る仕事も多いものでね」
彼は軽く肩をすくめてみせる。普段から虚実弄する彼の言動は正否の判別がつかない。よってセシリーはため息ひとつ吐くと、心の中に収めておくことにした。
「そういうことにしておいてあげましょ」
「おや、信じていないのですか? 仕方ないですねぇ、では頑張っているセシリーさんにご褒美を差し上げましょうか。口を開けて?」
「はい? ……あむ」
その自然な挙動についついセシリーは無防備に口を開き、そこにキースは手ずから何かを放り込む。
「あ、美味し~……」
舌を包む甘い味はすぐにチョコレートだとわかり、セシリーの顔は思わずほころんだ。
「でしょ? それでどうか一つ、秘密にしていて下さいね。お仕事頑張って下さい」
人差し指を口に当てたキースは、肩をそっと撫でそのまま去ってゆく。鼻をくすぐる落ち着いたオードトワレの香りに力が抜け、セシリーはへにゃりと壁にもたれた。
(たらしよねぇ……)
口をもごもごさせつつ、世の中容姿がよければ大抵のことは許せるのだと再認識してしばらくの間ぽ~っとしてしまうセシリーだったが、今は仕事の最中だ。慌ててバケツに水を汲み、床の汚れと向き合うべく急いで台所を出るのだった。
大体の騎士たちの居室の清掃が終わり、ロージーとセシリーは職員控え室で休憩を取りつつ、騎士たちの制服をつくろっていた。訓練や戦闘で衣服の消耗は必然的に激しくなるが、その都度毎回買い替えるわけにもいかない。予備を渡して、小さなかぎ裂きくらいはその日の内に処理してしまう。
「まったく、セシリーが来てくれてなかったらと思うと、ぞっとするよ」
「これからはちょっとでも楽して下さいね、ロージーさん」
まだ二十代だというのにどこか苦労の影がある彼女の隣でセシリーも針を動かすが、慣れと経験がものを言うのかあまりうまくはいかない。その間にもロージーは見惚れるような針裁きで何か所もの補修を仕上げてゆく。物語の中にいる、お城勤めのお針子さんみたいだった。
「無理しなくていいよ、それぞれ得意不得意あるし、あたしは慣れてるから。それよりお昼ご飯のことでも考えてあげててよ」
「う~、わかりました」
苦笑したロージーに従い、ちょっとだけ残念な気分で解れた袖をきりのいい所まで直すと、セシリーは今日の昼食のメニューを思いやった。とはいえほぼクライスベル邸で出される物をそのまま利用しているので、調理の手順さえ間違わなければ大丈夫だ。あれから数度食事を作っているが、ほとんどの人が残さず食べてくれていて、お代わりを望む人も多かった。かくいうリュアンも表情には出さないが……ちゃんと毎回完食してトレイを返しに来るのは嬉しいところだ。
「ねえ、ロージーさん。団長ってなにが好きなんですか?」
「ん~? なぁに、セシリーはもしかして団長が好みなの?」
「違いますよぉ……せっかく同じ団にいるんだから、できることなら仲良くしないとって。私色々やらかして嫌われちゃってますから」
セシリーが膝の上で両肘を付いて冴えない顔を作ると、ロージーは仮縫いした仕付け糸を鋏でぷちんと切って除き、出来映えを確認しながら言った。
「ふ~ん? 別にそんなことないと思うんだけどねぇ。あいつ昔っから、女の子苦手だったからさぁ。照れてんのよ、あのむっつり」
「そういえば、ロージーさんはここへ来て長いんですか?」
セシリーはロージーの、リュアンと旧知のように思える口振りに、割と年も近そうな彼らの出会いがどんなものか興味を持った。すると彼女の口から意外な事実が語られた。
「そこそこかな。あたし実は、騎士学校の卒業生だったのよ。現実を見て騎士になるのは諦めたんだけど、その時の縁が有ってキースに引っ張られたのよね」
ロージーは過去を遡っているのか、目線を上げ左右に往復させる。
「あたし、卒業した後働くでもなく結婚するでもなく、しばらくふらふらしてたんだ。そんな時キースから手紙が来て、『大変な仕事ですが、あなたにならできると思いましてね』なんて乗せられて……いざやって来たら、ただの雑用係だったと。でもすぐに辞めたらちょっとあいつに負けた感じするじゃない? それは嫌だから意地になって働いて、もう四年位が経つというわけ」
あのキースであれば、在学中に目ぼしい人材を見つけておいて引っ張るくらいのことはやりそうだ。しかし彼女も若い女性で、見合い話などがある度に心が揺れただろう……それを指摘すると、彼女は気恥ずかしそうに告げた。
「そりゃね、結婚して辞めようかなんて思ったこともあるけどさぁ。貴族様のお家みたいに跡継ぎ跡継ぎってうるさくは言われなかったし、国が後ろに付いてるからお給金も悪くはなかったし。なにより、なんかやってる内に楽しくなってきちゃったんだよね。あいつら見てると弟がいるみたいで面白いし、なんせやることだけは山のようにあるから退屈しないで済んだし。ちょっと大家族の世話をしてるみたいな感じよね」
「それはわかります……! 皆気さくですし」
自分らしく働けるこの仕事が彼女には合っていたのだと、ロージーは楽しそうに笑う。大変だけれど、多くの人と言葉を交わせて喜ぶ姿が直接見られる仕事だから、やりがいを感じていられるのだろう。そこにはセシリーも素直に共感できた。
話は盛り上がり、そうなるとやはり気になってくるのは、彼女がキースやリュアンと知り合ったという学生時代のことだ。
「騎士学校って、やっぱり厳しそうですよね。皆さん一体どんな感じだったんですか?」
騎士学校というと、国から選りすぐりのエリートが集まる場所だ。がちがちの規則に縛られた、お堅い学校生活というのがどうしても想像されてしまうが……。
「ああ、うん。それは否めないね。普通に生きてたら知らなくていい儀礼や式典の作法なんかを死ぬほど暗記させられてさあ。ひどいのよ、朝っぱらから重たい甲冑を上から下まで着せられて校庭に集合した後、それを大声で一人一節ずつ暗唱させられるんだよ。真夏は蒸すし、冬は寒いし、右も左も同じ兜姿だからどこに並んだらいいのか分からなくなって……怒鳴られて。馬のお世話とかも早起きして持ち回りでしなきゃいけないから、慣れるまではろくに寝る時間も無いくらい過酷だったよ」
当時を思い出したのか途端に元気を失くしたロージーは、ぐったりとソファに体を預ける。
「そんな中キースはねえ、小憎らしいくらい淡々としてた……。って言っても、あたしもずっとあいつを見てたわけじゃないから、あくまで知ってる範囲でだけどさ」
彼女が言うには騎士学校にも生徒会のようなものがあり、キースもロージーも、そしてリュアンもそこの出身だったようだ。キースは二年から三年の前期まで生徒会長を務め、その後釜を務めたのが、なんと当時一年生だったリュアンだったという。
「キースの生家、エイダン侯爵家っていうのは公爵家に勝るとも劣らない名家でさ。あいつは中でも歴代で飛びぬけて武術、学業共に優秀、品行方正で欠点なんかなんにも無いように見えた。いっこ下のあたしなんかが自分たちの学年で起きた問題に対して改善提案を持って行くとするじゃない? すると眼鏡押し上げてこうよ……」
ロージーは両の目尻を指で吊り上げると、「あなたそれ、本当に真面目に考えたんですか? 検討する価値も無いですね、却下」などと中々わかりやすい物真似を披露してくれ、セシリーがぷっと吹き出す。それで彼女は満足したのか先を続ける。
「んでその後に理路整然と駄目な理由を説明して、反論の余地を与えない訳。むかつくったらありゃしない。ひとつ上なんかじゃなくて、ずっと年上の大人みたいに見えた」
「そんな嫌味な感じだったんですか? 大分今と違うんですね」
するとロージーは、ふふっと笑みを漏らす。
「……そうね。うん、大分変った。優しくなったっていうか、話を聞いてくれるようになったかな。多分団長と出会ってから」
キースが生徒会長からの退任を間近に控えた頃のこと。彼は突如リュアンを生徒会長室に連れて来て、入学して間もない一年生を次期生徒会長に据えると告げたらしい。
「それまでは自分の後釜なんて、誰でもいいって感じだったのにね。当然当時の次期生徒会長にほぼ内定してた人は反発したんだけど、その人は家柄だけで、実は陰で素行がよくなかったことがばれて、選挙で負けちゃってさぁ。自暴自棄になったのか学校まで辞めちゃって……っと、そこら辺はいいか。とにかくまあ、ふたりの間には何か、他人の与り知らない関わりがあるんだろうって思うよ」
おそらくそれが今のキースとリュアンの関係にも表れているのだろうと思うが、どんなことがあったのかセシリーにはまるきり見当が着かない。また今度、機会が有れば尋ねてみようと胸に留め、横目で時計を見ればもう十一時に差し掛かるところだった。
「いっけない、お昼の準備しなきゃ! ロージーさん、今日は鮭のムニエルと野菜たっぷりポトフにしようかなと思うんですけど、それでいいですか?」
「あ~もうあんたに全部任す。あたしは料理はあんまり上手くないんだから、適当に手伝うよ」
大所帯の料理をいかに手際よくこなすか、段取りに頭を悩ませるセシリーたちの元に、コツコツとノックの音が響いた。
「「どうぞ~」」
「失礼しま~す!」「「こんにちは!」」
控え室に顔を出したのはラケルと、彼と年齢の近い騎士でたしかティビーとウィリーという名前の双子だ。
「どうしたの? まあ、真面目なあんたらのことだから、サボリってわけじゃないんでしょ? なんか備品で足りないものとかあった?」
「あ、違うんですよ。実は、僕ら食事係として交代で手伝いに来ることになったんです」
ラケルによれば、先日からセシリーが作っている料理が好評だったらしく、大変そうな彼女を見かねて団内からも手伝いを派遣してやったらとの声が出たという。それを聞いてロージーは冗談っぽく不満を漏らした。
「ずる~い。皆ちょーっと若い子が来ると、すぐ色気だしちゃうんだから」
「そんなこと言わないで下さいよ~! ロージーさんの時だって結構休憩時間手伝いに行ってたんだから。勘違いしないで下さい、あくまで僕らの、健康的な体作りのため、です!」
「それを言われると立つ瀬がないわよね……。よーし、ではこれより炊事班長にセシリー・クライスベル殿を任命する。以後あんたらは彼女の指示に従うこと、いいね!」
「「「了解!」」」
すると三人は横一列に並び、綺麗な敬礼をして見せた。
(ぷっ、大袈裟。でも……これが皆の元気の源になるんだもんね。頑張っちゃお……!)
炊事班長なる謎の役職に急遽任命されたセシリーは、苦笑しながらも腕をぐるぐると回す。皆が自分のご飯を少しでも期待してくれていると思うと、やる気も一入なのだ。
手は抜かないで誠心誠意努めることを誓うと、新たな炊事班を率いて厨房に急ぐ。もう彼らの戦場――ランチタイムは、すぐそこに迫っている。




