第二章 神の名を持つ島 Ⅰ
どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。ぼんやりとカリンは重いまぶたをあげる。眠い目をこすろうとして、ペンを手に持ったままだということに気づいた。後輩のリリー・エルあてに手紙を書いている途中で、昨夜は眠ってしまったらしい。机につっぷしていたせいか、腕に押しあてられていた額のあたりがずきずき痛む。
机のすぐ横の床に視線をおとすと、昨日のうちに描いておいた魔法陣の上に封筒があった。それを拾いあげ裏面を見て、差出人を確認する。シャーロット・ヴァートン――カリンはシャロン先輩と呼んでいる、リーザイン魔法学園出身でカリンより五つ年上の中級魔法使いである。昨夜カリンが送った手紙への返事のようだ。封印魔法はかけられていない。のんきなシャロン先輩は、手紙の内容を他人に見られるといったことをまったく心配しないのである。これが重要書類だったらどうするのかしら、とカリンは後輩の身ながらため息をついた。
それにしても気持ちのよい朝である。カリンは大きくのびをして椅子から立ち上がる。机の前の窓からもれる日の光がきらきらと部屋にこぼれだしていく。
ディーレン島。この島が夢幻の神ディーレンスの名をいただいているのをそれまで疑問に感じていたカリンだったが、この光景は夢のようにうつくしいと素直に思えた。
この島での生活も、そう悪くないかもしれない――しかしカリンの上がりかかった口角は、背後から聞こえてきた物音のせいですぐにひきつった。
「……ええと、人の部屋に許可なく入るのはやめてくれる」
ふり返らずに言う。しかし返事はなかった。そのかわりに背中へといくつも視線が集まったのをカリンは感じた。
「今からみっつ数えるから、その間にこの部屋をでていくか、なにかしゃべるかして――いち、に、さん」
いきおいよく背後をふりむく。反射的に杖を召喚する。視界の端になにかがちらついた。それを確認したカリンは声をうしなった。
何十匹もの『毛玉族』が部屋の戸の前につみかさなっていた。直径がカリンの腰ほどの大きさのものもいれば、こぶし大のものもいる。白に赤に青に、色とりどりの『毛玉族』は二対の目でカリンをじっとみつめていた。動く気配はない。カリンが視線を動かすと、かれらはそれを目だけで追った。
「……今度ははっきりと言うわ」
カリンは言いながら、これが夢であったらいいのにと願う。
「この部屋から今すぐ出ていって」
「カリンちゃん?」
言葉をはきだしたのと、部屋の戸がたたかれたのは同時だった。
「どうかしたのか」
「なんでもないわよ、イーズ!」
こんな得体のしれないものと話していたことを知られるわけにはいかない。『毛玉族』を戸の前からはらいのける。そうして、かれらの姿をイーズが見られないことに思いいたった。はたから見れば、カリンは宙にむかって話しかけている頭のおかしい人間でしかない。
「なんでもないのよ」
笑顔をとりつくろって、カリンは扉をあける。
「ちょっと夢見がわるくて。うなされて、ひとりごとを口走ってただけなの」
「そっか。なにごとかと思ったぜ……ん?」
イーズははしばみ色の目をまるくした。まさか、とカリンは部屋をふりかえる。『毛玉族』の姿はいつのまにか消えていた。イーズはいったい何を見たのだろうか。そうカリンが思ったとき、耳をつんざくような爆音が建物の中にとどろいた。