第三章 運命の日 Ⅴ
リーシェンをイーズに預け、カリンとマイは家族のもとへと戻った。
舞台の出し物が終わり、《星の大祭》最大の目玉、《月の女王との踊り》が始まろうとしている。
「カリン、兄ちゃんと踊ろうぜ」
「ずるいぞ、俺とにしようぜ、カリン」
「……兄さんたち」
カリンに群がる兄たちをいさめようとしたのは十二男のジャンだが、数と体格差に敗れ後方へと飛ばされた。
「踊り方なんて知らないくせに」
「じゃあ、おれと踊りますか? ジャンお兄さん」
ぶつぶつ文句を言うジャンに、マイが声をかける。
「聞いたぞ。ここで踊ると永遠の愛がはぐくまれるんだと。きみと僕が恋に落ちたらどうするんだ!」
「あー、それは嫌ですね」
「だろう!」
一緒に踊るだけで恋愛が発展するなど迷信に決まっている。それでも、カリンは少しは伝説を信じているに違いない。星座占いで一喜一憂したり、神に祈りをささげたり、目には見えない不確実なものたちをカリンは純粋に受け入れている。マイには理解できないことだ。
それでも、マイはカリンと一緒に踊ってみたいと思った。
「おれが踊り方を教えてあげようか」
兄たちを押しのけ、カリンの前に手をさしだすと、ぽかんとした表情で見つめられた。
「マイ、あなた、踊りなんてできたの」
「きみもなかなか失礼だよね。それくらいたしなんでいるものだろ、普通」
いけない。つい素の言葉が出てしまう。
「ごめん――おれが言いたいのはそういうことじゃなくて――」
続きの言葉はカリンの兄たちに遮られた。あっという間にカリンから引き離されてしまう。押された勢いでしりもちをついてしまったマイを、不機嫌そうなジャンが見下してくる。
「きみ、カリンの何?」
「何って、仕事のパートナーですけど」
「きみさ、カリンのこと好きだろ?」
カリンに聞かれていないか案じたが、喧騒のおかげで届いてはいないようだ。ジャンはためらいなく問いかけてくる。
「きみは、本当はカリンと釣り合うような身分じゃないだろう? もちろんカリンのほうが下という意味でだけど。魔法使いっていうのは農民がなるものじゃない。きみがカリンを好きでも、カリンがかわいそうだ。カリンは同じ農民と結婚して生きていくのがいちばんしあわせなんだ」
彼の言うとおりだ。しかし、マイは食い下がるわけにはいかない。
「今のおれは魔法使いです。身分なんて関係ない」
「でも、カリンは気にする」
「そうかもしれません、今は。でも最近のカリンは変わってきています。カリンに王女の友達がいて、しかも呼び捨てにしてるなんてこと、お兄さんは知らないでしょう」
ジャンは信じられないといったように目を見ひらいた。
「まさか。あのカリンが?」
「そのまさかですよ。お兄さん、おれもひとつ聞いていいですか? カリンに泣くな、と言ったのはあなたたちですか?」
マイは立ち上がって、ジャンを見据える。意固地にカリンが涙をこらえるのは、約束がカリンを縛っているからだ。
音楽がはじまり、人々が踊りだす。
「おれが、あなたたちのかわりにカリンを守ります。だから、もうカリンに泣くななんて言わないでください。カリンのことはおれに任せてください。絶対におれがカリンを守ります」
しばらくの沈黙のあと、ジャンは口をひらいた。
「……それは、きみとカリン次第じゃないかな。カリンが苦しむなら、僕は全力で阻止するけど」
さみしくなるな、とジャンは苦笑する。
「お兄さんは早く妹離れして、恋人ができるといいですね」
「余計なお世話だ。僕は星さえ見られれば生きていける」
魔法で輝く十二の星たちが、今も夜の天井にきらめいている。神話をいっさい信じないマイだが、オルフェリアを守る十二の子神とカリンの兄たちを重ね合わせた。カリンはオルフェリア。ならば、マイはいったいなににあたるのだろうか?
夜空に答えは浮かばない。それでもマイは星を見つめていた。
*
「今年も、きれいな星だこと」
彼女は空を眺めてほほ笑んだ。
ある建物のバルコニーで、ふたりは夜の王都を見下ろしている。
「城に帰りたいか」
「……いいえ。もう、あなたはこの日になるとそればっかり言うんだから。いつもは何も言わないくせに。帰りたくなったらとっくに帰っているわ。それにわたくしの帰る場所はもう、あそこにはありませんもの」
ゆるやかな金の髪が楽しげに揺れる。十七歳のまま、時を止めた少女はあの日から姿が変わらない。
「フィオナ」
シセルは彼女の名前を呼び、手をさしだした。
「踊りませんか、王女さま」
「やだ、かしこまっちゃって。……お受けしましょう、魔法使いどの、って返せばいいのかしら」
白い手が重ね合わされる。一年の時を経て、ふたたび触れることができた。愛しいひと。
魔法は万能ではないけれど、たった一晩ならば奇跡を起こすことができる。もし、この世界に魔法がなかったら、彼女は死の神グランディウスの闇に飲みこまれていただろう。
肉体を取り戻した彼女を、シセルは抱き寄せる。自らの命が削られようとも、この手を放すことなどできやしない。
「愛していますわ、シセル」
今、この時間のすべてがいとおしかった。
*
憎い。祭りの喧騒が、星明かりが、善人ぶってのうのうと生きているやつらが憎い。
彼の負の感情が魔のものどもをおびきよせる。やめさせなければ、と彼女はいつも思うのだが、怒り狂う彼の耳に彼女の言葉は届かない。
いつでも帰ってきていいんだ、とシドーは言った。シドー・グレイ、彼女たち《海の民》が愛した人間。戻れるものなら彼のもとに戻りたい。しかし、もうあの場所に彼はいない。
やさしく、美しかった彼は、争いの果てにその相貌を変えてしまった。彼を元の姿に戻さなければ、彼女は帰ることができない。今の彼の姿を、シドーやルルディや、ほかの仲間たちが見たら悲しむだろう。彼女は、幸福だった記憶を守らなければならない。
「ラーシェイさま……」
争わなければよかったのに、王になどなろうとしなければよかったのに。彼がそばにいてくれるだけで、じゅうぶんだったのに。
魔物と成り果てた彼は、憎しみに吸い寄せられるようにして、ひとりの男に憑りついてしまった。
「泣くな、うっとうしい」
男はうつろな目をして、彼女を見る。
憎い。すべてが憎い。私からすべてを奪った世界が憎い。
彼の感情は精霊である彼女に直接伝わってくる。悪意のもとにさらされた彼女のむきだしの心は、ひどい痛みに耐えかねていた。
いっそ、彼を見捨てられればよかった。