第三章 運命の日 Ⅳ
「あたしが探していたのは、あなただったのね……」
その言葉がマイにさらなる衝撃を与えた。
カリンが魔法使いを目指したのは、憧れのひとに会いたいからだと聞いていた。それがまさか、リーシェンだったとは。
勝ち目はなくなったじゃないか。マイは絶望する。カリンにとってリーシェンが探し求めていた者であるのに対して、マイは昔出会った嫌な男だ。カリンの記憶の中の男とマイが結びついてしまったら、一巻の終わりだ。マイにとっては運命の出会いだったが、カリンには最悪の出会いでしかなかったはずだ。
前回、リディル王国が《星の大祭》の開催地だったとき、マイは――そのときはまだアデレード第五公子だった、マイス=エラルド・アデレードは大公家の一員としてこの地を訪れた。名目上は祭りを楽しむためだが、実際のところはアデレード公子とリディル王女の縁談をとりきめるためだった。長兄ジーク=エイゼルの婚約者だったリディル第一王女フィオナが急逝し、その喪が明けたので再び縁故を結ぼうと両家ともにもくろんでいたのだ。
相手となる第二王女マリアンナは、美しかったが、つんとすましていて時折、田舎公国だとアデレードをののしった。彼女の父親がいさめるのだが、王女は聞く耳持たない。マイス=エラルドはうんざりして、こっそり城を抜け出した。婚約者を喪ったのはジーク=エイゼルであるし、次兄のイアン=エルハスはリディル王国に留学していたことがあるし、すぐ上の兄ユーリ=エレインは年がちょうどいい。そもそもマリアンナ王女はマイス=エラルドより年上だ。自分に回ってくることはないだろう。あんな性悪王女を妻にせずともすむティル=エーリクは大変運がいい。マリアンナよりキシリヤ王女エレイナ・マリオンのほうが百倍ましだ。
祭りだけあって、城の外はにぎわっていた。出店をいくつかのぞいたが、庶民が喜んで食べるようなものばかりで食指が動かない。公子の自分の口には合わないだろう。
人ごみをさけるうちに大通りからそれ、脇道へ入り込んでしまったことに気づいたのは、がらの悪い男たちに囲まれたときだった。マイス=エラルドは着ているものからすぐに高貴な身分だと知れてしまう。目をつけられるのは当然だった。
「欲しいのは金か、地位か、名誉か」
彼が問うと、男たちはにやりと笑みを浮かべる。話の通じない相手だと直感して、隠していたナイフを抜いた。人を斬ったことはないが、手ほどきは十分に受けている。剣をふりかざし一斉に飛びかかってきた男たちの動きは、鈍く感じられた。やれる、と思った。
「だめ!」
その瞬間、男たちとの間に透き通った壁ができた。魔法だとすぐに気づいた。
「人はオルフェリアに愛されているのよ。だから、傷つけてはいけないの!」
何がオルフェリアだ。マイス=エラルドは神など信じていない。男たちはあっけにとられている。
声のしたほうを見ると、マイス=エラルドと同じ年頃の少女が杖をかまえていた。紺色を基調とした服を見るに、どこかの魔法学校の生徒だとわかる。金色の三つ編みが揺れている。
「農民が魔法使いなんてやる時代になったのか」
少しは矯正したのだろうが、少女の言葉には訛りが残っており、日頃から言葉を聞き分ける訓練をしている彼には身分をあざむくことなどできない。
「まっ、魔法使いに身分は関係ないもの」
声がふるえている。
「あ、あたしは魔法使いよ!」
「それがどうした」
マイス=エラルドは鼻で笑った。
「たとえ魔法使いに身分は関係なくても、お前に卑しい血が流れてることには変わりないだろ」
少女が言葉をつまらせた。普段から気にしているのだろう。当たり前だ。魔法使いは普通、中流階級以上の人間がなるものなのだから。
「それにしても、貧しい農民がどうやって魔法使いになったんだ? そもそもお前、文字は読めるのか?」
「よ、読めるし、書けるわ。そ、それにちゃんと試験に合格してリーザインに入ったのよ! せ、成績は学年で一番だもの! どこもおかしくなんてないわ!」
リーザイン魔法学園――魔法組合リーザス・クラストが管轄する唯一の魔法学校だ。すべて無償で学べるかわりに、入学試験は非常に厳しい。卒業すると中級の資格が与えられるとも聞いたことがある。
しかし、マイス=エラルドには関係のない話だ。魔法使いなぞ、金さえあればいくらでも雇うことができる。
「まず、農民が魔法使いの存在を知っていることが驚きだな」
貧しい農民には魔法使いを雇う金などない。よって、農村に魔法使いが訪れることはめったにないはずだ。
「まあいい、そのままこいつらを足止めしておいてくれ。俺はアデレードの第五公子だぞ。対価が必要なら、これでも受け取っておけ」
金でできた釦を上着からむしりとり、少女のほうへ放った。
「いやよ。あなたの言うことなんか聞かない」
釦をマイス=エラルドに向かって投げつけると、少女は去っていく。男たちの息の根を止めてもよかったが、なぜだか、その少女が気になった。
彼がついていくと、少女は怒ったように言った。
「なんでついてくるの」
「俺がどうしようと、お前には関係ないだろ」
少女は走って逃げようとするが、マイス=エラルドが追いつけないはずもない。
「お前さ、どうして祭りだっていうのにこんなところにいるんだ。農民からしたら夢のような夜じゃないのか。卑しい一族たちに自慢できるだろ?」
少女は答えない。マイス=エラルドは彼女の顔をのぞきこむ。
「なあ。どうして――」
はっと息をのんだ。少女は唇をかみしめ、やっとのことで泣くのをこらえていたのだ。
「おい、どうしたんだよ。なにかあったのか」
口を開くと嗚咽が漏れてしまうのだろう。必死に少女は涙と戦っていた。
「おい、農民、いったいどうしたっていうんだよ」
なぜだか、急に少女のことが心配になって、マイス=エラルドは何度も問いかけた。三つ編みを引っ張っても、頭を叩いても、少女はうんともすんとも言わない。ひとりでずんずん歩いていく。
「いじめられてるのか。それは当然だろうな! ははは! それとも迷子か? 農民には広すぎるもんな!」
大通りに出ると、ちょうど前にリーザス・クラストのリディル支部の建物があった。少女と同じ服を着た少年少女たちが、少女のもとに待ち構えたように駆け寄ってきた。
「あれー? よくここまで戻ってこられたねえ」
「もっと遠くにつれていけばよかったんじゃない」
「おもしろくないわねえ」
生徒たちはくすくすと笑う。少女とは違うなめらかな発音だ。少女は彼らに置き去りにされたのだろう。それも意図的に。明らかないじめだ。少女は肩をふるわせている。今度こそ泣くのか、と思ったが、またも彼女は我慢していた。
「おい」
マイス=エラルドは少女をこづいた。
言い返せばいいじゃないか。おどおどしているから悪化するんだ。
「そんなだから、いじめられるんだぞ。見ていていらいらする」
魔法使いに身分は関係ないんだろ。それなら堂々としていればいいのに。成績が一番なら、魔法使いとしてはお前のほうが格上じゃないか。
しかし、それらの言葉は喉の奥に引っ込んだきり、出てこなかった。
「おい、なんとか言えよ、農民」
マイス=エラルドは少女の肩を押す。その瞬間、少女は振り返った。
「あんたなんか、だいっきらい!」
星の光が少女の顔を照らし出した。少女は泣きそうな顔で、マイス=エラルドをにらみつけていた。
「あ……」
なにか言わなくては、と思った。けれど言葉が出てこない。得体のしれない感情が心のうちにわきあがってくる。とっさに少女の腕をつかんだが、振り払われた。少女は建物の扉めがけて走り去っていく。
「なんだあれ、ちょっとおもしろかったな」
生徒の一人が言う。マイス=エラルドはその言葉に、なぜだか腹が立った。相手が男だろうと女だろうとかまわず、その場にいた生徒たちを殴りつける。
「な、なによ、あなた」
「俺が何者だって、お前たち魔法使いには関係ないんだろ」
先ほどまで罵倒していたのに、少女が黙っていじめられているのが許せなくなった。マイス=エラルドは舌打ちする。生徒たちにも、少女にも、自分にもいらついていた。
どうしたら、あいつらからあの子を守ってやれる?
どうしたら、あんな顔をさせないですむ?
そんなことを考えてしまう自分が信じられなかった。
*
祭りを見る気は消えうせ、マイス=エラルドは城に戻った。考えるのはあの少女のことばかり。
「今までどこにいたんだ、マイス。お前がいないから、俺が勝手に推薦しておいてやったよ」
廊下ででくわすなり、第四公子ユーリ=エレインがすぐさま声をかけてくる。
「お前には性悪女がお似合いだ。喜べよ」
「ユーリ」
第三公子ティル=エーリクがたしなめる。
「まだ決まったわけではありません。私たちがなにを言おうと、決めるのはリディル国王と父上ですから」
マリアンナ王女との縁談のことを言っているのだと理解した。
「なんで俺なんだ? ジーク兄上やイアン兄上は」
「そんなの俺が知るかよ。俺は、結婚するくらいなら出家してやるって言っておいたからな。父上がお前にしようとかなんとか言いはじめた。よかったな」
「ふざけるな!」
とっくみあいになりかけた弟たちを、ティル=エーリクが止めるがマイス=エラルドの腹の虫はおさまらない。騒ぎを聞きつけて、使用人たちが駆けつけてきた。
やつ当たりだ、とはわかっている。
腕にできたあざの手当てをされながら、マイス=エラルドはふてくされていた。彼より傷が多いユーリ=エレインは、侍女に触れられるのを拒み、傷はそのままになっている。彼は女性というものが苦手なのだ。ぶつぶつ文句を言いながら、マイス=エラルドを見下ろしている。
「お互いさまですよ、ふたりとも」
一番の被害者は間違いなくティル=エーリクだ。端正な顔に大きなあざができている。マイス=エラルドは彼に対しては申し訳なく思ったが、ユーリ=エレインの前で謝るのは癪だったので黙っていた。むちゃくちゃに殴りつけたせいで拳が痛む。
「私がイアン兄上でなかったことに感謝しなさい」
「……はい」
次兄のイアン=エルハスは兄弟にとって、もっとも恐ろしい存在だ。おとなしくうなずく。第二公子にかかれば、両者の言い分など聞きもせず、喧嘩両成敗、ふたりそろって叱られる。
「……本当に、俺が犠牲になるのか」
マイス=エラルドがつぶやくと、耳ざといユーリ=エレインは笑った。
「残念だったな、マイス。神を信じないから罰がくだったんだ」
「あんなのと結婚だなんて、気がおかしくなりそうだ。いっそ、気がふれてしまえばいいのに――」
公子でなければ、望まぬ結婚などしないですむ。
「なあユーリ。あの王女と、おもしろい農民娘だったらどちらがいい?」
「はあ?」
ユーリ=エレインは眉をひそめた。
「女という時点で論外だな。それになんだ、おもしろい農民娘って」
「たとえばの話だよ」
「まず、父上や兄上たちには認められないでしょうね」
ティル=エーリクが言った。もちろん後者をさしてそう言うのだろう。
「それにあまりにも身分が違うとなると、相手はマイスを畏れてしまうでしょう。その女性は、後ろめたい思いを抱えていかなければならなくなります」
「では、兄上は王女をとると?」
いいえ、と彼はほほ笑んだ。
「私にはもう、許嫁がいますから」
幸福そうに笑う彼がうらやましかった。
公子になんて生まれなければよかった。ふと、思った。今までは恩恵を享受するばかりだったのに、今ではそのしがらみが煩わしい。
――魔法使いに身分は関係ない。
少女は言っていた。魔法使いは俗世の身分とは切り離されるということは知っていた。しかし、それを逆の立場から考えたことはなかった。
魔法使いになれば、とマイス=エラルドは考えた。
魔法使いになれば、公子の身分を捨てられるのだろうか――。
我ながら馬鹿な考えだと思った。しかし、考えるほどにそれは現実味を帯びてきた。権威の前では無力なマイス=エラルドが唯一できる、彼女をおびえさせずに守る方法。
迷いは一切感じなかった。城を再び抜け出し、マイス=エラルドが訪れたのはリーザス・クラスト魔法組合リディル支部。
「魔法使いになりたいんだけど」
建物の中に入ってすぐ目についた、小柄な魔法使いに声をかける。白いローブは力のある魔法使いの証だ。相当な実力者なのだろう、と思っていたマイス=エラルドは、振り返ったその顔に驚かされることとなった。
「ほう、ワシの弟子になりたいと。珍しいことがあるものじゃの」
魔法使いはにやりと笑った。
「実におもしろい。長生きとはいいものじゃのう」
「お前の弟子になりたいとは言ってないぞ。魔法使いになれさえすれば、なんでもいい。早く俺を魔法使いにしてくれ」
「あせるでない、若者よ。なぜ、魔法使いをこころざすか、教えてはくれぬか」
ここで邪険にしたところでなんの益もない。
「農民階級出身の魔法使いを知らないか。リーザインにいる、そうだ、成績は学年一番で、金髪を三つ編みにした、俺くらいの年齢の女だ」
ほう、と魔法使いは目を丸くした。
「カリン・アルバートか。なかなかおもしろいものに目をつけたのう、第五公子どのよ」
マイス=エラルドの正体はとっくに知れているようだ。
「カリン・アルバート……」
その名を口にすると、鼓動がはやくなる。
「おぬし、カリンに惚れたか」
魔法使いは笑った。
「顔が真っ赤になっておるぞ」
「そ、そんなの知るか。俺はただ、あの農民娘がいじめられていないかどうか気になるだけだ」
「そうかいそうかい。ならば、もう一度会ってたしかめるか」
魔法使いはマイス=エラルドをいざない、建物の奥に部屋へ進んでいった。マイス=エラルドを椅子に座らせ、手鏡を握らせる。のぞきこんで、マイス=エラルドは息を飲んだ。
鏡に映るのは、マイス=エラルドではなく、金髪の少女だ。
「カリン……」
カリンはリーザインの生徒とおぼしき少女たちに囲まれている。声は聞こえないが、カリンひとりがやり玉に挙げられているのは一目でわかった。カリンは怯えるばかりで、反撃するそぶりを見せない。鏡を握る手に力がこもる。
あの場に自分がいたら、追い払ってやるのに。
「どうしたら、あいつを守ってやれる」
マイス=エラルドは魔法使いに問う。
「まず、その傲慢な性格を変えねばなるまいのう。第五公子として会いに行くのは避けたほうがよかろう。そう、おぬしは今から別人になればよい。マイス=エラルドか――ならば、おぬしは今からマイ・オリオンじゃ。マイ・オリオンとしてカリンに会うがよい。そうじゃな、うまくいけばカリンと一緒に働けるかもしれぬ。それまではワシのもとで鍛え直してやろう」
それでよいか、と魔法使いは念を押した。
「今からおぬしは公子ではなくなるのじゃぞ」
マイス=エラルドはうなずく。
「そのために俺は魔法使いになるんだ。一人の男として、カリンを守る」
その言葉が、誓いとなった。
*
アデレード大公が事に気づいたときには時すでに遅く、マイス=エラルド・アデレードはマイ・オリオンとして魔法組合の名簿に名をつらねてしまっていた。
「マイス=エラルドなどいない」
師匠となったクラリス・オリオンは、訪ねてきたアデレードの人間を門前払いし、マイへ近づけなかった。アデレードのことなど、マイにはもう関係なかった。
マイは自由だった。
第二公子イアン=エルハスが動くまでは。
マイス=エラルドが戻らなければ、リーザス・クラストに戦争をしかけることもやむをえない――。
リディル王国もそれに賛同しているというので、上層部は大騒ぎとなった。今すぐマイ・オリオンをアデレードに返せ、いやそれに屈しては組合の沽券にかかわる、いや戦いは避けたい――。マイが折れるほかなかった。
「ジーク兄上が大公位を継ぐ日まで待ってほしい」
生まれてはじめて、心の底から願ったことだった。
ジーク=エイゼルが大公になれば、彼の治める領地を継がなければならないのは第五公子だ。マイは必ず領地を相続することを約束し、数年の猶予を得た。
急がなければと焦る一方で、カリンとの仲はまったく進展しない。リーシェンよりもずっと、カリンを愛しているというのに。
いっそ、もうあきらめてしまおうか――。何度思ったことだろう。けれど、心がカリンを他の男に渡したくないと叫ぶ。
守りたかった。カリンを泣かせたくなかった。それはたしかだが、ほんとうは。
「カリン」
マイはカリンのもとへ駆け寄る。
「何してるんだ、精霊が見えない人間から見たら、ひとりごとをぶつぶつつぶやいてる変なやつだぞ」
リーシェンの容姿が幼く変化していて、様子がおかしいことにはすぐに気づいた。
「人前で精霊と話すなら、おれのいるところにしたほうがいい。もう、変なやつだなんて思われたくないだろ?」
「マイ」
カリンがまっすぐとマイを見つめる。
「……そうね」
カリンは苦笑した。マイははっと息をのむ。
「あなたの言うとおりだわ」
そうだ、おれは、ほんとうは、カリンをひとりじめしたいだけなんだ――。