第一章 星の祭り Ⅵ
《星の大祭》が翌日に迫る日の午後、母とともに隣村に出かけた帰り道で、カリンは見慣れぬ精霊に出会った。
「あ!」
驚きの声をあげたのは精霊だけで、母がそばにいることを気にしたカリンはすぐに目をそらした。声をかけようものなら、母に奇異の目で見られるだろう。
「なんで目をそらすのよう! ルゥのこと見えてるんでしょ!」
精霊ならあたしの考えてることがわかるでしょ、と心の中で強く思う。
リーシェン、イーズ、ラティカのような人型の精霊だ。空中庭園で出会った《翼の眷属》たちとは違い、大きさも人間と同じである。
オルフェリアは愛する人間に似せて精霊を作ろうとした。ゆえに人間に似た容姿を持つものほど高位の精霊である。淡い水色の髪に、明るい青の目。海のような色だとカリンは思った。
「えー、すごーい、当たってるよ! そう、ルゥは《海の民》だもん」
精霊は一方的に話し続ける。口調にもあらわれているが、人間でいう十歳ほどの容姿である。実年齢はカリンの知るところではないが、精神年齢は見た目が十代半ばほどのリーシェンよりも幼いようだ。
「リーシェンなんてちびっこじゃない。ルゥのほうが百歳もお姉さんなんだから。ねえリーシェンなんかより、ルゥの子分にならない? えー、なってくれないの? いじわるー」
腕にしがみつかれ、ふりはらうこともできない。
「リーシェンなんかより、ラーシェイさまのほうがずっと王さまにふさわしいんだから、ラーシェイさまの子分のルゥの子分はとっても偉いんだよ? とっても光栄なことなんだよ?」
「……ラーシェイさま?」
つい聞き返してしまい、はっと口をおさえた。
「カリン?」
「う、ううん。なんでもない」
リーシェンと似た響きの名だ。リーシェンと何かしらの関係があることは、彼女の言い方からも想定できる。リーシェンより王――ディーレンスにふさわしい精霊が他にいるということは、つい最近別の人間から聞いたばかりだ。
シドー・グレイ。キシリヤ支部の十二賢人。
――精霊たちは偽王に従わない。
自身をルゥと呼ぶこの精霊も、リーシェンを王と認めず、別の精霊を王に望むものなのだろう。
「え、気になる? ルゥの子分になるなら教えてあげてもいいけどー……あっ」
ルゥは慌てて姿を消してしまった。辺りを見ても変わったようすはない。家が見えてくる。
今のはいったい……。突然現れて消えた精霊が気にかかったが、カリンの意識は別の方向へと向けられた。
家の中から聞こえてくる騒ぎ声。母と顔を見合わせる。家に近づくにつれて、声は鮮明になっていく。
「すみません、で済むと思うなよ」
「大切なカリンをお前みたいな男にやれるか!」
カリンは全速力で戸に走り寄って開け放つ。
信じられない光景が目の前に広がっていた。険悪な空気に圧倒され、「おかえり」の声にも反応できない。
土下座をするマイを、家族が取り囲んでいた。実家を出て近くに居をかまえている兄の顔もある。体格のいい男たちの背後で父がうろたえている。
「カリン」
母が口をひらいた。母が話すときには静かに聞くのがアルバート家の暗黙のルールである。家の中がしんと静まりかえった。
「このひとはあんたの恋人かい」
「え?」
戸惑うカリンにかまわず母は続ける。
「それ相応の待遇ってものがあるんだからさ。客人としてもてなすか、それとも婿として……」
「え、えっと。ちょっと待って。みんなかん違いしてるんじゃない」
まさか“そっち”方面にいくとは。予想もしなかった事態にカリンは焦る。
幼いころカリンは男の子にばかりいじめられた。そのため兄たちは、カリンと同世代の男を見ると、妹をいじめるのではないかと警戒する。ただでさえマイは余計なことを言うので、彼がいじめっ子判定を受けるのは必至だ。それを案じていたのだが、話は思いがけない方向に発展したようだ。
「彼はただの仕事仲間よ。このひとの恋人は火薬だから」
「それは本当か?」
兄が口ぐちに言う。
「この男がもし、カリンのことを好きだと言っても、つき合ったりしないだろうなっ?」
「当たり前でしょ。まずマイはそんなこと言わないから心配しなくても大丈夫よ」
兄たちは安堵したようだ。
変な誤解をされたマイにカリンは同情する。周囲の思い込みは恐ろしいものだ。しかしカリンが帰れと言ったのに、懲りずにまたやってくる彼は何を考えているのか。今の状況はある意味自業自得だ。
「か、カリン。もっ、もしかして学校で好きな男ができたりしたか」
「できなかったわよ」
学園の男こそいじめっ子だった。とまでは言わない。
「こ、告白は」
「されるわけないじゃない!」
自称・神見習いの精霊王に求婚はされたが、余計なことなので黙っておく。
「……ねえ、マイ。どうしてそんなことをしているの」
「つい、反射的に」
マイが顔を上げる。ふてくされたような表情だ。
母がマイの肩を叩く。
「ほらほら、あんたたちお客さんにいつまでこんな格好させとく気だい。あんたも男ならそう簡単に頭を下げるもんじゃないよ。いい顔ってほどじゃないが、まあ、台無しだよ」
気は弱いが顔だけなら村一番、と評判だった父と結婚した母の審美眼は厳しい。
「あんた、名前は」
「……マイ・オリオンです」
精神的な攻撃をくらいながらも、気丈にマイは立ち上がった。なぜか眼鏡をとり、じっと母を見つめる。
「おや、そこそこいい男じゃないか」
「どうも」
固唾をのんで見守っていたカリンたち兄妹は一気に脱力した。マイは満足げに眼鏡をかけ直す。
本来目がいいはずの彼がわざわざ眼鏡をかけるのは、精霊や魔物を見るためだ。幾層もの結界魔法を張った分厚いレンズのおかげで、眼鏡をかけていないときとは別人のように見える。間延びしたしゃべり方はのんびりした印象を与えがちだが、実際はかなり鋭い目つきをしているのだ。眼鏡をはずして、服装と髪をととのえ、黙っていればモテるのではないか、とカリンは常々から思っている。
しかしマイが静かに口を閉じていられるはずもなく。
「カリンには全然似てないんですね。特に見た目が」
十三人の子どもを産んだ母は背が高く、横幅もある。末の兄とカリンをのぞく兄たちの巨体は、まさしく母ゆずり。
「あたしの顔は母さんゆずりよ」
慌ててカリンは口をはさんだ。
「ジャンとあたしは母さんに似て、他のみんなは父さん似なの。ねっ」
「お、おう」
兄たちがうなずく。母を怒らせると恐ろしい。ことを穏便にすませるため、兄妹は無言のうちに一致団結した。
「おい、おまえ、こっちの椅子に座れ」
「あたし、飲み物を用意してくる」
「俺も」
「あ、逃げるなよ!」
「おまえたち」
母が一喝する。
「さっさと寝な! 明日は都に行くんだろう? 母さんはこの男と話すことがあるからね、邪魔するんじゃないよ!」
夕食がまだすんでいないどころか、日も暮れていない。しかし母に逆らえる者もおらず、兄妹はしぶしぶ寝室へと向かった。
「母さん、何を話すつもりなんだろうな」
「あいつ、ただじゃすまないぜ」
ふたりのやりとりが気にかかる。だが、わざわざ母が自分たちを遠ざけたのだ。何か考えがあるにちがいない。
気になってしかたがなかったが、耳をそばだてても薄い壁の向こうの声ははっきりと聞こえてこなかった。カリンはなかなか寝つけなかった。マイと母が夜通し何かを話しているのだけは明らかだ。兄たちは聞き耳をたてるのも忘れて、いびきをかいている。
「カリン」
唯一起きていた父が手をこまねいた。
「魔法使いの話を聞かせてくれないか」
父の隣に横たわり、カリンは思いついた端から語りだす。リーザインで仲良くなったシャロン先輩やリリー・エルのこと、ディーレン島でのこと、最近キシリヤ王国のエレイナ王女を助けたこと。リディル王宮での事件や学園でのいじめについては触れなかった。悲しいできごとを語る必要がないほど、家を離れてからの五年間には楽しいことがたくさんある。
「マイとはいい友達になれるといいね」
マイについて語ると、父は優しくほほ笑んだ。
「せっかく一緒に働いているのだから」
「火薬さえなければ、もっと仲良くできるかもしれないわ」
精霊や魔物のことを父は知らない。イーズやラティカは友達として紹介できるが、リーシェンはどうだろうか。友達? 近所に住む男の子?
「ねえ、父さん。あたしが結婚することになったらどうする?」
爆睡している兄たちが聞いているはずもないが、カリンは声をひそめた。
「……さみしいけど、うれしいよ。何年も会えなくなったらつらいけれど」
父はゆっくりとカリンの頭をなでる。
「あたし、会いたい人がいて、その人に会ってお礼を言うのが夢なの。そうしたら、この家に戻ってきたい。また、みんなと一緒に暮らしたい。移動魔法さえ使えれば、魔法使いの仕事はどこでだってできるもの。がんばって、早く戻ってくるわ」
「それはいいなあ」
「だから、早く上級魔法使いになるの」
そうしたら、もうディーレン島とはお別れだ。そう考えると急にさみしさがこみ上げる。家族が、ディーレン島にいればよかったのに。
あたし、求婚されているのよ。
それも神さまに。
心の中だけで父に呼びかける。
「……その人は優しいかい?」
まるで精霊のように、父は言った。
「わからないわ。あたしには彼の考えていることなんかわからない。わかるのは、リーシェンはあたしのことなんか愛してないってことだけ。恋を知らないんだから、火薬ばかのマイと一緒よ。だったらシセルさまのほうがいいわ。どうしようもない悪人顔だけど、そのふたりよりはだいぶまともだから」
「そうかいそうかい」
「それに、会いたい人が運命の恋に落ちる相手かもしれないでしょ? あたしはその人に会うまで恋なんてしないと思うわ」
父はなんでも、うんうん、とうなずいてくれる。子どものころのように頭をなでられているうちに、カリンは眠りに落ちた。