第四章 それぞれの想い Ⅴ
「ねえ、シセル」
返事はない。
「シドー・グレイに会ってこようと思うんだ」
リーシェンが言うと、シセルは盛大な音を立てて椅子から転げ落ちた。
「誰が誰に会うだって?」
「決まっているじゃないか、ぼくがシドー・グレイに会う」
「冗談はやめてくれ。槍が降るぞ」
「失礼な」
シセルが驚くのも無理はない。なにしろ何十年も――シドー・グレイと出会ったときから、リーシェンは彼を避け続けてきたのだ。彼の息がかかったと思われているシセルも、なるべくなら顔を合わせたくない相手である。
「どうして、いきなりそんなことを思いついたんだ」
「嫌いなものとも会ってみたら何か変わるかもしれないでしょう!」
「……さあな。少なくとも俺は会いたくねえ」
起き上がり、シセルは椅子に座り直した。
「で、ひとりで行くのか」
「あ……それはいやだな。シセル、ついてきてよ」
「会いたくねえって言ったばかりじゃねえか」
「だめ?」
「だめだ」
「ねえ、お願いシセル」
「……可愛いと思ってるみたいだが、それ全然可愛くないからな」
「『翼の眷属』に教えてもらったのに。この“可愛いポーズ”」
両手の拳を頬にもってきて、小首をかしげる。同時に腰をくねらせる。
空の上で何やってんだ、とシセルは毒づく。
「カリンに頼めばいいだろ」
「カリンがかわいそうだよ!」
「……俺はかわいそうじゃないのか」
そうか、とリーシェンは思いつく。
「マイに頼もう」
暇そうだし、イーズに何か言われたようだし、全然かわいそうじゃないし。
「いやだ。なんであんたと行かなくちゃいけないんだよ」
「どうせ行くなら今行こう。ほら、別々に会うと向こうも大変でしょう。用事は一回で終わらせるのが親切な人だよ」
「うるさい。いつ行こうとおれの勝手だろ」
しかしリーシェンに先を越されるのも癪である。マイは出かける準備をすぐに終え、移動魔法でキシリヤ支部に向かった。
地図で見ると、キシリヤ支部は首都から遠く離れた場所にある。魔法地図上のキシリヤ支部を目標に飛んだのだが、着いてみればそこに建物などない。ジャングルである。
「……やっぱり」
ついてきたリーシェンが言う。
「どうやら中に入れてくれないみたいだ」
「なんで」
「シドー・グレイはディーレン支部が嫌いだし、ぼくのことはもっと嫌いだ。ぼくよけの結界が張ってあって、どうすることもできない」
それではリーシェンだけではなく、魔法使いに用事があって訪れた人々も拒むことになる。組合の支部として、ちゃんと機能しているのだろうか。
「ここにはシドーしかいないから」
「他の魔法使いは?」
「人間嫌いのシドー・グレイが近くに人を置いておくわけないじゃないか」
さて、どうしたものか。
結界は今のマイの力では解くことができない。懐から火薬を取り出し、火をつける。すさまじい爆音がとどろいた。
「よし」
爆発によって結界が破れ、隠れていた建物が姿を現した。こじんまりした木の家である。マイが戸に手をかけた、その瞬間、全身をしびれるような感覚が走る。
「なんだこれ」
「ぼくは触ることもできないんだけれど」
リーシェンは遠くにいて、建物に近づいてこようとさえしない。
「悪意だ」
もう一度火薬を使うべきか。
――去れ、資格を持たない者よ。
低い男の声。
「誰だ?」
「シドー・グレイだ」
リーシェンが言う。
「資格とはどういうことだ?」
――精霊たちがお前から逃げていく。去れ。
「なるほどね。彼の言い分はわかった。どうやらきみにも問題があるらしいよ、マイ・オリオン」
「そっちこそ近づくことさえできてないだろ」
「どうしよう。そうだ、やっぱりカリンに助けてもらおう」
*
十二賢人に会わせてあげる、と言われれば行くほかはない。ディーレン支部の庭で魔法の修業をしていたところをリーシェンに呼ばれ、キシリヤ支部にかけつける。マイがぐったりした表情で建物の前に立ちつくしていた。火薬を何度も使った形跡がある。
「いったい、何があったというの」
「いいからその戸を開けてくれよ」
裏があるのではないかと思ったが、マイもリーシェンも何も言わない。
「開ける、って言っても挨拶くらいはしないといけないんじゃない?」
戸を叩き、名前と所属を名乗る。返事はない。
「留守かしら」
「……留守じゃないと思うけど」
「うん」
いつになくマイとリーシェンの息が合っている。嫌な予感がする。しかたなく扉に手をかけると、簡単に開いた。
――許す。カリンよ、中へ。
「まかせたカリン」
「よろしくね」
「え?」
誰の声だろうか。注意深く部屋の中に進む。入ってすぐの部屋には灯がついていない。奥の部屋の扉から光が漏れている。
暗さに目が慣れてくると、部屋の中にたくさんの精霊がいることがわかった。それもいろいろな種類の。
「あの……」
カリンは灯のともった部屋の戸を開ける。
「入りなさい」
先ほどと同じ声だ。
男が部屋の中央の椅子に座っていた。短い黒髪に褐色の肌――年齢は定かでない。二十後半と言われても、五十代だと言われてもうなずける。白いローブは彼が何者であるかあらわしていた。
十二賢人。キシリヤ支部の支部長。
「シドー・グレイさま」
男はうなずいた。
「その者がどういうものか、精霊の反応を見ればわかる。あれは王ではない。偽の王だ」
『あれ』がリーシェンを指している、とカリンは悟った。憎しみのこもった口調。彼はリーシェンを心の底から嫌っているのかもしれない。
「……あたしは、精霊の王について詳しいことは知りません」
「知らなくてけっこう」
突き放した言い方だった。
「お前が関与することではない。精霊同士で片づけるべきことだ。それを、あれは怠っている。あれが王になるべきではなかった。もっとふさわしい精霊はいた」
あれに伝えよ、とシドーは言う。
「精霊たちは偽王には従わない、と」
カリンは何も言えなかった。憎悪に触れたせいか、感情がすべて抜け落ちてしまった。ただ、ひとつだけ思った。
「あたし、あの方にはもう、会える気がしない」
待っていたふたりにシドーの言葉を告げたあと、カリンはつぶやいた。
「人間なのに、魔物みたいだった」
(空に浮かぶ庭園・了)
第3話の前に外伝「月の階」をお読みいただけると幸いです。
読まなくても問題はありませんが、新しく登場するキャラクターのことがよりいっそう理解いただけると思います。