第一章 さまよえる魔法使い Ⅴ
建物の戸を開けると、こげくさいにおいが流れてきた。思わずカリンは手で鼻をおおう。
「まさか火事なんてことはないわよね」
「さあ。木製の机とかが燃えたらこんなにおいがするかもしれないけど」
そのうちに黒い煙がどこからともなくただよってきて、建物の中に充満した。
「これ、まずいんじゃない」
「吸いこむなよ、カリン!」
「わかってるわ。でも様子を見てこないと」
無意識のうちに呼びだした杖が、カリンの手のうちにあった。なめらかでまっすぐになった細い木の棒の先に、人の顔ほどの大きさの環がついた杖。環と棒がつながる部分に緑色の石が埋めこまれている。今、この世界で唯一カリンだけが手にしている形のものだ。
一息でカリンは結界魔法をうみだし、自分の体にまとわせる。
「マイ、自分のことは自分でやって」
「了解」
カリンは杖を片手に、煙の原因であろうと思われる方向にかけだした。煙が濃くなる。ひとつ角を曲がると、ひらかれた扉から炎がのぞく部屋がある。魔法のおかげで熱は感じない。ためらいなくカリンは部屋に飛び込む。炎の中に人影を見つけるやいなや、カリンは呪文を唱えた。杖の石がひかる。
――炎よ、我にしたがえ。
みるみるうちに炎は頭をたれるように小さくなり、消えていった。カリンが杖をひとふりするとあたりの煙もなくなる。
「さすがカリン。一瞬で消したか」
追いついたマイが感心したように言う。
「おれは結界魔法に時間くった。きみのように呪文も魔法陣もなし、とはいかないな。そういや前の上司も上級だけど結界魔法には手を焼いてたし」
「ありがとう。でもルーディ先生のことはあんまり言わないで。先生が苦手なのは結界魔法だけなんだから」
「あのひと、あからさまにきみのこと嫌ってるのに。ひがみってやつ?」
「マイ!」
カリンは声を荒くした。
「あたしだって造形魔法や創造魔法は苦手よ。結界魔法が少しくらいできるからって、上級魔法使いにかなうなんて思ってない」
「どうせあのひとが学園で教師やってたころから、さんざん厭味言われてきたんだろ。それなのにどうしてルーディのいるところに配属希望したんだよ。学園で主席卒業なら配属先は選びたい放題だったはずじゃないか」
「あたしは働くなら造形魔法が得意なカロンさまのもとで、って決めてたの! カロンさまの下にルーディ先生がいただけなのよ!」
「へー、ルーディはカロンさまのこともかなり悪く言ってたけど」
「それは許せないわ。あたし、カロンさまの魔法は一回しか見たことがないけど、本当にすごかったんだから!」
「おいおい、おふたりさん」別の声がなかば口論になっていた会話をさえぎった。「えーと、オレが見えてる?」
カリンとマイは同時に声のするほうを見た。
「ごめんなさい、すっかり忘れていたわ。大丈夫ですか?」
「まあな」
声の主は「まったく、おどろいたぜ」と肩をすくめて言う。
「いつもはこういう事故が起こるとオレひとりで対処してたんだけど、まさか助けがくるなんてな」
短い赤毛に幅の広い黒のヘアバンドをした、二十代半ばほどの男である。はしばみ色の目はひとなつっこそうだ。エプロンを着てフライパンを手にしているところを見ると、料理を作っていたのだろう。
「もしかして、ふたりは新入りか?」
「はい」カリンはうなずく。「では、あなたがシセルさまですか?」
「残念だけど、答えはノーだ。オレはイーズ。ここの雑用係ってとこさ」
「それでは、イーズさん。シセルさまはどこに?」
「イーズ、な。オレくらいの年になると、さんづけされるのがはずかしくなるんだぞ」
「じゃあ、イーズ。もう一度聞くけど、シセルさまはどこ?」
若いくせに何を言っているのやら。内心あきれながらカリンがたずねると、イーズは「まあ、メシでも食って待ってなよ。慌てなくてもシセルは逃げないんだ」とこげたテーブルの椅子をひいた。「腹減ってるだろ?」
カリンとマイは顔を見合わせる。
「たしかに」
「そうね」




