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精霊島の花嫁  作者: 茶野
空に浮かぶ庭園
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第四章 それぞれの想い Ⅳ

 アデレード第三公子にしてキシリヤ王女の婚約者であるティル=エーリクは、のんびりと自室で本を読んでいた。

 エレイナが無事に帰還してほっとしたのもつかの間、彼女が〈王の腕環〉をなくしてしまったことが発覚する。エレイナから一部始終を聞くと女王はすぐに納得したが、腕環は二度と作らせないと言った。

 〈王の腕環〉はいわば、一種の枷である。外すことができない腕環は、王太子に次の王になることを常に自覚させるためのものだ。エレイナに腕環の必要はないと女王は判断した。一件落着である。

 運がよかった。エレイナの失踪がわかったときに、たまたま弟の師が彼からの手紙をもって城を訪れた。クラリス・オリオンが弟を呼んでくれ、エレイナは無事帰ってきた。運の強さに関しては誰にも負けない自信がある。

 部屋の隅で物音がした。ああ、とティル=エーリクは顔をあげる。

「表から入ってきてもよかったのですよ、マイさん」

「……第三公子殿下」

「冗談です。わかっていますよ、マイス。こちらへいらっしゃい」

 名を呼んでやると、弟はほっとしたような表情を浮かべ、ティル=エーリクの隣にやってきた。

「兄上」

「さあ、ここにお座りなさい。今、紅茶を淹れますから」

 紅茶好きが高じて、自分で淹れるまでになった。キシリヤに来てからさらに好きになった。キシリヤの茶葉はアデレードのものとまた違った味を持つ。淹れるたびにおいしくなる。その楽しさを知ってしまったら、侍女に任せきりにすることなどできるはずがない。

「やっぱり、おれのこといちばんよくわかってくれるのって、兄上なんですよね」

 弟の好みは知り尽くしている。彼のお気に入りの器に注ぎ、皿に角砂糖をひとつ添える。

「イーズの紅茶もおいしいんですけど、あ、そうだ、兄上とあいつが話せたらきっと楽しいと思います。紅茶好きだから」

「その方も“精霊”なのですね」

「はい。それもものすごく強いやつ」

 今の弟は魔法使いのローブを着ていない。白いシャツの胸ポケットに眼鏡を入れている。眼鏡をかけていない姿を見て、ティル=エーリクは彼が第五公子だったころの姿を思い出した。

「マイス」

 魔法使いマイ・オリオンではなく、弟マイス=エラルドとして彼はここに来たのだ。だからティル=エーリクも兄として言う。

「リディルの第二王女と問題を起こしたと、クラリスさまからお聞きしました。このことがイアン兄上に知られれば、いえ、第二王女にあなたの正体を気づかれたら大変なことになります。彼女はあなたの婚約者なのですよ。ユーリが出家したので、あなたにすべてがかかっているのです。そのことを忘れないように」

 ここからが本題だ。弟は説教を聞きに来たわけではないのだから。

「マイス、あなたはなぜ魔法使いになったのですか。理由を尋ねたことはまだ一度もありませんでしたね」

「聞かれても言わないつもりだったんだす……言ったら叶わないと思ったから」

 だが、彼は覚悟を決めた者の顔をしている。

「おれは、身分を捨てたいんです。公子のままじゃだめなんです。魔法使いなら身分は関係ない。だから、魔法使いになりました」

「それには、カリンさんの出身に関係があるのですね」

 弟が息を飲む。知らないとでも思っていたのだろうか。弟に想い人がいること、そのために魔法使いになったことは五年前にはもう気づいていた。そして、その想い人が誰か、会ってみてわかった。弟の好きなものくらい、お見通しだ。

「少しですが、言葉に訛りがありました。彼女はリディル東部の出身ですね。おそらく元の身分は」

「兄上」

 鋭い目がまっすぐと見つめてくる。

「兄上がやめろと言っても、おれは聞くつもりがありません」

「わかっていますよ、それくらい」

 ティル=エーリクはほほ笑んだ。おそらく弟に味方はいない。少なくとも血縁者の中には。兄の自分が彼の味方になってやらずしてどうする。ティル=エーリクにとって、マイス=エラルド・アデレードは目に入れても痛くないほどにかわいい弟なのだ。

「ですが、マイス。カリンさんもまた、魔法使いです。あなたが魔法使いにならなくとも、身分の壁はなくなるはずでしょう」

「だって、それだとおれは、ひとりの人間として見てもらえない。公子としてのおれでしかなくなるんです。それだけは嫌だった」

「マイス、あなたは」

 ティル=エーリクはそれ以上何も言わなかった。

 彼のことはよくわかっているつもりだ。よほど好きなのだろう。

 アデレードの城でいつもつまらなそうにしていた弟が、魔法使いになってからは毎日楽しそうにやっている。きっと、それはすべて、大切なひとの存在があったおかげだ。彼女はいったい弟に何をしたのだろう。

「ジーク兄上の新しい婚約者のことは伝えましたね。レゼッタ王国のプリムローズ王女だと。私も彼女とは面識がありませんが、まだ年若いと聞いています。その王女が十九歳になる月に、結婚の儀が執り行われるそうです。あと一年とすこし。同時に兄上が大公位を継がれます――これがどういうことかわかりますね」

 弟がうなずく。

「それが期限です。兄上が大公になられたら、あなたは今の兄上の領地を継がなければなりません。そしてマリアンナ王女との結婚も。ですから、それまでになんとしてでもカリンさんを振り向かせるのです。そうですね、魔法使いでいるうちに結婚なさい。結婚してしまえば、話は変わってくるでしょう。カリンさんの成人まであとどれくらいですか?」

「……半年です」

「ならば、それまでに仲良くなっておきなさい。マイス、あなたは言葉が少々足りません。必要なことはちゃんと伝えなさい。相手はあなたが省いてしまう言葉がほしいのです。心当たりは?」

「……あります」

「そのことを忘れないでください。あなたに今大切なのは、知識でも力でもなく、思いやりの心ですよ。さあ、これで私からの話は終わりにしましょう。マイス、あなたの話を聞かせてください。なんでも聞きますからね」

 ありがとうございます、と弟がつぶやいたのが聞こえた。

「まずは、紅茶のおかわりを淹れましょう」

「あ、次は」

「ミルク入りですね、わかっていますよ」

 かなわないなあ、と弟は苦笑する。

 彼がこれから行く道は険しいものになるだろう。人の心は思い通りにならないゆえに、彼の思いは届かないかもしれない。それはしかたのないことだ。無理である可能性のほうが高い。

 それでも、ティル=エーリクは願わずにはいられない。

 ――彼の未来に幸あれ、と。

 どうか、弟から笑顔を奪わないように。


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