第四章 それぞれの想い Ⅱ
無事任務が終わったからと、マイはさっさとディーレン島に帰ってしまった。王女みずからがキシリヤの案内をしてくれると申し出てくれたにもかかわらず、だ。エレイナが気を悪くしたのでは、とカリンは心配でならなかったが、エレイナは特に気にとめる様子もなく、笑顔でマイを見送った。
王女と一緒に市場を見て、料理を食べたりちょっとした小物を買ったりした。エレイナは一人で頻繁に王宮を出ているようで、街の人々は王女の訪問に驚いたようすもない。それどころか、親しげに声をかけてくる。エレイナもキシリヤ城下町の人々も笑顔を絶やさない。いいな、とカリンは思った。
故郷にもディーレン島にも、いいところがたくさんある。だが今カリンがまぶしく思うのは、身分のちがいを気にしないエレイナの姿だ。
――小汚い農民上がりのくせに。
もし、カリンが俗世の身分と無縁である魔法使いでなかったとしても、きっとエレイナはあのような言葉を口にすることはないだろう。カリンは確信していた。
エレイナのまわりには、人々のほかに、彼らには見えないだろう精霊たちが集まってきている。『翼の眷属』はエレイナを好いている。人間の感情を読むことができる精霊たちは、悪い感情を抱く者には近づかない。
リディル王城の中には精霊がいなかった。それが何を意味するか。
自らの黒髪を嫌い、カリンの金色の髪をねたんだリディル第二王女マリアンナ。整った容姿を持っているというのに、あくせく働かなくとも贅沢な暮らしができる身分であるのに、心が貧しい。王族だから、ではない。マリアンナ王女がそういうひとだということだ。エレイナに出会って、カリンは気がついた。心に身分は関係ない。
マリアンナ、とカリンは心の中で呼びかける。あたしはあなたに敬称をつけるのはやめる。つけたいと思うひとにだけつける。
カリンにはそれが許されている。
あたしは、魔法使いだ――。その意味が、ようやくわかりはじめてきた。
*
農民という身分が原因でいじめられるのは日常茶飯事だった。
才能ある者に無償で門扉を開くリーザイン魔法学園といっても、生徒の多くは幼いころから魔法について学べる環境にあった「そこそこの」身分の子どもたちだ。
実力主義のリーザインに入学できることは栄誉である。高額の金を払い、上級魔法使いを師として招くことができる者でも魔法使いをこころざすなら、まずリーザインの合格を目指す。だから貴族の子息子女も数多く在籍していた。
そもそもカリンのように身分の低い者は、魔法の存在すら知らないのが普通である。魔法はおろか、文字の読み書きができる者さえ少ない。
入学したその日に、カリンの素性は晒された。
どこから来たの、と何も知らないクラスメイトに問われて正直に答えたそのとき、教室の空気が凍りついた。誰かに「おまえ、農民か」と聞かれたので、うなずいた。
「なんで農民がこんなところにいるんだよ」
「魔法使いには身分は関係ないって、バルサに言われたもん」
「バルサ?」
「あたしに読み書きとか計算のしかたとか教えてくれたひとだよ」
教室中の生徒がどっと笑った。バルサというのが百年前の戦争で活躍した魔法使いの名前だと知ったのは、それからすぐのことである。カリンは魔法組合のしくみも、十二賢人の名前も、学園長セイレン・シザリオンが何者であるかも知らなかった。普通の入学生なら知っていて当然のことだった。
魔法使いとなった以上は俗世の身分は関係ない。しかしそれは建前にすぎず、貴族出身の生徒が大きい顔をしていばっていた。農民出身のカリンは彼らにこびへつらうことも許されなかった。家畜以下だと言われたこともある。
さらに精霊が見えることが、カリンを『異端』に仕立て上げた。
それでもカリンがリーザインをやめようと思いいたらなかったのは、誰よりも魔法の成績が優れていたおかげだ。主席であることが、カリンを支えていた。
リーザインの卒業試験は中級魔法使いへの昇進試験と同じ。初級魔法使い百人に一人しか受からないといわれる難易度だけあって、同じ年に入学した生徒約百人のうち、カリンと同じ年に卒業できた者は一人もいなかった。多くの生徒が挫折し、留年・退学していた。もはや魔法使いの中で、カリンに面と向かって悪口を言う者はいない。
「きみさ、リディル東部の出身だよね」
これから一緒に働くものとして出会って、すぐにマイ・オリオンは言った。
「やっぱり、元は農民?」
リディル東部は土地の痩せた貧しい地域である。
「それがどうかしたの」
「すこしだけど、訛りが残ってる。たぶん努力してなくなるものじゃないと思うよ。ま、聞き取れる人間がごくかぎられるくらいには普通のしゃべり方ができているけど」
「それで、結局あなたは何が言いたいの。農民出身の魔法使いがパートナーは嫌だってこと?」
「いや、その、これから苦労するんだろうな、と思って」
言葉をきちんと補って言ってくれていたたら、おそらく彼の第一印象は変わっていただろう。「苦労する」の主語がカリンなのだと気づけていたら――あの事件は防げたかもしれない。
リディルの王族に関わらないほうがいいとマイは言った。カリンはそれに反発して、上から紹介された依頼を受けた。その結果が、爆発だった。