第三章 青いドラゴン Ⅰ
リーシェンがカリンと一緒にいるのは癪だったが、なるべくキシリヤ王女と距離を置きたかったので、マイは彼女たちについていくことをやめた。
彼女は気づいていないだけか? それとも気づかないふりをしていてくれるのか?
コンコンと扉を叩く音。シセルかイーズか。いや、彼らならもっと足音が目立つはずだ。
「マイ」
呼びかける声に、マイははっとする。
「マイ・オリオン。聞こえているんじゃろ」
「師匠!」
慌ててマイは戸を開けた。こんなところにまでやってくるとは思っていなかった。
「と、いうわけじゃ」
イーズの淹れた紅茶を飲みながら、彼の師は言った。
「イーズ。おぬしはやはり紅茶だけはうまいな。紅茶だけは」
「クラリスにほめられるの久しぶりだな。ちょっと照れるぞ」
黒焦げになった焼き菓子もどきは、彼の中でなかったものにされている。
「つまり、あんたは弟子にいいところを持っていかせようとしているわけか」
「ご名答」
シセルの言葉に、クラリスはうなずいた。
「わが弟子にも目立ってもらわねば、師匠のワシの立場がなくなるというものじゃ。なあ、マイ」
「は、はあ。まあ」
師の隣でマイはため息をつく。
「おれ、別にカリンと競いたいわけじゃないんだけどなー」
「何か言ったかの」
「い、いえ」
「それならよい。カリン・アルバートは新米のくせに少々目立ちすぎじゃ。目立つのは実力が伴ってからが基本だというのに」
黒焦げの物体を口に放り込む。まずい、とクラリスは苦笑いした。
「ばーさん、あんたやっぱり性格悪いな」
「人間百年近く生きていればそうなるわい」
シセルが呆れたように顔をしかめる。
十二賢人クラリス・オリオン。魔法組合リーザス・クラスト最高齢の魔法使いだけに、マイのような若い者ではかなわない老獪さがある。
組合設立当時を知る彼女は、今までに多くの魔法使いを見てきた。クラリスの魔法使いを見る目は本物であるとマイは思う。
彼女の発言力は大きい。
もしクラリスがいなかったら――。
きっとカリンは夢をかなえることなく、魔法使いの証である杖を折られていたことだろう。そしてマイもまた唯一の希望を失っていた。
公私混同は善ではない。しかしマイと、自覚はないだろうがカリンはその公私混同に救われたのだ。つくづく弟子に甘すぎる、とクラリスは言った。
「どうして左遷先がここだったんですか」
久々に顔を合わせた師に、マイはずっと聞きたかったことを尋ねた。
「本部やリディルから離れられさえすればどこだってよかったはずです。もしかして、リーシェンに何か言われたんですか? あいつのためですか?」
「……いや」
ゆっくりとクラリスは首を横に振った。
「あの子のためじゃよ。上級試験に受かりたいなら、魔物に慣れる必要があるからの」
「推薦をもらうほうが早いと思うんですが」
「ワシはカリン・アルバートを推薦するつもりはない。おそらく他の十二賢人も同じ考えじゃ。少なくとも半数はな」
上級魔法使いになるためには、半数以上の十二賢人の承認を得る必要がある。あるいは長老の推薦か、上級昇格試験に合格するか。
「それ、カリンが知ったら……」
「条件は“みな”一緒じゃ。高みを目指し、そこに届きうる者には厳しくすることにしたからの。全部、おぬしのせいじゃよ、シセル」
難攻不落と呼ばれた上級昇格試験唯一の合格者シセルファ・カデット。
「将来が楽しみじゃ。ま、何十年後になるかはわからんがの」
「師匠、じゃあおれが上級魔法使いになりたいって言ったら」
「おぬしがなりたいというのなら推薦してやるぞ。どうする」
「聞いただけです。おれはカリンみたく上を目指してるわけじゃない」
クラリスは笑った。彼女は弟子のことをよく知っている。かなわないよなあ、とマイの気持ちを感じてか、イーズがつぶやいた。