第二章 消えた王女 Ⅵ
エレイナを連れてディーレン島に戻ると、支部長シセルはとくに動じることもなく、エレイナに自己紹介をした。シセルを見るなり、エレイナは瞳を輝かせる。
「魔法使いでなければ、私の側近にしたいくらいだ」
どうも、とシセルは眉間にしわをよせた。
「照れてる」とリーシェンが笑ったが、カリンには彼が怒っているようにしか見えなかった。
イーズによると、ラティカは出かけていてしばらく帰ってこないらしい。例にもれず、エレイナには彼の姿が見えないようで、カリンが彼に話しかけている間はきょとんとしていた。
「ここにいるのはわかるのに」
エレイナはつぶやく。
「触れることさえできないんだな。どうしてカリンには“見える”んだろう」
カリンは答えにつまった。
どうしてあたしには“見える”のか――。
カリン自身も知りたかったことだ。
マイのように結界を通して見ているわけではない。リーシェンによると後天的に“見える”ようになったらしい。だとすれば、いったいいつから?
答えはわかっている。
たしか五歳のときだった。年齢の記憶は定かではないが、そのときの経験は今でもはっきりと覚えている。
きみには見えるはずだよ。きみを食べようとしたものが何かわかる。
ちゃんと見て。
絶対に見えるから。
すべてはあのひとの言葉がきっかけだった。言葉がカリンの中に眠っていた何かを目覚めさせた。
でも、とカリンは思う。常に考えている問いだ。
なぜあのひとは、あたしに“見える”力があると知っていた――?
*
ラティカが戻るまで、エレイナに島の案内をすることになった。何かあると困るから支部の建物の中にいたほうがいいとカリンは思ったのだが、他でもないエレイナ自身が望んだのだ。キシリヤ以外の世界を見てみたいと。
マイはついてこなかった。「これは“仕事”ではないから無理強いはしない」とエレイナは言った。仕事でないからカリンは相棒であるマイと一緒にいる必要はない。エレイナに言われるまでもなく、さっさと彼は自室にひきこもっていたが。
はじめて見る島の風景に、エレイナは終始驚いていた。キシリヤ島とは生息する植物がまるで違う。
「ここの海は濃い青なんだな。アデレードの海に似ている。そう、私がティルと出会ったのはアデレードの海岸だったんだ」
海岸沿いを歩きながら、エレイナは語った。
「アデレード公国には五人の公子がいて、その中から一人を選べと言われていた。何年も前の話だ。婚約者を決めるために、私はアデレードを訪れた。そのときの私は未来の夫を決めることに反発して、アデレードに着くなり逃げ出してしまったんだ」
「エレイナさまが?」
「私が」
エレイナは笑う。
「母上もアデレード大公も大公妃も、年の近い第四公子と私を結婚させたがっていたんだが、それでは選択肢すら与えられないも同然だろう。皆が第四公子の話ばかりするから嫌になってしまった。そういうわけで逃げたはいいものの、アデレードは寒いところなんだ。薄着だったからいけなかった。震えながら、なぜか海を目指した。そこで!」
エレイナの熱っぽい話し方に、カリンは若干押され気味だった。
「そ、そこで」
「そこで、なんと私は運命の出会いを果たしたのだ! 震える私に上着を貸してくれたひとに、私はひとめぼれしてしまった。しかし私はアデレードの公子と結婚しなければならない身。私の恋はあっけなく終わった――かと思いきや、そのひととアデレードの城で再会した。それが」
「ティルさま、ってことですね」
はじめに言ってたからね、とリーシェンがつぶやいた。もちろんエレイナには聞こえていない。
「結局、母上一押しの第四公子は私と顔を合わせるどころか姿を現してくれなかった」
女嫌いをこじらせたあげくに出家して、女人禁制の修道院に入った――。カリンはマイの言葉を思い出す。
「第一公子は亡くなった婚約者のリディル王女の喪に服していたし、第二公子は頭は切れるが私とは気が合わなかったし、第五公子は私にまったく興味を持たなかったし、つまり最初から私はティルを選ぶ運命だったんだよ」
それでも、とエレイナは言う。
「海岸でティルと出会えてよかったと思う。私はティルに二回も恋することができたのだから」
好きなひとのことを語る王女の横顔が、カリンにはとてもまぶしかった。少し離れたところで話を聞いていたリーシェンはひたすらに目をしばたたかせていた。
「やっぱり、わからない」
そのつぶやきはカリンの耳には届かず、風に乗って飛んでいった。