第一章 さまよえる魔法使い Ⅳ
ひときわ背の高い建物が見えてきた。豪華絢爛と評されるリディル王都のものと比べればまだ質素だが、この島唯一であろう煉瓦づくりのせいか、とてもめだっている。しかし近づいてみれば、リディルで目をならしたカリンには何でもない、三階建てである。敷地は広い。建物を低い柵が取り囲んでいる。二十人くらいは収容できる、とカリンは読んだ。
地図によれば、この支部は居住地の中央に位置するらしい。それがこのディーレン島における魔法組合の影響力をしめしているはずなのだが、先ほどの住人の反応からすると組合としての認知度は低いようだ。
「シセルファ・カデット……いったい、どんなひとなのかしら」
ディーレン支部長にして、たったひとりの支部構成員。それより何よりカリンが気になっていたのは、その人物の経歴だった。
「ただものじゃない、とおれは思うね」
神妙な顔もちでマイが言う。
「十五歳であの難攻不落とされた上級試験に合格したってだけでもおそろしいけどさ、とつぜん海にあらわれた島に組合の支部を作らせちゃったって、本当にすごいひとだよ」
「それなのに学園にいたとき、あたしは彼の噂をひとつも聞かなかったわ。上級魔法使いになってもう十年でしょ? 上級の中じゃまだいちばん若いんだし、なにかひとつくらい耳に入ってきてもよさそうなのに」
「おれも見習いや初級時代に聞いたことなかった。なんでだろうな。上の陰謀がはたらいてたりして。うん、リオーネ・セラフィードとかならやりそうだ」
「ちょっと」不穏な発言をしたマイをカリンはいさめた。「十二賢人にむかって何言ってるのよ」
「リオーネはいやなやつだよ。どうせカリンは、あいつのこと知らないだろ」
「それはそうだけど」
返す言葉がない。魔法史の権威とうたわれるリオーネのことは名前と彼女の著書しか知らなかった。
「マイがだれかのことを悪く言うなんてめずらしいわね」
「そうかな。おれはけっこう好き嫌いはげしいほうなんだけど」
あの事件のことをカリンは思い出した。
「言われてみれば……そうだったわね」
姫君にむかって「ばか」と暴言を吐くほどなのだ。のほほんとした見かけのせいで忘れかけていたが。
「シセルさまとやらが傲慢なひとだったらいやだなあ。『おれさまがいちばん偉いんだから、言うことを聞け』みたいなやつだったら、この建物を炎上させてもいい」
「お願いだから、それだけはやめて」
「わかってる。ただの冗談」
やりかねないのが、マイの怖いところである。
「たぶん、権力とか地位とか、そういうのに興味ないんじゃないかな、とは思う」
「それは勘なの? マイ」
「そうだ。おれのお得意の勘だよ」
そうしているうちにディーレン支部の門の前についた。
門には魔法組合リーザス・クラストの紋章がかけられている。金の布に銀の糸で刺繍がほどこされているのは、カリンやマイの着ている組合規定ローブと変わりない。創世神オルフェリアと魔法の杖をかたどったとされるが、説明がなければわかる者はまずいないだろう。紋章には保護魔法がかけられている。隙のない、完璧なものだった。
紋章のすぐ隣には、『魔法組合リーザス・クラスト ディーレン支部』の文字が入った看板が立てかけられている。
「まちがいないわね」
「うん。それにしても、ここまでわかりやすいのに、どうしてさっきのひとたちはわからなかったんだろう」
「……字が読めないからよ、きっと」
マイの素朴な疑問に、カリンは手みじかに答えた。
「オルフェリア語は世界共通だけど、文字としてはまだすべてのひとに普及しているわけじゃないわ。現にあたしの故郷も読み書きできるのは一部の富裕層だけだったもの」
どうにかできないかしら、とカリンは心の中で思った。
「それにしても人がいる気配がないわね」
「うーん。ひとりしかいない支部だから、静かなのはしかたないと思うけど。ちょっと中に入ってみるか。おれたちだって、今日からこの支部の人間なんだし」
「そうよ。不法侵入にはならないわね」
そうは言いつつもおそるおそる、カリンは門をあけた。