第二章 消えた王女 Ⅲ
「いったいなにが起こったというのです」
アミィが言った。
「こんなの信じられません。これがほんとうに起こったことだとでもいうのですか」
カリンもマイも答えなかった。黙って鏡を凝視する。目をこらすと、鏡の中で小さななにかが王女の身体のそばで動いているのがわかった。
「……魔物」
つぶやいてみて、カリンはすぐに違うと思いなおした。
魔物特有のあの嫌な感じはない。
「精霊、かもしれないな」
マイが言った。
「セイレイ?」
ティル=エーリクが首をかしげた。無理もない。精霊は普通の人間の目には映らないからだ。どう説明すべきかカリンが迷っていると、そんなことにはかまうことなくマイが続けた。
「精霊にしてもおかしい。精霊は自分を認識しない人間の体に触れることはできない」
「それはそうだっていうけど……」
「精霊のしわざによるものだとして、なぜこんなことができるか。考えられることは二つ。一つはエレイナさまが精霊を見ることができる場合。もう一つは――」
待って、とカリンはマイを止める。
ティル=エーリクとアミィはなぜだとばかりに視線をカリンに向けた。
「理由がわかりました。すぐになんとかします」
マイをにらみつけてから、カリンは二人に向かって告げる。
「今から準備をしますから、あたしたちを二人だけにしてくれませんか」
*
「どうして止めたんだよ。それに理由はまだわからないだろ。なんであんなこと言った――」
「マイ」
どうしてこうもこの相棒は人の気持ちというものを理解しないのだろうか。
「あなた、エレイナさまの魂が身体の中にない、ってことを言おうとしたでしょ」
マイがうなずく。
「ありうることじゃないか」
「それを聞いた人はどう思うか。十中八九、大変なことになるわよ。身体に魂がない? それは亡くなったも同然のことなんだから!」
うっとマイは言葉をつまらせた。
「それはそうと、これからどうするか、よ。ティルさまにはああ言ってしまったけど」
ティル=エーリクに与えられた部屋でカリンとマイは悩みこんでいた。
「魂はこの近くにあるってことで間違いないはずね」
捜索魔法は、道具を持ち主の魂に共鳴させることでなされる。エレイナは“国”に行ったわけでも、死んでしまったわけでもない。魂はたしかにこの世界に“ある”のだ。
「魂が身体から離れたと考えるのが妥当かー。問題はその魂をどう見つけるか、ってことだけど。あの世界でならともかく、ここじゃなあ」
あの世界――精神世界である精霊の“国”。
「さあ、どうする?」
「どうするもなにも――って」
さっとマイがみがまえる。
「リーシェン、どうしてここに」
カリンが問うと、リーシェンはにこやかにほほ笑んだ。
「ここにカリンがいるからに決まっているでしょう」
「……帰れよ」
急にマイの機嫌が悪くなる。出会ったときからふたりの仲は最悪で、顔を見合わせるたびにけんかばかりしている。
「ふうん。いいことを教えてあげようと思ったんだけどなあ」
「いいよ。お前の手なんか死んでも借りるものか」
「どういうことよ、リーシェン」
マイを押しのけて、カリンは尋ねた。
「カリンたちが困っている問題はすぐに解決するよ。それを知りたかったら、ぼくの妃になってよカリン」
「それはいやだって言ってるでしょ」
「冗談だよ」
リーシェンは自分の顔を指さす。
「きみはぼくの姿が見える。なぜなら、ぼくの存在を信じているから。ぼくのことを知らなければ、ぼくの姿は見えない。精霊や魔物、つまり魂だけの存在を見ることができる人間は二通りいる。それは生まれつき“見る”ことができる人間と、なんらかの原因が理由で“見る”ことができるようになった人間だ。マイ・オリオンは特殊だからともかく、カリン。きみはかぎりなく後者に近い」
「かぎりなく近い、ってどういうこと」
後天的に見えるようになった、ということには心当たりがあった。
「きっときみはもともと気配を感じとりやすいひとだったんだ。あそこになにかいるかも、って思っているうちに精霊が見えた、なんてことはよくあるでしょう」
「言われてみればたしかに……」
「ほんとうは、一度見たことのある精霊や魔物しか見ることができないんだ。逆に言えば一度見たことのあるものなら、見ようとすれば見られるということ」
なるほど、とマイが少し悔しそうにつぶやいた。
「あたしは一度エレイナさまの姿を見た。だから“見る”ことができる。前に来たっていう魔法使いが何もできなかったのは、エレイナさまを知らないから」
「そのとおり」
ぼくにもいろいろ責任があるから、とリーシェンは前置きしたうえで言う。
「ぼくも協力するよ」