第二章 消えた王女 Ⅱ
王女の部屋は、ティル=エーリクの部屋からだいぶ離れたところにあった。
「あなたたちになにができるんです」
エレイナの侍女だという少女が、カリンとマイをいぶかしむような目で見る。彼女がエレイナの失踪をいちばん最初に気がついたという。
「この間の魔法使いはなにもできずに帰りました。あなたたちの力を借りなくとも、女王陛下の命によって捜索がなされています。あの者たちにかかれば、エレイナさまはすぐに見つかります。殿下もよけいなことをなさらないで、静かにしていればよろしいんですよ!」
「アミィ」
ティル=エーリクは侍女をいさめた。
「この方々は信頼のおける魔法使いです。秘密はきちんと守ってくれるでしょう。魔法使いにしかできないことはたくさんあります。信頼できる魔法使いに協力を要請することは、女王陛下にもお許しをいただいていると言ったでしょう? この部屋の扉を開けてくださいませんか?」
自分よりあきらかに身分の低い者に対しても、ティル=エーリクは丁寧な言葉づかいで話す。どうやらそれが彼のくせのようなものなのだろう。
会ったばかりなのに「信頼できる」と言われ、カリンは公子に対してすこしの不安をおぼえた。もし自分たちが、悪いことを考えていたら、どうするのだ。無条件で信用してしまってよいのだろうか。しかし、信頼してもらえたのはとてもうれしいことだった。彼のために全力を尽くそう、とカリンは心に誓う。
「これで最後だと約束してくださいよ、もう。勝手に部屋を見せたら、エレイナさまに叱られてしまうんですから」
「エレイナはそんなことでは怒りませんよ、あなたも本当はわかっていますよね」
「……しかたありませんね」
アミィはしぶしぶ部屋の戸を開けた。
「絶対に中には入らないでくださいよ」
うなずいて、カリンは部屋の中を見まわす。
ティル=エーリクの部屋も質素なものだったが、この部屋もまた王女のものにしてはずいぶんとすっきりとしている。広い部屋に天蓋つきの寝台と小さな丸テーブルと椅子が置かれているのみだ。高価な調度品であふれていたリディル王女の部屋とは大違いである。
「おやすみになるとき以外、エレイナさまはこちらにいらっしゃいませんでした」
アミィは言う。
「いなくなられた日の夜、わたくしはたしかにエレイナさまがお眠りになっているのを確認して退出しました。それから朝までずっと、この部屋の前で見張りをしていたんです。訪問者はありませんでしたし、エレイナさまが部屋を出られることもありませんでした」
「考えられるとすれば窓かしら」
エレイナの部屋には三つの大きな窓があった。大のおとなが三人同時にくぐり抜けられるほどの大きさである。風を入れるためだろうか、すべて開け放たれていた。
「まさか。この下は海ですよ。それで、なにかおわかりになりました?」
「いえ、まだ」
カリンは杖を召喚する。
「マイ。これを大きくしてくれない? あたしの背くらいの大きさに」
自分の部屋に置いていた小さな鏡を呼び出し、マイに手渡した。鏡にはあらかじめ魔法陣を描いておいたので、いつでも召喚できるのだ。
「いいけど、いったいなにをするつもりなんだ」
「変化魔法の一種よ」
ものの形を変えるには造形魔法が必要だが、それはカリンが唯一不得手とするものだ。マイが杖を手にするとすぐに、手のひらほどの大きさだった鏡が巨大化した。ティル=エーリクとアミィはそろって驚いたような表情を浮かべているが、これは造形魔法の基本中の基本である。実際、マイは呪文も魔法陣も使わずにやってのけた。カリンが同じ魔法を使おうとしたらそうはいかない。
「で、どうする」
「部屋の中がすべて映るように支えてて」
マイが言うとおりに鏡を動かしたのを確認して、カリンは呪文を唱えた。中級以上の魔法使いにしか使えない魔法であり、カリンはこれを習得するのに一週間もかかった。
詠唱が終わると鏡に映る像が歪みはじめる。
「なにが起こってるんです?」
アミィが鏡をのぞきこんだが、彼女の顔は鏡に映らなかった。
「これは……」
後ろ歩きをするアミィの姿が映し出される。
「わたくしと女王陛下ですね。数刻前にいらっしゃいました」
鏡に映ったアミィと女王は不自然な動きをしていた。へえ、とマイが上からのぞきこむ。
「過去へとさかのぼってるわけか」
「そう」
しばらくなにも変化のない状態が続き、ふたたびアミィが現れる。エレイナの靴をかかえていた。
「このときに魔法使いが来たんです」
アミィが言うと同時に、一瞬だけだったがそれらしき人間の後ろ姿が映った。それを見たカリンは疑問をおぼえたが、今はそれを気にしている場合ではない。時間をさらに戻す。
もう一度アミィが映る。エレイナがいなくなったことに気づいたときだろう。
「ここからですね」
カリンが呪文を唱えると、画面がうつりかわる速度がゆっくりになった。
鏡に映っているため反転してはいるものの、寝台の脇には靴がきちんと並べて置いてある。寝台に王女らしき姿はない。
あ、とアミィが声をあげた。その場にいた者全員が驚きの声をもらした。
「浮かんでいる……?」
窓の外から王女が入ってきて寝台におさまった。カリンは時間の流れを過去から現在へと戻す。
眠っていた王女の体が浮かび上がり、窓の外へと消えていくのが鏡に映しだされた。