第五章 眠れる王 Ⅵ
あ、とマイが間の抜けた声をあげた。何が彼をそうさせたのか確かめるまでもなく、カリンは自分たちがまずい状況にあるということを悟った。場が静まりかえる。
「……シセル」
口をひらいたのはイーズだった。そのときになってようやくカリンはイーズの存在に気がついた。なぜ彼がここにいるのか、などと悠長なことを尋ねている場合ではない。
大男は肩を震わせながら、カリンたちのほうをぎろりとにらみつけてきた。カリンとマイはそろってちぢこまる。もともといかめしい顔つきだが、今の上司のそれはまるでガデス――死の神グランディウスの片腕で、冥界にきた罪人の魂を地獄の底に突き落とすという冥界の門番のようにカリンには思えた。だれひとりとしてガデスを見たことのある人間はいないが、絵画に描かれたその姿は決まって恐ろしい形相をしている。
シセルが大股でこちらに近づいてくる。もう終わりだ、魔法使いとして生きていけない。恐怖のあまり、カリンは辞表を書くことを覚悟に決めた。
「すみませんでした!」
「リーシェン!」
決死の思いで放ったカリンの謝罪とシセルの声が重なった。
「……えっ?」
沈黙を破ったのはマイだった。カリンは背後にいたリーシェンをふり返る。
「ん? どうしたの、シセル」
にっこりとほほ笑んで、リーシェンは首をかしげた。
「ほら、見てのとおり、みんな無事じゃないか」
「そういう問題じゃない。俺の許可なしに、俺の部下を危険な場所に連れ込んだ……何かあったら取り返しのつかないことになっていたんだぞ!」
「だってカリンは自分の力でなんとかしたがっていたし、マイ・オリオンは勝手についてきただけだからぼくが連れて行ったわけじゃないし」
かたくなな態度のままのシセルを相手に、リーシェンはすねたような表情になる。
「そんなに慌てなくなっていいじゃないか。いつからおまえはそんなに可愛くなくなったんだ」
「……慌ててる?」
「怒ってるんじゃなくて?」
カリンとマイは顔を見合わせた。
「あの顔で?」
おいおい、とイーズがふたりをたしなめる。「誤解されがちだけどな、あいつは根っからの心配性なんだ。今もリーシェンが勝手なことしたから怒っているといえばそうなんだが、どちらかっていうとお前さんたちの身を案じてる」
「うそ……」
カリンは驚くと同時に、すこしあたたかな気持ちになった。
「ほんとだぜ? オレやリーシェンにはあいつの考えてることが手に取るようにわかるんだからな」
「それは、もしかして、イーズも精霊だから?」
イーズはうなずき、ヘアバンドで隠していた耳をさらけ出して見せた。
「やっぱり気づいてなかったか。最初に会ったとき『オレが見えてる?』って聞いただろ、それにカリンちゃんは反応した。それで説明しようかと思ったんだけど、まあなんとなく言いづらくてここまで来ちまった。マイは気づいてたんだろ?」
「まあね、最初から」
にやりとマイはカリンを見た。
「おれは精霊なら信じてるって言ってるのに、どこかのだれかは冗談だと決めつけてくるんだよなー」
「だから、それは悪かったって言ってるでしょ」
「うん。わかってる。だけど、ほら、カリン。よく考えてみろよ。精霊だとか魔物だとかを見ることができる人間は、この島の中にいっぱい……ってほどでもないけど、おれやシセルさまがいるだろ? だから、きみは異端じゃない」
力強い言葉だった。
「きみは異端じゃないんだ」
彼の本心から出た言葉なのだと、カリンは素直に信じられた。どう答えたらいいのか戸惑っていると、隣からリーシェンとシセルの口論が聞こえてくる。
「ほんとうに最近のおまえは可愛くないよ、シセル」
「一度たりとも『可愛い』なんて言われた記憶はねーぞ」
「昔は可愛くないと思ってたんだけどね、今とくらべると小さいころのほうがまだましだったなって」
カリンやマイは「きみ」なのに、シセルのことは「おまえ」と呼んでいることに気がついた。リーシェンに対するシセルもやはり、普段とはちがってどこか子どもっぽい。カリンがふたりをじっと見ていると、リーシェンは「そうだ」とカリンに笑顔を向けてきた。
「きみがぼくの妃になったら、シセルはきみの子どもも同然だよね。だから今のうちから仲よくしてくれるとうれしいな」