第五章 眠れる王 Ⅲ
「……きみの名は?」
「人に名を聞くときは、自分から名乗るものだろう」
「あいにく、ぼくは人間じゃないから」
リーシェンは、ふう、と息をついた。
「……リーシェンだよ、マイ・オリオン」
マイとリーシェンの間に、不穏な空気が漂う。
「よく知りもしないで、ぼくのことを魔物呼ばわりしないでくれるかな。でも、本当はきみにもわかっているんでしょう? それなのにどうして嘘を言うの?」
「うるさい」
穏やかに問うリーシェンとは正反対に、マイはあきらかに冷静さを欠いていた。普段ののんびりした彼とはまるで別人のようである。
マイがローブのポケットに手を入れたのを見て、即座にカリンは感づいた。
「マイ、火薬は絶対にだめ――」
慌ててマイの手首をつかむ。マイは青い目を見開いて動きを止めた。
「……もしかして、カリン。おれがそんなまねすると思った?」
マイは肩をすくめる。
「こんな怪しいところで、危ないことができるわけないじゃないか」
「王宮で爆発起こしたあなたがそれを言っても、ぜんぜん説得力がないわよ。あたしが止めなかったら、今ごろどうなっていたかわからないわ」
「だから、おれは万が一のことを考えて」
「信じられないわ! だってさっき、危険な魔物がなんとかって――」
重要なことに思い当たり、カリンは口に手を当てた。
「……ねえ、マイ。どうして、あんたにもリーシェンの姿が見えるの」
精霊や魔物を見ることができる人間は普通ではない、とリーシェンは言ったのだ。
それだというのに、マイは何の違和感も抱かずにリーシェンを存在するものと認識している。
戸惑うカリンに、マイは「これだよ」と自分の目元を指さした。
「これのおかげで、おれには精霊でも魔物でもなんでも見えるんだよなー」
「ちょっと見せて」
カリンはマイの眼鏡を手にとってまじまじと見やる。
分厚いレンズだと思っていたものは、何層にも張られた結界魔法だった。どうしてこんなもので精霊が見えるのだろうかと首をかしげるカリンに、リーシェンが言う。
「彼の言っていることは嘘じゃないよ。微妙な光の加減で、精霊の姿が人間の目に映ることはごくたまにある話なんだ。まさかこんなものを作ってしまう人間がいるなんて、考えてもみなかったけれど」
眼鏡の縁に張ってある結界は、ごく簡単なものである。しかしその結界を使って精霊を映しだすに至るまでは、おそらくかなりの時間と努力を要したであろう。カリンは知り合ってからはじめて、マイの力に感嘆した。
「まあ、あるときたまたま、精霊を見ちゃったのがきっかけでさ。いつでも見えると面白いよなって」
マイはカリンを見てわずかにほほえんだ。
「おれの言ったこと、信じるよな?」
魔物が見えるというあの言葉は嘘ではなかったのだ。カリンが信じなかっただけで、マイは最初からすべて見えていたのだ。
「今まで何度もだまされてきたの」
マイに弱音をはくのははじめてだった。同年代の魔法使いには弱みを見せたくない、見せるわけにはいかないと思い続けてきたことなど、カリンはすっかり忘れてしまっていた。
「自分にも魔物が見えると言って、あたしの味方になったふりをする。そうしてあたしに魔物のこととかしゃべらせておいて、それを話のたねにするのよ。カリン・アルバートは卑しい身分の『異端』だって」
「ま、元の身分はたしかにそうだな」
「……本当にあなたはいつもひとこと余計なのよ。せっかく謝ろうとしていたのに」
ぜったいに泣かない。魔法使いになると決めたときにかわしたその約束を守るだけで、カリンは精一杯だった。
「疑ってごめんなさい」
「……きみから信用を得るにはまだ時間が足りないみたいだな。でも、まあ、いいや」
カリンから眼鏡を受けとってかけると、マイはリーシェンに向き直った。
「リーシェン。お前は認めたくないけど、精霊なんだろう? カリンにいったい何を望む」
「ぼくは精霊の王。そしてディーレンスを受け継ぐ者。カリンにはぼくの妃になって、ぼくをディーレンスにしてもらう」
「ふざけている。神が本当にいるとでも?」
精霊が神になるということに違和感をしめす以前に、そもそもマイは神を信じない。
「お前が精霊の王だとしても、神であるはずがない。おれは見えるものしか信じない。お前は神を見たことがあるのか? ちがうだろ。くだらないことでカリンを惑わすのはやめろ」
「マイ・オリオン、きみには関係ない話だ」
「ふたりとも! その話は、さっき断ったはずよ。あたしには関係ないわ。そんなことよりリオンを――」
「うるさいぞカリン! わかってる!」
マイは腕をひろげた。その腕の中に金髪の少年があらわれる。