第一章 さまよえる魔法使い Ⅱ
「魔物なんて存在しないわ」
あわてたせいか語気が荒くなった。
「あんなのおとぎ話の中の話でしょ。今どき魔物なんて、子どもだって信じないわ」
「そう?」マイは杖をかかげた。「でも、おれは信じてる」
だって、今ここにいるんだから。言うと同時にマイの杖の先端が光り、森の奥に向かって赤い閃光がはしった。断末魔のうめきに思わずカリンは耳をふさぐ。鼓動がはやくなる。いやな汗が背中をつたう。
「カリン。大丈夫か」
「なんでもないわ」
そう言うのがせいいっぱいだった。
「そうか。ま、そういうわけで、おれは魔物とか精霊とか目に見えるものは信じてる。だから姿の見えない神なんかは信じない」
「あたしは、神さまなら信じるわ」
「え? さっき星座占いなんか信じないって言ってたのに」
ひとりごとを聞かれていたようだ。カリンは心の中で舌打ちをする。
「神さまと占いはべつでしょ。だいたい同じ月の生まれのひとがみんな今日は幸運だなんて。ありえないもの」
「それをきみはさっきまで信じていたじゃないか」
「……あなたはひとこと余分なのよ」
いやになっちゃう、という言葉はなんとかのみこんだ。これからの生活を考えると、仕事のパートナーであるマイと険悪な雰囲気になるのだけは避けるべきなのである。
余計な口をきく、というのは本人にも自覚があるらしく、マイは苦い表情をうかべた。視線が少しさまよい、そして自分の杖へとおちついた。カリンも横目でマイの杖を見やる。先端部に緑の石がうめこまれ、そのほかは杖になるまえの木のまま――もっとも一般的な形の杖だ。
「おれの杖がそんなにめずらしい?」
「それは嫌味なの? 杖のことでいちいち口出しされるのは大嫌いなのよ、あたし」
「そうじゃない。けど、ああ、ごめん。余計なことだったな」
行くか、とマイにうながされて、カリンは彼の杖から視線をそらした。凝視していたつもりはなかったのだが、マイに指摘されるとはよほどだったにちがいない。
「支部がどっちにあるか、知ってるの?」
「いや、ここがどこだかわからないから、地図を見てもさっぱりだ。でも、この森は違う。こんな危ないところにひとは住めないから」
実はきみを待っていたんだ、とマイは言う。
「きみが魔物のいる森に入ってしまうかもしれないって思ってさ。待ってて正解。まったく、きみの行動にはいつもひやひやさせられるね」
「その言葉、そっくりそのままあなたに返すわ。王宮で爆発を起こしたひとに言われたくなんかないわよ」
「それを言われると痛いな。……ごめん」
「だから、もうそれは聞きあきたってば。どうせならもっと生産的なこと言ってよ――マイ。なにか言った?」
マイはかぶりをふる。
「今、なにか聞こえたような気がするんだけど」
そこまで言ってしまってカリンは、しまった、と口をつぐんだ。また、例の――見えてはいけない『あれ』のものだったかもしれない。あわててとりつくろう。
「風の音だったみたい」
「いや」
おれにも聞こえた、とマイは声をひそめた。
――森に背を向けて、海岸沿いに進んでごらん。
カリンとマイは顔を見あわせる。
「聞こえたよな」
「ええ」
声が男性のものなのか女性のものなのか判断するのはむずかしかった。カリンは周囲をぐるりと見まわしたが、それらしき人影はない。
道を教えてくれたのだろうか。しかしカリンには、誰ともしれない声にしたがうのがためらわれた。過去の記憶がよみがえってくる。恐怖まで呼びさましてしまわないように、カリンはぎゅっと唇をかんだ。
「この際だから行ってみるか」
「……だまされているかもしれないのに?」
「だまされているかどうかなんて、行ってみなくちゃわからないだろ。それに今のは信用していい。そんな気がする」
マイの飄々としたものいいに、わずかながらだが緊張がほぐれる。
「わかったわ」
あのときと違って、こちらには魔法があるのだから。カリンは自分自身に言いきかせた。
*
やっときてくれた。
なつかしいひとの姿をみとめ、彼は顔をほころばせる。
「待ってたよ、カリン」
彼のよろこびに共鳴して、木々が枝葉をゆらした。小鳥たちが彼のもとへと集まってくる。かれらを腕にとまらせ、もう一度いとしいひとを見て、彼は涼やかな目をほそめた。