第四章 かたちのない国 Ⅳ
あかりをつけ、寝間着の上にローブをはおり、カリンは一階に降りた。
まだ眠る準備をしていなかったのか、昼間の活動時と同じ、組合の指定する装いのままのマイがリナリアになにか話していた。しだいにリナリアの表情がこわばっていく。
「なにがあったんですか?」
カリンが問いかけると、リナリアはゆっくりと口をうごかした。
「リオンがいない」
その言葉の意味を、すぐに飲みこむことができなかった。カリンの思考が一時停止する。
「リオンはもうとっくに帰っただろ。だけどリナリアさんが言うには、家に帰ってきたようすがないらしい」
リナリアにかわってマイが説明した。その彼もいつになくむずかしい表情を浮かべている。
「つまり、リオンが行方不明ってわけね」
そうなるとリオンはいったいどこに? 好奇心旺盛な少年は、気の向くままに出かけていってしまってもおかしくない。
「こういうことって今までもあったんですか?」
少しの希望を求めてカリンがたずねると、リナリアはうなずいた。
「レゼッタにいたころは。……でも、この島にきてからは一度もない。あたしたちはまだここに来たばかりだし、レゼッタと違って民家は少ないし……」
「他の子の家に遊びに行った可能性はあると思います。……先に言っておくと、これはただの勘なんですが」
そう前置きして、マイは言葉を続ける。
「リオンは森に行ったんじゃないでしょうか」
リナリアはリオンの行き先の見当がついたことに安堵したようだった。反対にカリンは、希望がはかなく崩れ去る音を聞いた。
シセルが森に行くと言ったのが、子どもたちの耳に入ってしまった可能性は皆無でない。おもしろそうなことを前に、彼らが落ちついていられるはずがない。
「あなたの勘が当たらなきゃいいんだけど」
カリンとマイは目を合わせた。
「話はリオンの居場所を特定してからだわ」
魔法を使えば、生きている人間の居場所を特定することができる。必要なものは、探したい人間の持ち物と、魔法地図である。
リオンの持ち物はすぐに見つかった。しょっちゅう忘れ物をしていくリオンは、今日も着てきた上着を脱いだまま帰ってしまっていたのだ。
だがカリンの手元にある魔法地図は、世界地図と上司にもらった信用できない島の地図だけだった。世界地図には、四年前に突然現れたディーレン島がしるされていない。丸のついた島の地図を使えば、カリンがディーレン島に来た時の二の舞になりかねない。
「おれも島の地図は持ってない」
共同で使う道具や書類やらが置いてある棚をあさりながら、マイが言う。
「四年もあれば魔法地図くらい作れるはずだろ。どこかに置いてあってもいいんだけどなあ」
「シセルさまがいればすぐにわかるのに」
そもそも上級魔法使いのシセルがいれば、カリンたちの出る幕はないだろう。それも情けない話ではあるが。
「そうか」
マイが手を止めた。
「シセルさまの部屋にならあるかもしれない」
「まさか、勝手に入ろうとでも言うの?」
「止めるなよ、カリン! 責任はおれひとりが負うんだからいいだろ」
カリンの制止の声も聞かず、マイはさっさとシセルの部屋へと向かう。
「マイひとりで責任を負う? ふざけないでよ!」
中級魔法使いはつねに二人一組で仕事をする。どちらかの失態は、もうひとりにも影響するのだ。マイの不法侵入が問題化すれば、カリンも巻き添えをくらう。あのいまいましい事件のときのように。また問題が起きたら今度こそ、上級魔法使いへの昇進の道が閉ざされてしまう。
カリンは全力で追いかけたが、体力差を埋めることができなかった。カリンがシセルの部屋の前についたときにはもう、マイは扉を開けてしまっていた。
「ばか! マイっ!」
「んー、意外にきれいな部屋じゃないか」
ためらいなくマイがシセルの部屋に足を踏み入れる。どう責任をとったらいいか、そのことでカリンの頭はいっぱいになった。
たった今掃除されたかのように、部屋の中は整然としていた。そもそも散らかるほどに物が存在していなかった。ついカリンも視線で部屋の中を探索してしまう。
「……なんだ?」
机まわりを物色していたマイが動揺の声をあげた。
「これは……」
どうしたの、とカリンが声をかけると、マイは一度床にしゃがみこみ、それから床に置いてあったらしいものをかかげてみせた。
それは人形だった。それもとびきり高価なもの――同じ価値を持つものを、カリンはリディル王女の部屋でしか見たことがなかった。
金色の巻き髪といい、丸みのある輪郭に目、鼻、口が絶妙なかたちでおさまった顔といい、白くてやわらかそうな手足といい、フリルやレースがあしらわれた服といい、すべてが精密につくられている。ディーレン支部にあるもののなかで最も高価なものかもしれなかった。それがなぜ、シセルの部屋にあるのだろうか。
「シセルさまが人形遊びなんてするのかしら」
「いや、それより。おれ、この人形どこかで見たことがあるような気がする」
マイが人形に視線を落とした。
「マリアンナさまの部屋に似たものがあったわ。それじゃないの?」
「違う。カリンにはわからないかもしれないけど、これは第二王女の部屋にあったものよりも、ずっと価値がある」
「じゃあ、あなたはいったいどこでこれを見たのよ」
「それを思い出そうとしてるんじゃないか――って、こんなことしてる場合じゃなかった。島の地図を探さないといけない」
マイは人形を机の上に置く。
「……マイ」
奇妙な事実にカリンは気づいた。
「その人形、なんだかおかしくない?」
上半身のほうが重くつくられているはずの人形が、なぜかまっすぐと立っている。ガラスの青い目が動いた。