第二章 神の名を持つ島 Ⅵ
ディーレン支部の門を出るとすぐに、島の住人とはちあわせた。三十半ばとおぼしき、金髪の女性だ。とっさにカリンは足を止める。
「こんにちは」
だれかと出会ったら、まずあいさつをする。故郷の村を出るために教わった最初のことだ。兄たちの背にかくれてやりすごすことはできないのだ、と。
「あら、見かけない顔ね」
人のよさそうな笑顔を向けられ、カリンはほっと胸をなでおろした。
「きのう、ここに来たばかりなんです。魔法組合リーザス・クラストの中級魔法使いで、カリン・アルバートといいます。どうぞよろしくお願いいたします」
「やだ、そんなにかたくならないでよ」
頭をさげると、肩をたたかれる。
「カリンは魔法使いなんでしょ? それだったら身分とか出身とかは関係ないよ」
「そ、そうですけど……」
カリンは、目の前の女性のつま先から頭のてっぺんまで観察する。服装といい、手にした農具といい、農婦にしか見えないひとが、どうして魔法使いの原則を知っているのか疑問だった。
「レゼッタには魔法使いが多かったから慣れてるの。気にしなくて大丈夫だって」
女性はリナリアと名乗った。夫を亡くしたのを機に、ディーレン島にやってきたのだと言う。
「新天地で人生をやりなおそうと思ってね。レゼッタでやってた仕立て屋をたたんできたのよ」
北国レゼッタはカリンの出身地であるリディルの隣国だったため、その名は故郷の村にいたときから知っていた。学園にいたころは、女生徒たちがレゼッタで流行している衣服の話題でもりあがっているのをよく耳にした。
人口にしめる魔法使いの割合が他の国にくらべると非常に大きく、レゼッタの地方に暮らす者でさえリーザス・クラストの掟をそらで言えるらしい。それを知ってカリンは卒業前、万が一にも本部で働くことができなかったら、レゼッタ支部に行こうと考えていた。
「いち、魔法使いは殺生をしないこと」
リナリアは得意げに片目をつぶった。
「に、魔法使いは俗世のしがらみを捨てること」
彼女が言わんとしていることを、カリンは心の中でつぶやく。
「さん、魔法使いは対価なしに魔法を使わないこと」
等価交換をわすれてはいけない、と言ったのは誰だったろうか。学園の教師だっただろうか、書物で読んだ言葉だっただろうか。
かつて、魔法をめぐって戦争が起きた。魔法をひとりじめしようとした国々が争いあった結果、戦は三十年にもおよんだ。現在、三十年戦争と呼ばれる戦いを終わらせたのが、魔法組合初代長老リーザス・クラストである。
魔法使いは国家と深く結びついてはならない。個人の感情だけで魔法を使ってはならない。公平であれ。魔法組合の掟には、リーザスの教えが生きている。
「ほんとはシセルに頼もうと思ったんだけどね、カリンに頼んでもいい?」
リナリアは手にしていた鍬を、カリンの前につきだした。
「これ、直してくれないかな」