2
無秩序、と聞くと、人々は嫌悪感を抱く。何故ならば、グランベルクの創造主を蔑ろにする考えだからだ。加えて、三秩序の会と魔法協会より異端扱いされているという側面もあり、その差別観は、より一層強固になってしまう。それに、もしそんな力を扱う者と関わってしまえば、少年を図らずも貶めてしまうことに繋がってしまうだろう。
目の前に立つ男は、それを分かって少年に見せつけたのだ。彼の持つ、力の一部を。
人に強烈な印象を残すには、大きな衝撃を与えればよい。だから、赤い閃光弾を放ったのだ。
(これで彼は、俺に恐怖感を抱いただろう。)
男は、そう思っていた。
だが………。
「す………………すごい!!!」
その予想とは、大きく異なった。あまりにも見当違いな反応に、男は思わずズッコケる。
「…怖くないのか?」
男の問いに、少年は疑問符を浮かべる。
「怖いって………何がですか?」
「いや、ほら………さっきの閃光弾とか。」
男がそう自身なさげに言う。少年は、それにとびきりの笑顔で答える。
「いえ、全く。寧ろ、カッコイイと思いましたよ。」
「カッコ………イイだと?」
「はい。だって、魔法…じゃないのかもしれませんけど、それに匹敵するくらいに強い力を扱えるんですよ? どんな力であっても、尊敬します。僕なんか、全然……。」
自信を失った少年は、尻切れトンボになる。俯く少年に、男は視線を移す。
男は谷塔の壁に腰かけ、少年に問うた。
「………魔法を扱えないのか?」
その一言に、少年はビクッとした。
「…その……扱えないというか………。」
「………………………。」
ハッキリと答えられない少年に、男は懐から小さな石を取り出して手渡した。それは、先刻少年が使っていた石と同じものだ。
「込める魔力量と属性に比例して、色と明かりの度合いが変わるタグタイトだ。使い方は分かるな?」
「はい。授業でも使いますから。」
「………よし。それに、今お前が持つ魔力を込めてみろ。」
男が何をしたいのか、少年はいまいち理解できなかった。しかし、手渡されたのだからやるしかない。そう腹に決め、石を持つ左手に集中する。
魔力を込める、という作業に不可欠な集中。石に意識を飛ばす。意図せず声が出てしまうくらいに、力を込める。
すると………石は、淡く光った。しかし、その光は直ぐに消えてしまった。
力を出し切った少年は、肩で息をしながら…地面にへたり込む。
「はあ…はあ………。こ、これがいまの………僕の………全力です。」
そう男に、今できる最大限の笑顔を見せる。しかし、男は何も言わなかった。手を口元に当てながら、険しい表情をしていたのである。
ああ、やっぱり。この人も、呆れてしまうよな。少年は、そう諦めを含めた。
昔からそうだった。
家族から期待をかけられて、何年も何年も魔力を制御する訓練をしても、一向に力が向上しない。それを知った両親は、少年に気を遣って何も言わなかった。優しく接してくれた。だけど、その心理は一目瞭然。
“あきらめ”。
少年は、期待をされなかった。
だから、いつまでも、力は上がることなんてない。
いつまでも、期待されることなんてない。
いつまでも、認めてくれはしない。
悔しさもあった。だけど、これは妥当だ……そう自分に言い聞かせ、己の本当の気持ちを殺し続けた。
だから………!!
「………お前、すげぇな。」
「………………えっ?」
だから、男の発言に、少年は自分の耳を疑った。
「す………ごいって………?」
「………肩の力を抜け。呼吸は肩でするんじゃねえぞ。腹に力こめろ。」
男は、有無を言わさぬ口調で、少年に告げる。その空気を読み、少年もまた真剣な表情で息を整える。
肩に力を入れず………お腹で息を吸う。自然と、お腹に力がこもるようになった。
「魔力を出し切る感じは絶対にイメージするんじゃねえ。あくまでも、余裕を持たせるんだ。」
頭の中に浮かぶ魔力像を、男の言う通りに書き換えていく。すると………なんだか、モヤっとした感触が、少年を包み込むようになった。
「なんだか………変な感じです。」
「上出来だ。難しいかもしれんが、そのまま、俺が手を当てる部分に意識を飛ばしてみろ。まずは………へその下。」
男が、右手を少年につける、少年もまた、男が指し示す場所に意識を灯す。すると、モヤに何かが加わった。温かい………それに似た感触が、少年の全身を包み込む。男もまた、魔力の流れを感じていた。
「…魔力を石に込める。その時に大切なのは、自分の意識を高く保つことだ。」
「意識を………高く?」
「………劣等感は、今この場で捨て去れ。自分なら……できる。絶対に。そう思え。」
ずっと心を包んでいた暗い感情を、取り払うように思いを馳せる。
僕ならできる………絶対に。絶対に……………やってみせる!
その思考は、少年を縛り付けていた鎖を引き剥がしていく。
「………今だっ!」
「エナチャージっ!!」
彼の持つ石、その小さな石ころに似つかわしくない大きな光が、辺りを包み込む。白い光は、昼下がりの谷塔を日の光よりも更に強く、照らしつける。
………………そして、光は静かに散った。辺りに、静けさが漂う。静かな塔の上で、少年は己の両手を静かに見つめる。
少年は、自分を信じられなかった。自分が、やったことを。
現実を受け止められない彼の脇で、男はクスクスと笑い出す。
「………アッハッハッハ! こいつはすげえ!! まさかこの年でこの魔力量とは!!」
男は腹を抱えて、笑った。
「あの………今のって……………?」
目を丸くする少年の頭に、男は手をポンと置いた。
「お前、相当鍛錬してきたんだなぁ………。」
「えっ………………?」
男は立ち上がり、少年に語る。
「さっきの光。あの明るさに至るためには、幼少期から相当な魔力訓練を積まなければできねえ。もしやそこらの魔術師よりも、魔力を保有してるんじゃねえのか?」
「で、でも……………僕は………魔力適性がないって……………言われて………………。」
下を俯き、そう声を絞り出す。男は一つ息をつき、話を続ける。
「そうだな。三つの秩序をもとにした測定なら、そう出るだろうな。」
「えっ……………?」
「白い光……………測定時に、色がないから才がない………などと、言われなかったか?」
男の言った通り。少年がまだ幼い頃に行った適性検査で、担当した魔術師から、ハッキリと告げられたのだ。
この子の持つ魔力には、色がありません。秩序の加護がない。これでは訓練したところで、魔法は扱えないでしょう………と。もう何年も前のことだか、一言一句覚えていた。
グランベルクでは、秩序の加護が全て。世界を形作る加護がなければ、己を高めることができないし、例え何か仕事に就いたとしても、その実力を発揮するのは困難。
それが常識であり、通説。だからこそ、少年もそうだとずっと思っていた。
「良いか。三秩序が全てなどというのは……………でまかせだ。」
だけど………目の前の男は、それを真っ向から否定した。
「この世界を形作るのは、秩序だけじゃねえ。もし秩序で全てが決まるのであれば、運命も全て定められているということになる。だがな…そんなバカげた話が信じられるか?」
男は、拳に力を込める。
「秩序が運命を決める? ふざけるなっ! そんなもので、俺たちの運命が決まることなんてありはしない!」
グランベルクにおける最大の侮辱を、全く意にも介せずに口にする。
「もし運命が決まっているなら、運なんてものも存在しえない!!」
谷塔の壁に足を強く押し付ける。ダンっと大きな音が、谷底まで響き渡る。
「少年。お前が持つ白い光には……無限の可能性が込められている。白っていうのは、何色にもなることができる、なんにでも染まることができる、そういう色だ。そんな魔力を持つ野郎が、無能なわけがない! 絶対にだ!!」
「………………。」
俯く少年の瞼に、暖かさがこみ上げてくる。
「現に、お前の持つ魔力量だ。さっき俺がお前に手解きしたのは、その人が持つ魔力の深淵を覗くためのものだ。それによって現れたのは、日の目をあびなかったお前の実力だ。何故出てこなかったのか分かるか?」
「………………自分に、自信が持てなかったから。自分が何もできないって、そう思っていたからっ!」
そう男に声を振り絞って答える。大粒の涙が、彼の頬を伝う。男は、優しく少年を見る。
「お前の持つその力は、グランベルクの三秩序のどれにも当てはまらない。正に、“無秩序”の力だ。当てはまらないということは、どんな力にでも化けうるということでもある。それに
俺が指示しただけでその考えを柔軟に捉えることができ、己の力を合わせることができるのもまた、大抵のヤツにはできないことなんだ。だから……お前はすげぇんだよ。」
少年が顔を上げる。男は、先程とは全くと言って良いほど正反対の顔をしていた。
男は壁から降り、少年の方に歩み寄る。
「今更だが……………少年、名は?」
服の裾をぎゅっと掴み、男に告げる。
「ウェムル………ウェムルです。」
「そうか………ウェムル。いい名だな。」
一つ頷き、少年………ウェムルの瞳を見つめる。
「ウェムル。お前が持つ力は、絶対にお前を裏切ることはない。自分自身を見つめ直すことで、己の力を知ることができ、最大限に活かすことができる。そのことを、絶対に忘れるなよ。」
「はいっ!!」
男に、大きく答える。砦の旗は、風を受けて大きたなびいていた。
◇
「あの………僕からも、一ついいですか?」
「………………なんだ?」
「お名前を教えていただけないでしょうか。」
「………………マトロス。マトロス・グレーズだ。」